大阪市中央区瓦町の大坂城下町跡の下層で、8世紀末~9世紀初めの緑釉陶器の破片が、市博物館協会の発掘調査で出土した。
「火舎(かしゃ)」と呼ばれる特殊な火入れで、全国で十数例しか知られていない。
破片(縦9cm、横7cm)は東西5・4m、南北4m以上の建物跡で出土。海辺に近く、瓦の破片もあったことから、建物跡は難波津にかかわる公的施設の可能性があり、火舎もそこで使われたとみられる。
破片は火舎の上部に当たり、復元すると大きさは口径約20cm、高さ約25cmとみられる。内側には火を受けた痕跡があり、胴に鍔(つば)を巡らせた羽釜とセットにして、湯を沸かしたらしい。
同協会は「遣唐使が中国から喫茶の風習を伝えたとされる時期にあたり、茶道具の可能性がある」としている。大安寺旧境内、平城京跡(奈良市)などから、奈良時代末~平安時代初め頃の緑釉陶器の火舎が出土しており、茶道具である可能性が高いとされていた。
[参考:読売新聞、第27回平城京展「出土品に見る奈良のやきものと暮らし」H21.11.2発行奈良市埋蔵文化財調査センター]
「火舎(かしゃ)」と呼ばれる特殊な火入れで、全国で十数例しか知られていない。
破片(縦9cm、横7cm)は東西5・4m、南北4m以上の建物跡で出土。海辺に近く、瓦の破片もあったことから、建物跡は難波津にかかわる公的施設の可能性があり、火舎もそこで使われたとみられる。
破片は火舎の上部に当たり、復元すると大きさは口径約20cm、高さ約25cmとみられる。内側には火を受けた痕跡があり、胴に鍔(つば)を巡らせた羽釜とセットにして、湯を沸かしたらしい。
同協会は「遣唐使が中国から喫茶の風習を伝えたとされる時期にあたり、茶道具の可能性がある」としている。大安寺旧境内、平城京跡(奈良市)などから、奈良時代末~平安時代初め頃の緑釉陶器の火舎が出土しており、茶道具である可能性が高いとされていた。
[参考:読売新聞、第27回平城京展「出土品に見る奈良のやきものと暮らし」H21.11.2発行奈良市埋蔵文化財調査センター]