古民家ギャラリーうした・ガレッジ古本カフェ便り

古民家ギャラリーうしたと隣のガレッジ古本カフェで催している作品展、日々の発見!、書評、詩などを紹介していきます。

詩・日記 2010年8・19‐21

2025-03-25 05:52:07 | 詩・ポエム

こう改めて読んでみると、日記と云うより、散文、

 

散文と云うより詩に近いものが在るのだな、と思う。

 

もっと、日記なら日記らしくと云う想いもあるものの

 

日常から離れた視点からモノを視ていくと云うこと

 

をしたかったのかなあ、とも思う。

 

閲覧者数はさほどでもないものの、続きを希望してくれ

 

る人もいるのだな、と思い、続きをぼちぼちやって

 

いこうかな、と思っておりやす。

 

8・19

夜、アパートの窓に集まってくる小さな虫をヤモリ

は食べ続けた。

広島に夏休みに子供の頃来ていたのだが、必ず風呂場に

ヤモリがいた。今でもたまにホームの方にもヤモリが出る

ことがある。

 

8・20

夜明け……僕らが待ち望んだものは……焼けるような虹色の空

だった。

 

8・21

死にかけの部屋で僕が見たものは……殺人者の真っ赤に染まった

 

鳥の羽根のオモチャ……僕たちはふりをして、それを空へ投げた。

 

真空の針金の飛び道具で僕たちはやられた。

 

休日はラリっている……頭を解放するのさ。

 

恐るべき真実に目を向けよ。死……完璧なる静寂……夜の

 

目のような。

 

字……その形が死を呼び込んだ……赤。

 

冷たい死体に抱きついた犬のような君……犬のように……

 

ワンワンワン。

 

爆発する缶と水色に輝く血のような……君の意味不明な

 

セリフ。

 

彼が言ったことは少しの意味もないのだ。

 

土台無理な話しなのだ……その設定とやらはムチャクチャであった。

 

無様な死に際、犬の舌のような死。

 

分からぬ、筆記の中に秘めたる指の間のニオイの勝利だ。

 

ダメだ、そこにある簡単に血に染まる缶詰めの様な感情。

 

明日にはきっと死が訪れる、夜明けの様な溜め息の狭間に。

 

この間際に来訪する外来種、敵を呑みこみ……蛇のような舌

 

づかいの女。

 

満腹である、もうこれ以上喰えぬ……牛の睾丸まで食い尽くした。

 

この達成は至上のものであった……ヤク中の妄想。

 

誰も会いに来ぬ……果たしてこれいかに?

 

ハイヒールの踵を舐める。彼女は足を組み、手鏡で顔を

 

映して、つけまを付けた。眠い、昨日から一秒も寝てい

 

ないのだ……でも、眠ることは許されない。

 

以上です。長々と失礼しました。

 

今日は、教室で生徒さんと鉛筆絵を描きたいと思います。

 

あっ、これ以上長くなると、読む人が皆無になるので、

 

もうやめます。

 

じゃあ、みゃた。

 

 

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2010 8・15‐17 日記

2025-03-24 07:01:14 | 日記

このまま、印刷した日記を保有したままでも

 

もったいないといいますか、どういう反応なの

 

かというのも一興、興味がありますんで、ちょこ

 

っとだけ、2010年8・14の続きを披瀝し

 

てみたいと思います。大抵、日記というより、

 

詩に近い感じなので、なんやよう判らん、という

 

ことにも相成るかも致しませんが、優しい目で

 

見てください。

 

8・15

遠い過去に死んだ男……デッドマン……今、彼は死肉を……?

 

言語の美とは?……形状、意味、連結した状態……?

 

トンガっているとき、そうだ、オレはトンガっている! 尖り続ける!

 

海を一年見ていない……海は……記憶の中だけに存在する。砂漠は

 

嫌いだ(実際に見たことはないが)……海も嫌いなんだ。女に

 

興味がわかない、もちろん、男にもだ。人間に失望している。

 

報われない愛について君はどう思う?

 

8・16

言葉に対する真剣さが足りないのか?……汚れを落とすのに必要な事。

 

8・17

このニオイは、この音は、このスピードは……人間の築きあげる

 

ことなんてクソだ。人間なんて信用できない。人間のすること

 

なんて所詮クソでしかない。

 

と、今日はここまでだ。

 

2010年と云うと、15年前、ぼくはまだ三十八歳とかだ。

 

非情に青臭くて、荒れ狂っておると言いますか、お恥ずかしい

 

限りです、と懐かしく思います。まあ、時効と云うことで

 

お願いいたします。

 

じゃあ、みゃた。

 

 

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日記・詩 2010年8・14

2025-03-23 04:36:11 | 日記

2010年の日記を振り返ってみよう。八月十四日

 

のことだ。

 

これは、弾けるキャンディ・ボンルパ日記2010‐

 

2011と題されていて、未だ未発表だ。

 

ここに、ちょこっとだけ紹介しよう。

 

冒頭の部分だ。

 

8・14

 

僕のバイトで勤めている惣菜店がボンルパというので、

 

ボンルパ日記と名付けよう(ボンルパは最盛期には三店舗

 

ほど出店していたが、のちに完全閉店した)。

 

しらずしらずやっていたイケないこと。それはやがて大きな

 

潮流となり……解らないこと……数学から……試算式が……宇宙の

 

心理もやはり……セックスに興味が湧かず……枯れる川……才能も

 

いずれ衰える……衰弱し、弱肉となるだろう、強食となることも

 

ないままに。

 

(以上は手帳に書かれた詩。以降、日常の記とともに詩(散文)

 

も混在してきます)

 

と書かれて、8・14は終わっている。今日はこれくらいにしておき

 

ます。

 

それじゃあ、みゃた。

 

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路上探偵事務所 林丈二

2025-03-22 10:48:07 | 林丈二

講談社文庫   1990年

 

猫はどこ? で初めて読んで、それ以来だから

 

七年ぶりくらいの林氏である。赤瀬川原平氏の

 

流れを汲む「路上観察学会」の一員だ。

 

狭いところが大好きらしくて、狭っ楽しいと

 

表現している。街角のタバコ屋で博物館をやり

 

たいらしい。コーヒー豆を五十種類混ぜて、

 

コーヒーカップは持参するんだそうだ。それに

 

椅子はひとつだけだと云う。

 

左回りか? 右回りか? ではう×こは左巻きだ、

 

野坂昭如氏が発見したと云うくだりはくだらん

 

と思いつつ、笑ってしまった。

 

博物学的考察に詳しく、痰壺、狛犬、吊り革、キツネ

 

うどんの周辺、ボートについて、など思わず唸ったり

 

忍び笑いを漏らしたり、ぼくは自分でひとり「路上

 

観察」をして広島支部として、頑張って行きたいと、

 

常々思っております。

 

(読了日 2025年3・7(金)11:30)

               (鶴岡 卓哉)

 

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ダンディな食卓  吉行淳之介

2025-03-18 10:10:02 | 本の紹介

グルメ文庫  2005年

 

吉行ファンを自認するぼくとしては、見たことのない

 

吉行氏のタイトル本を見るとつい買ってしまう。

 

それが、この本はつい先日読んだばかりの贋食物誌を

 

底本として、追加して全集からのエッセイが載っている

 

と云う具合だった。でも、先日読んだ版と文章の組み方

 

も全然違う。その中でも〈九百九拾円の放蕩〉と〈葡萄酒

 

とみそ汁〉と短編〈菓子祭〉を中心に再読したりして見た。

 

〈九百~〉は990円、今にして7、8千円で東京の街に

 

繰り出し、放蕩をしよう。それを作品にまで高めよう、と云う

 

心意気のある企み。その頃の東京はなにやら淫猥で淫靡なもの

 

がそこいら中に蔓延(はびこ)っていて、女の子のヌードだとか

 

パンチラ系とか、今では考えられない世界の広がりを見せていた

 

らしい。まあ、ぼくは特に興味はないです。〈葡萄酒~〉はグルメで

 

あらせられる吉行氏の側面をお見せになるが、ぼくは心は無頼なの

 

で(なんせ酒が飲めない)、なにがワインが何年ものだ! しゃらく

 

せえ、と思ったのだった。いや、失礼、全然、吉行氏ファンじゃないじ

 

ゃないですか。

 

短編は外国の作家のパクリらしいね。いえ、オマージュと云うべきか。

 

グルメ文庫は角川文庫の亜種らしいですね。

 

いえ、本当に吉行氏のファンですって!

 

(2025年3・3(月)19:00)

         (鶴岡 卓哉)

 

 

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