市教育/(財)岡山市埋蔵文化財センターより、湊茶臼山古墳 現地説明会の案内が発表されました。
湊茶臼山古墳(岡山市湊)は操山(みさおやま)丘陵南部の標高100m地点に、山の起伏を利用して土を盛って造られた前方後円墳で、墳長約125m、後円部径約60m(高さ約10m)、前方部長約65mと言われてきていました。
この古墳の築かれた当時は、南側に広がる水田地帯は海であり、海上交通路を意識して立地されているようです。
これまでに、葺石が確認されており、円筒埴輪や家形埴輪が採集されています。
市教育委文化財課は、9月1日から発掘調査を行い、調査の結果、全長約120m、後円部径約65m、前方部幅約60mを確認したとしています。
前方部の北側に方形壇状の遺構の存在を確認しているようです。調査範囲からは円筒埴輪などの埴輪類が出土したとしていますが、これは今回なのかあるいは今までのことかはわかりません。
埴輪の特徴から、4世紀末~5世紀初頭の築造としてします。これまで、3世紀後半~4世紀後半としていましたが、若干新しくなる要素があったのかと想定されます。
[現地見学会]
日 時: 平成20年 11月 22日(土) 13:30~
場 所: 湊茶臼山古墳 (岡山市湊地内)
[参考:岡山市埋蔵文化財センター、9/2岡山日日新聞]
操山丘陵および周辺の主要な古墳を築造順に並べると、
網浜茶臼山古墳(全長92m)、操山109号墳(74m)、神宮寺山古墳(150m)、湊茶臼山古墳(120m)、金蔵山古墳(165m)
となります。このうち、最初の2つの古墳は特殊器台形埴輪が出土しているので、3世紀後半から4世紀前半の築造だと考えられています。
[参考:「吉備の大型古墳の展開と性格」/岡山市教育委員会・安川満]
湊茶臼山古墳(岡山市湊)は操山(みさおやま)丘陵南部の標高100m地点に、山の起伏を利用して土を盛って造られた前方後円墳で、墳長約125m、後円部径約60m(高さ約10m)、前方部長約65mと言われてきていました。
この古墳の築かれた当時は、南側に広がる水田地帯は海であり、海上交通路を意識して立地されているようです。
これまでに、葺石が確認されており、円筒埴輪や家形埴輪が採集されています。
市教育委文化財課は、9月1日から発掘調査を行い、調査の結果、全長約120m、後円部径約65m、前方部幅約60mを確認したとしています。
前方部の北側に方形壇状の遺構の存在を確認しているようです。調査範囲からは円筒埴輪などの埴輪類が出土したとしていますが、これは今回なのかあるいは今までのことかはわかりません。
埴輪の特徴から、4世紀末~5世紀初頭の築造としてします。これまで、3世紀後半~4世紀後半としていましたが、若干新しくなる要素があったのかと想定されます。
[現地見学会]
日 時: 平成20年 11月 22日(土) 13:30~
場 所: 湊茶臼山古墳 (岡山市湊地内)
[参考:岡山市埋蔵文化財センター、9/2岡山日日新聞]
操山丘陵および周辺の主要な古墳を築造順に並べると、
網浜茶臼山古墳(全長92m)、操山109号墳(74m)、神宮寺山古墳(150m)、湊茶臼山古墳(120m)、金蔵山古墳(165m)
となります。このうち、最初の2つの古墳は特殊器台形埴輪が出土しているので、3世紀後半から4世紀前半の築造だと考えられています。
[参考:「吉備の大型古墳の展開と性格」/岡山市教育委員会・安川満]