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歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

滋賀・紫香楽宮跡 門籍木簡 出土

2008年11月18日 | Weblog
 甲賀市教委が18日、紫香楽宮(しがらきのみや)(742~45年)があったとされる滋賀県甲賀市の宮町遺跡から、宮殿の門を出入りする官人をチェックする「門籍(もんじゃく)木簡」が出土したと発表した。今回の調査地は「朝堂地区」から約150m東北方向の場所。
 門籍とは宮殿の警備を定めた奈良時代の宮衛令(くえいりょう)に定められた制度で、官人それぞれに出入りできる門が決まっており、官位と姓名を書いた札を門で照らし合わせ、合致すれば通行できる仕組みだったとされる。
 出土した門籍木簡は長さ17.7cm、幅2.5cm、厚さ5mm。表側に「申外西門籍 □ 多治比□」、裏側に「道道道□□□曽□」(□は解読不能)と墨書されている。縦に2つに割れており、片方の下部は焼けている。
 「申」は方向を示すため後に書き加えられ、「外西門」が門の名称、宮中の南西の方角に門があったと想定され、これまでに見つかっている朝堂前殿などの主要な建物を囲み、複数の門を備えた塀があった可能性が出てきたとする。紫香楽宮より古い藤原宮や平城宮は三重の門や塀で仕切られ、門籍制があったことが分かっている。宮町遺跡では朝堂跡などは見つかっているが内裏跡は確認されておらず、今回の木簡の出土場所周辺が内裏だった可能性があるという。
多治比□は人名と考えられる。裏面は筆跡がまったく違っており、表面の文字との関連は不明という。
 出土したのは、94年にも聖武天皇や光明皇后とかかわる「御炊殿(みかしきどの)」と書かれた木簡や、「御厨(みくりや)」と書かれた墨書土器などが見つかっており、天皇皇后の食事を調理した部署と考えられている場所で、門籍木簡以外にも、「止己呂(ところ)」(ヤマイモの一種)や「梨」、「栗」、「家伊毛(いえついも)」(サトイモの別称)、「心太(ところてん)二古」といった食材名などが書かれた木簡12本が出土した。
 門籍木簡はこれまで平城京と藤原京の9例以外に出土例がなく、離宮のイメージが強い紫香楽宮が、都市として機能していたことがはっきりしたとしてする。
 出土木簡は19~22日の午前9時半から午後4時半まで、同市信楽町宮町の宮町遺跡調査事務所で一般公開される。
[参考:産経新聞、共同通信、京都新聞、毎日新聞、甲賀市HP→「史跡紫香楽宮跡(宮町遺跡)出土木簡の発表」 ]
「紫香楽宮」は本格的な都城か…「門籍」示す木簡が出土(読売新聞) - goo ニュース

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木簡に書かれている「止己呂」(ところ)は山芋(ヤマイモ)、「家伊毛」とは家芋(イエツイモ)とも呼ばれる里芋(サトイモ)のことか。

万葉集 巻7-1133に
皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 弥常敷尓 吾反将見 (作者不明)
すめろきの、神の宮人(みやひと)、ところづら、いや常敷(とこしく)に、我れかへり見む
(意:皇祖の神に仕える宮人たる私は冬薯蕷(ところ)の蔓(つる)のように末長くくり返して吉野を見て賛美しよう。)
注:冬薯蕷(ところ)は山芋で冬に採食。

万葉集 巻9-1809に菟原処女が墓を見る歌一首 (作者 高橋虫麻呂)でも、
冬蔚蕷都良(ところづら) (注:蔚の寸は刃) が使われている。

万葉集 巻16-3826に
荷葉(はちすば)を詠める歌
蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之 (作者不明)
蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麿(おきまろ)が 家なるものは 芋(うも)の葉にあらし 
(意:蓮の葉とはこのようにこそあるもの。意吉麿の家にある蓮の葉は芋の葉のようです。)
注:「芋」は里芋か。葉はやや蓮の葉に似ている。
[原文、和訳、意、注は『万葉集』中西進編(講談社文庫)を参照]

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浜松・中屋遺跡 2004年に出土した「黒漆螺鈿鞍鞍」を公開

2008年11月18日 | Weblog
 県埋蔵文化財調査研究所は17日、「中屋遺跡」(浜松市浜北区根堅)から国内で唯一出土した、「黒漆螺鈿鞍(らでんくら)」と呼ばれる13世紀末の鎌倉時代の鞍を保存処理し、報道陣に公開した。
 螺鈿鞍は、人や荷物を牛馬の背中に乗せるために使われた鞍に、美しい貝殻などの装飾が施されたものを指し、平安から江戸時代にかけて作られた。今回の鞍には黒漆が3回塗り重ねられたことも分かり、黒漆螺鈿鞍と名付けられた。
 同研究所によると、鎌倉時代の螺鈿鞍は全国で13例ほどあるが、いずれも寺社や大名などに宝物として所蔵されてきた伝世品で、遺跡出土品としてはこれが唯一という。
 この螺鈿鞍は、第二東名建設に伴う中屋遺跡の発掘調査(2001-05年)で04年12月、河川に築かれた鎌倉時代の護岸施設跡の地下約0・5mからほぼ完全な形で発見された。前輪(まえわ)、後輪(しずわ)、居木(いぎ)という部材を組んだ構造で、前輪の一部が欠けている以外はほぼ完全な状態。鞍の下からまじない用の呪符(じゅふ)木簡と矢竹(やだけ)の束が発見されたため、同研究所は護岸整備の際、地鎮などの儀礼に伴って埋められたと推測している。
 前輪、後輪の厚みに段差があり、前輪の肩部分の手形と呼ばれるくぼみなどが中世鞍の典型的な特徴を備える。貝を使った装飾である螺鈿は残ってないが、螺鈿がはめ込まれていたとみられる文様の窪みを25カ所確認した。現存する他の螺鈿鞍と比べ、細工の細かさなどは劣るが、より普及していた螺鈿鞍の特徴を表しているという。漆の摩耗もあり、実際に使用されていたことがうかがえる上、後世に修復された可能性もないため、鎌倉時代の姿をそのまま残す稀有な資料という。
 同研究所は22日に、中屋遺跡を含む7つの遺跡の調査報告会を同研究所(静岡市駿河区谷田)で行い、同鞍を一般公開する。その後、12月5日まで所内に展示する。
[参考:中日新聞、静岡新聞、静岡県埋蔵文化財調査研究所]
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近江八幡市・出町遺跡 古墳時代前期の舟形木製品など出土

2008年11月18日 | Weblog
 近江八幡市はこのほど、出町遺跡(同市出町)で、祭祀に用いたとみられる舟形木製品の木器片6点や、多数の土器が出土したと発表した。
 丸木舟を模したとみられる木器片は、全体では長さ約50cm、幅約5cm程度とみられ、古墳時代前期の川底跡から見つかった。全面に模様を施した高さ約9cmの土師器ほか、ミニチュア土器も数10点出土した。
 同市地域文化課は水辺で祭祀が行われ、道具が捨てられたのではないかとみている。
 市役所1階ロビーで、8日から12月1日まで、舟形木製品1点と土器約30点を展示する。
[参考:京都新聞]
[前出]
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