奈良時代に皇太子の住居などがあったとされる平城宮跡東院地区(奈良市佐紀町)で、中枢部へ向かう通路の横から奈良時代後半(8世紀後半)の大型井戸の跡が見つかった。調査した奈良文化財研究所によると、井戸は役所の中など便利な場所にあることが多く、こうした例は珍しいという。光仁天皇の楊梅宮(ようばいきゅう)だった時期にあたり、メーン通路に接することから、神社の手水(ちょうず)のような施設かもしれないとしている。
昨年10月からの調査で、中枢部の北西に当たる位置で、幅約15mの東西方向の通路が見つかった。井戸はその通路のすぐ北にあり、約1・8m四方の木枠が残っていた。高さ約26cm、厚さ約6cmの板を組み合わせた「せいろ組み」の構造で、下から3段目までが出土した。深さは約1・4m、当初は約2mだったとみられる。板の内側を美しく整えるなど、丁寧に仕上げてあった。上部の板は抜き取られていた。周囲には柱穴があり、井戸を取り囲むように建物が建っていたとみられる。
[参考:奈良新聞、毎日新聞、朝日新聞]
昨年10月からの調査で、中枢部の北西に当たる位置で、幅約15mの東西方向の通路が見つかった。井戸はその通路のすぐ北にあり、約1・8m四方の木枠が残っていた。高さ約26cm、厚さ約6cmの板を組み合わせた「せいろ組み」の構造で、下から3段目までが出土した。深さは約1・4m、当初は約2mだったとみられる。板の内側を美しく整えるなど、丁寧に仕上げてあった。上部の板は抜き取られていた。周囲には柱穴があり、井戸を取り囲むように建物が建っていたとみられる。
[参考:奈良新聞、毎日新聞、朝日新聞]