梅沢葉子・訳 晶文社 1982年
初めてこのマンハッタン少年日記を読んだのは十七歳の
とき、いまからざっと三十年前である。この歳になって
読んでみて、やっぱり面白いものは面白いんだ、ということ。
その間に、ジム・キャロルは死に、映画にもなった。
原爆について、触れるところがあって、アメリカ人も悔いて
いるのだ、と知ることとなる。
平和主義者だが、おかまには容赦がなく、殴り飛ばす。
年を取ると、違う読み方もできると思ったが、昔と感じたことは
同じだった。
鮮烈な感覚を持ち続けることは難しいが、ボクはできているかも
しれぬと、ちょっと自信を持ったのだった。
初めてこのマンハッタン少年日記を読んだのは十七歳の
とき、いまからざっと三十年前である。この歳になって
読んでみて、やっぱり面白いものは面白いんだ、ということ。
その間に、ジム・キャロルは死に、映画にもなった。
原爆について、触れるところがあって、アメリカ人も悔いて
いるのだ、と知ることとなる。
平和主義者だが、おかまには容赦がなく、殴り飛ばす。
年を取ると、違う読み方もできると思ったが、昔と感じたことは
同じだった。
鮮烈な感覚を持ち続けることは難しいが、ボクはできているかも
しれぬと、ちょっと自信を持ったのだった。