歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

姫路市・姫路城下町跡 江戸時代の町屋跡を初確認 地鎮に使われた銅銭の痕が残る礎石も発見

2010年04月29日 | Weblog
 姫路市埋蔵文化財センターは28日、姫路市元塩町の姫路城下町跡で江戸時代の町屋跡を初めて完全な形で確認したと発表した。調査地点は江戸時代の西国街道と中堀(現在の国道2号)に挟まれた地域で、古くから町場が形成された場所という。町屋の商売は不明だが、19世紀に調査地周辺を描いた絵図をみると、当地には商家が軒を連ねており、賑やかな場所であったことがわかり、当時の町屋の構造がわかる貴重な発見としている。
 町屋の範囲は調査区全域にまたがり、西国街道に面した間口は東西9m以上で、奥行き13mの建物には土間や生活空間があった。土間には商売に用いたらしい10カ所の甕跡もあった。建物裏には奥行き28mの敷地があったらしく、井戸やごみ穴、中堀への排水路が見つかった。また、鍛冶に用いたらしい製鉄くずや大量の灰も出土した。
 17世紀前半の礎石の中で1カ所、直径2.3cmの銅銭の形がはっきりと付いた礎石が見つかった。柱を立てる時に、工事の無事などを祈って礎石と木材の間に挟んだらしく、金属の錆で石に形がくっきり残っていた。付近には寛永通宝十数枚があったほか、金属片を置いたらしい礎石2個も見つかった。
 また、「塩町 かざりや」と朱書きされた伊万里焼の皿なども見つかった。
 現地説明会は、5月1日午後1時半から開かれる。
[参考:読売新聞、毎日新聞、姫路市HP]

町屋跡、完全な形で発見…姫路・城下町遺跡(読売新聞) - goo ニュース
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奈良県田原本町・多遺跡 奈良時代の祭祀用とみられる銅鏡が出土

2010年04月29日 | Weblog
 田原本町教委が1~3月に実施した田原本町多(おお)の多遺跡の調査で、奈良時代のものとみられる銅鏡1枚が見つかった。一帯は古事記を編纂した太安万侶を輩出した多氏の根拠地で、多氏ゆかりの多神社の信仰にかかわる貴重な資料の可能性があるとしている。
 見つかった銅鏡は直径5・1cm、厚さは2mm。中国・唐で盛んに作られ、国内に持ち込まれた海獣葡萄鏡を模造したもので、表面は鋳放しのまま研磨されていなかった。鈕もあったが、穴は塞がったままであり、実用として用いられた形跡はないとしている。
 奈良時代の鏡は、寺院の地鎮のために埋められたり、祭祀に使われていたことから、今回の銅鏡も祭祀用に作られたとみられる。多神社は、平安時代に編纂された律令の施行細則「延喜式」に名前が残る大きな神社だった。しかし、これまで古代祭祀にかかわる遺物は確認されていなかった。
 銅鏡は、唐古・鍵考古学ミュージアム(同町阪手)前で開催中の「発掘速報展」で5月23日まで展示される。
[参考:毎日新聞、唐古・鍵考古学ミュージアムHP]
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