古民家ギャラリーうした・ガレッジ古本カフェ便り

古民家ギャラリーうしたと隣のガレッジ古本カフェで催している作品展、日々の発見!、書評、詩などを紹介していきます。

食らわんか      向田邦子

2022-11-30 04:29:37 | 向田邦子

「おいしいおはなし」所収    高峰秀子・編    光文社文庫

 

「台所のエッセイ集」と副題がついている。この本に収められている

 

小品によって、これからは、書いていきたい。

 

冒頭に高峰女史による、はじめに、と題されたはなしがある。

 

結婚するまで、なにも(料理の)勉強してこなかったらしい。高峰

 

女史の本は大抵、読んでしまっている。今回は、編集されているらしい。

 

はじめは、向田邦子さんの短編か。なかなかのセンスのいいところを

 

ついてくる。若布の油炒めの描写は名人芸である。長袖を着るんですよ、

 

とどや顔で、ちょっと言っているところが目に浮かぶよう。ここで

 

問題になってくるのが、死ぬ前に、なにを食べるのか問題だ。ぼくは

 

すごくうまいカレーライスか、お茶漬けがいいなあ、ということに

 

相成った。いや、日本蕎麦もいいなあ、と向田女史のようになかなか

 

決まらない。けど、マズいものは食べたくはない、ということだけ

 

は確かなようだ。

 

         (読了日 2022年11・22 19:16)

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お八つの時間    向田邦子    

2022-11-11 10:16:13 | 向田邦子

「もの食う話」所収    「銀座 百点」昭和51年6月号

 

 

向田邦子はほとんど読んだが、これも読んだのだろうが、記憶には

 

なかった。当時の風景が甦るようにわかって、ほほえましい。父上が

 

カルメ焼きを焼いてくれるのだが、兄弟四人そろわないと機嫌が悪い。

 

母上にたのまれて、しぶしぶ並び、「これは邦子のだ」マジメくさって

 

言うので、私も仕方なく、「ハイ」などと、なるべく有難そうに返事

 

する、とある。

 

邦子さんは生涯結婚していなくて、ガンも末期だったらしいのだが、

 

飛行機事故で亡くなった。

 

この小品は、幼少のときの思い出が語られている。文学というのが

 

こういうところが、すごいなあ、とおもうところである。

 

         (読了日 2022年10・21 12:10) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隣りの女     向田邦子

2019-01-16 15:59:20 | 向田邦子
文春文庫   昭和56年


隣りの女、幸福、胡桃の部屋、下駄、春が来た、の五編


を所収した短編集。


隣りの女は、昭和56年5月1日にNYでロケが行われた


ものが放送されたそうです。


隣りの女、はアパートの隣の女が自殺しようとしたりする


はなし。


胡桃の部屋は、家計をしょって立つ女の不幸話。


下駄は、下駄を履いて、出前に来る男が腹違いの弟だった


と言う話し。


春が来た、は、見栄をはった道子がひょんなことから、ホント


の家の様子がバレて、フラれると思ったら、恋人は毎週のように


遊びに来るようになった。それにつれて、ハハも色気づき、女の


家庭がパッと明るくなった、でも、最後はフラれて、母親も死ん



じゃうんだよねえ。どっちかっていうと悲劇かな。まあ、向田作品は


一概に喜劇とか悲劇とかいえないところに魅力があるんだけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向田邦子全集 新版10 エッセイ六 女の人差し指

2018-02-04 12:33:47 | 向田邦子
文藝春秋。


汲取り屋はいつからみなくなったのだろう。ボクが



子どものとき、七十年代はまだあったような気がする。


八十年代に入ってからみなくなったのかもしれない。


クソをするのが人間である、ということを忘れそうに


なるときがあるくらいだ。クソがクサいことも怪しく



なるくらいだが、たまにすごくクサくて、はっとさせら


れる。



それが人間の堕落の始まりなのかもしれない。



このエッセイ集の途中で飛行機事故にあわれて、亡くなっ


ている。


まだまだ作品を楽しめたのにと思うと、惜しむ気持ちが


先に立つ。悲しい、というよりだ。


ボクは向田女史を本でしか知りえないわけだから、それは



当然と言えば当然なことなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向田邦子全集 新版8 エッセイ四 霊長類ヒト科動物図鑑

