古民家ギャラリーうした・ガレッジ古本カフェ便り

古民家ギャラリーうしたと隣のガレッジ古本カフェで催している作品展、日々の発見!、書評、詩などを紹介していきます。

古書商・頑冥堂主人   開高健

2024-12-30 03:11:38 | 開高健

「素敵な活字中毒者」所収。 昭和三十九年

 

「週刊・朝日」に発表後、「ずばり東京」(昭和四十九年)

 

に収録。ぼくも読んだはずであるが、全く失念していた内容

 

でした。

 

若き日の大兄の文章であると思うが、若書きでもなく、古書世

 

界がイキイキと赤裸々に描かれて行く。

 

古本屋が神田界隈にざっと百軒近くあったらしい、と今もあるかも

 

しれない。

 

思えば、日本は識字率はほぼ百パーセントだから、皆、本は

 

読めるわけであり、万人共通の趣味たり得るのだろう。

 

和本の扱いについて、言及していて、反町氏と云う人がその

 

和本界のシーザーと云うことだ。なんか、すごく日本的な

 

しきたりがあったりしそうで、面白いと思った。

 

(読了日 2024年12・2(月)2:42)

               (鶴岡 卓哉)

 

 

 

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ロビンソンの末裔 開高健

2024-11-27 01:03:03 | 開高健

新潮文庫 昭和四十七年

 

北海道の戦前から戦後にかけての開拓民の

 

苦悩を描く。

 

東京で食うや食わずで、北海道への開拓の

 

うまい話にのって、広い大地と格闘するものの

 

敗れ果てて行く話だ。

 

解説にもあるが、その開拓の話しだけではない、

 

上野駅での混乱、混沌、混濁、垢に塗れる汗、

 

腐臭にまみれた体臭が、このその場の空気を

 

活写した感じは、イキイキとしていて、ルポル

 

タージュとも言えない、小説の世界を表現し得

 

ている。

 

開高氏は果たして、大地に根差した作家なのだろ

 

うか? と問うと、ぼくはその後の作品を鑑みて

 

決して、この作品が浮いているとは思えない。

 

いや、釣りへと興味が湧いて来る発端が現れ出て

 

いるのではないか、と思うのだ。きっと、開高氏は

 

自然と云うものの驚異を三十歳のこの頃から如実に

 

感じ、表現したかったのかもしれない。

 

(読了日 2024年11月10日(日)22:20)

                (鶴岡 卓哉)

 

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日本三文オペラ  開高健

2024-10-17 04:10:10 | 開高健

新潮文庫 昭和34年

 

開高氏、初期の創作もの。泥沼の中から鉄板を

 

掘り出す。ある意味、スカウトされて引っ張って

 

いかれた部落の醜悪、醜怪な男の陥るハラハラワ

 

クワクするディストピア的世界。

 

その垢に塗れ、汚猥と汚物にもみくちゃにされたよう

 

な世界観に、とことん麗しい美の世界を見い出すところに、

 

開高氏のセンスが顕著に現れ出るところだろう。

 

ぼくはこういう大阪の裏路地的なカオスな世界

 

観が大好きなので、読んでいて楽しい時間だった。

 

こういう取りこぼし的なものに最近良く出会うので

 

嬉しい限りだ。日本三文オペラ、いや、決して、

 

三文ではない、一級品のオペラだと思う。

 

(読了日2024年 9・26(木)21:40)

                (鶴岡 卓哉)

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二重壁   開高健

2024-09-27 03:41:42 | 開高健

中公文庫

 

開高氏らしい文体で攻めて来る。二重壁とは

 

のぞき鏡なるもので、そこでは、人は何をし

 

ているのかをのぞかれているらしい。とても

 

詩的なので、一読すると、よく分からないし

 

文体に慣れていないと読み辛いかもしれない。

 

戦争で、慰安婦と関係を持ち、病気をもらった

 

男が、子供を作ることを拒み続け、会社で上役

 

の人の娘と結婚したものの、うだつの上がらない

 

潔癖症。全くの創作だと思うが、ぼくは開高氏の

 

こういった作品は未読だったので、おもしろく

 

読ませていただいた。とても良かった。

 

(読了日 2024年9・2(月)22:37)

               (鶴岡 卓哉)

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一日 開高健

2024-09-10 00:37:48 | 開高健

新潮文庫 平成2年

 

開高氏も参戦したヴェトナムの日々のことを描いている。

 

でも、ルポというんでもなく、やはりこれは文学である、と言えるのではないか。

 

水井君という青年が、引っ越し先で弾の破片を頭に喰らって、死んだ

 

ことが描いてあって、頭をベッドで反対にして寝ていた。そして、土嚢が積んで

 

いなかった。数々の不幸が連なって亡くなったという。人の死ぬとき

 

