人は世界のなりゆきを、ストーリーでとらえようとする
物語は人生を救うのか (ちくまプリマー新書) | |
千野 帽子 | |
筑摩書房 |
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世界を解釈し理解するためにストーリーがあった方が、
人は幸福だったり、生きやすかったりします。
実話とは?
そして虚構とは?
偶然と必然って?
私たちの周りにあふれているストーリーとは何でしょう?
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先に「人はなぜ物語を求めるのか」という同著者の本を読んでいたので、
続編のこの本も手に取りました。
表題の「物語は人生を救うのか」と言うより、
実話とは? 虚構とは? 偶然と必然とは?と言うところに重きがあるように思いました。
人は実話よりもフィクションの方に「ほんとうらしさ」を求める。
人がフィクションに求める「ほんとうらしさ」とは、じつのところ「必然性」と呼ばれるものにすぎない。
フィクション内の偶然は時にご都合主義として批判される。
「事実は小説よりも奇なり」と言うが、人が小説に「奇」ではないことを要求しているだけの話。
・・・なるほど、その通り。
そしてさらには、
歴史の中で生き残ってきたものがあると、
人は運や偶然よりもそこに必然性(淘汰されなかった理由)を後づけしたがる。
人はうっかりすると、現実世界のなりゆきにも必然性を求めてしまう。
そんなわけで、人は世界のなりゆきを「原因→結果」とか、「動機→行動」と行った因果関係のストーリーでとらえようとするのです。
そのストーリーをどう作るかが問題なんですね。
単一のストーリーに縛られると自責的あるいは他責的に思考してしまう・・・ということで、
「物語は人生を救うのか」の答えは、物語の作り方による、と言うことになりそうです。
どのようなストーリーを作っても起こってしまったことを変えることができないならば、
自分や誰かを責めるようなストーリーでないほうが良さそうです。
図書館蔵書にて
「物語は人生を救うのか」千野帽子 ちくまプリマー新書
満足度★★★☆☆