文藝春秋刊 2006年。
表題作は第135回芥川賞を受賞。
修羅場小説っていったらいいのか。自販機に缶ジュースを入れて
ゆく配送中に、想起される仕掛けになっているので、なお一層や
ねこさが際立つ。
フツーの人たちはこんな(特に離婚経験者は)体験を(似たような)
をされていると思うと、さぞやタイヘンであろうなあ、と思うのだが、
おれっちは、あいにく修羅場というものをあまり体験していないせいで、
他人ごとのように、楽しく(?)読めたが……。
貝から見る風景、はスゴく短い小説で、別れを怖れている男の、スー
パーのお客様の声に寄せられる、ふう太郎スナックの有無を無性に気
にする話しである。ふう太郎スナックが存在しない、ということが、この小
説では重要であり、肝になっていると思う。イタズラなのか、さもすれば、
この短編自体もイタズラで書かれたやもしれず、文学自体もなんらかの
イタズラ心、というか、そういったやむにやまれぬ衝動みたいなもので
あるともいえるわけである。
表題作は第135回芥川賞を受賞。
修羅場小説っていったらいいのか。自販機に缶ジュースを入れて
ゆく配送中に、想起される仕掛けになっているので、なお一層や
ねこさが際立つ。
フツーの人たちはこんな(特に離婚経験者は)体験を(似たような)
をされていると思うと、さぞやタイヘンであろうなあ、と思うのだが、
おれっちは、あいにく修羅場というものをあまり体験していないせいで、
他人ごとのように、楽しく(?)読めたが……。
貝から見る風景、はスゴく短い小説で、別れを怖れている男の、スー
パーのお客様の声に寄せられる、ふう太郎スナックの有無を無性に気
にする話しである。ふう太郎スナックが存在しない、ということが、この小
説では重要であり、肝になっていると思う。イタズラなのか、さもすれば、
この短編自体もイタズラで書かれたやもしれず、文学自体もなんらかの
イタズラ心、というか、そういったやむにやまれぬ衝動みたいなもので
あるともいえるわけである。