というのは、そういうものなのかもしれない。数々の不幸が重なって

 

、それで、死んでしまう。本人は戦争の起こっている国にいくくらいだから

 

ちょっとは覚悟していたのかもしいれないが、その日、寝ていて死ぬとは

 

思っていなかっただろう。死とは唐突に、突然襲い掛かるものかもしれない。

 

うーん、僕はわりと運はいい方だと自負しているね。いや、かなり

 

いい方だと思うけどね。曲がり角を曲がると死神とばったりと出くわすかも

 

しれないから、気を付けないと。

 

(読了日 2024年8・22(木)8:25)

              (鶴岡 卓哉)

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花終る闇   開高健

2024-09-08 04:59:12 | 開高健

新潮文庫  平成2年

 

書いた? 書けん! というペンネームを愛

 

したという開高健氏の絶筆の一遍。

 

ラストの部分は一部が重複するのだがいいのだろ

 

うか? リフレインってことか? 昔の作家は同じ

 

ことばかり書いていたから、そういう手法なのかも

 

しれん。また、ベトナム、交わり、くんずほぐれず

 

して、悔恨、逡巡、泥濘に溺れて、立ち往生する

 

話しだ。

 

世界のところどころに現れ出ては、人の世に生きるのは

 

辛いぜ、と言いたいばかりに、詩的、メタモルフォーゼ、

 

白皙の腕に止まる蝶の如く、自由で、華憐、な言葉

 

遊びが弾ける。ぼくが師と崇める男、開高氏の生命の

 

絶叫を訊け。

 

(読了日 2024年8・21(水)11:31)

                (鶴岡 卓哉)

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青い月曜日    開高健

2022-11-23 13:23:33 | 開高健

集英社文庫     1974年

 

深い狂気をともなった戦中、爛熟した廃退の漂う戦後を

 

背景に、青く爛れた青春の日々を描いた作品だ。

 

そこには、汚わいと、唾や痰の飛ぶ薬草があったり、どこか

 

卑猥で臆病な悲鳴が響いているが、どこか純潔で純血な

 

ところがあり、爽やかさとは隔絶された孤独がある。

 

響いてくるのは、いつも祈りに近い鳴き声であり、空腹の

 

混沌がないまぜになり、詩を生み出す。

 

そこに開高文学の萌芽があり、前期の青春時代の終わりを

 

炙り出し、パリパリとする狂乱の時代も終焉を迎える。

 

喧騒の中の静寂が文学それ自体を包んでいて、読者を圧倒

 

する。そんな、力強い文学の抵抗を感じた。

 

       (読了日 2022年11・8 11:34)

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シブイ    開高健

2018-11-25 11:16:49 | 開高健
TBSブリタニカ 1990年


体型も生前の開高氏に似てきたにもかかわらず、開高氏ほどに


業腹になれず、せっせとせこせこと除菌している自分がいるわ


けだが。


もう何度目か読むのは、というはなしもあり、あのPPAPのピコ太郎


のピコをピコピコ音楽のピコと思っている人もいるかもしれないが、


この本によると、ピコとは隠しておきたくなるほどチッコイもの(


あれ、だね)を指すらしい。アメリカで受けているのも、その名前も


一因かもしれない。日本人のは小さいという、あれね。


西洋では、イワシは塩焼きでは食べないという。


死体を焼いているニオイがするらしい。


と、いろいろとウンチクもあるしで、もう、おもしろい本は読み尽く


した、という人にもおもしろく読める、というか、もう読んでいるだ


ろうね。
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風に訊け2      開高健

2018-03-29 09:41:27 | 開高健
集英社    1985年。


一気に読まないで下さい、の説明の通り時間を半年くらいかけて


読んでみた。


開高師匠の豊かな写真も載っている。



開高師匠の懐の深さ、人間的な深淵を見せられる思いであり、ホン


トに頭のいい人だったのだな、と分かる。


晩年に書かれた仕事だが、実にエロも含め、深い。


ボクの座右の書である。
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ロマネ・コンティ・一九三五年    開高健

2018-02-02 14:34:17 | 開高健
文春文庫 1973年~1978年



玉、砕ける、飽満の種子、貝塚をつくる、他3篇。



飽満の種子、などベトナムモノでは、そこには貧者をみる



まなざしには同じ者を見る目がある。決して、あわれまず、


対等である、そこが素晴らしいと思った。



だから、読んでいても卑屈にならず、イヤだな、とも思わ



せないのである。そこに嫌悪感は生じない。


そして、表現は詩的であり、短編集、珠玉で読んでいたが、


読み飽きるということがなく、底が深く、理解が深まって


いき、追体験できるようになっている。     


                   (鶴岡卓哉)         
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