2018-01-27 11:03:55 | 向田邦子
文藝春秋。


ボクはこの「霊長類~」というタイトルは日本人という



枠組みを外して人間的スケールからみた人間本来の味と



いうか、性質をむき出しにさせようという、試みだと思う。


人間のしでかすこまかな失敗に目を向け、それをユーモア


にかえる。


それが向田作品における醍醐味である。いやー、これ、オ



レだけじゃなかったんだな、って感じである。それは、中



国人やアフリカ人だってあるはずじゃないの、と向田さん



はいうはずである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向田邦子全集9  エッセイ五  夜中の薔薇

2018-01-21 10:49:40 | 向田邦子
若布の油いためはちょっとおいしそうである。若布を油でいため



かつぶしと醤油を入れるという。油が跳ねるので要注意だ。と再三



向田女史は注意する。


脚本の中に木を入れるのをためらうのは、おカネがかかるのもあるが



、大事なのは育ち大きくなるところにあり、それが怖くて書くことが



できない、と告白する。



寺内貫太郎の母では、そのキャラづくりの手が語られる。四十年代中



ごろに書かれたものらしいが、そのスタイルは確立されていて、文章



のキレも往年のものと変わりがない。



若書きと言ったものがないのである。このひとの好奇心が、そのスタ



イルを生んでいる、と思うのだが、きっとすぐに飽きちゃうんだろうな、


と思う。



読むのも、瞬時に読めてしまうし、飽きが来ることがない。




興味があっちに行ったり、こっちに行ったり忙しいひとなんだろうなあ、



ということをうかがわせる。




















































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無名仮名人名簿    向田邦子

2018-01-19 08:46:53 | 向田邦子
文藝春秋。


最後になるエッセイの猫の想像妊娠には驚かされる。猫の


話しでラブシャワー、マーキングをいたすというのがあるが


、昔は去勢はしなかったのかなあ、はなはだ困るではないか、



と思った。


お弁当の話しもよくでてくる。自身のは男の弁当であるというが、男



の弁当ってなぜか茶色だよな。



万年筆の話しもこの時代手書きだったろうて、なるほどなあ、と。



3号まで万年筆があり、1号を本妻とよんでいた。それも



使いつくした捨てる一歩手前のヤツを使うんだそうである。



よくかかれる話しで、贈答品をすぐ見たがる父の血を受け継いで



、見たくなる、っていうやつ。おれっちは別に見たくならないかなあ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向田邦子全集5(新版)エッセイ 父の詫び状

2018-01-09 19:21:31 | 向田邦子
文藝春秋。



向田さんが乳がんになったことでなにか書き残そうと



思い立って、書かれたのが本書である。



眼の大きな少女がいろいろなことにときめいている



姿が思い浮かぶ。卵を一万個たべた計算になるとかか


れていたが、おれっちも一万五千個はたべているなあ、と思


い、そんなこと考えたこともなかった、と思った。



戦前の日本の現風景がみえてくるようでである。


それはすごくいい風景であったり、わるかったりする。


カレーライス、もとい、ライスカレーは今のほうがおい



しいだろうしなあ。父上のこと、弟、妹、のことがつつ



がなく描かれていて、向田さんの屈託のないお姿が浮か



びあがってくる。



ちょっとした友人の話を聞いているようであった、す


ごくいいときを過ごせた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠る盃    向田邦子

2017-12-28 11:44:46 | 向田邦子
講談社文庫。


「荒城の月」の一節を眠る盃とまちがえて覚えていた、



という少女時代の回想。



向田さんはいいなあ、と感慨にふけっている。



水ようかんをなぞらえて、いつまでもあるものはおいしい



と感じない、期間限定だからいいのだ、というのは、た



しかに向田さん自身のことを表しているなあ、と思う。



その一冊を愛せよ、というのは作家にとって、貴重な言葉



だろう。



大量生産されてゆくモノを憂いていらっしゃったのだろう。



僕らはつぎつぎに新しいものがあらわれてくる、ということに



慣れすぎているのではないか。



ひとつのことにこだわって、愛し続けることも、必要なのでは、



という提言と受け取った。



これで、片付けができれば、最高の女だったのになあ、とつらつ



らと思うのだった。


                       (鶴岡卓哉)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする