歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

正倉院宝物「椰子実」に丹念な表現と墨書文字、国内か中国で加工

2010年04月22日 | Weblog
 宮内庁正倉院事務所が21日、ココヤシの実に人面を描いた正倉院宝物「椰子実(やしのみ)」から、丹念な顔の表現や、「白目是」とみられる墨書が確認されたと発表した。これまでは容器と考えられていたが、人面は落書き程度ではなく、丁寧に作られており、お面や像のように鑑賞目的だった可能性も考えられるという。
 椰子実は、直径11・8cm、高さ10・6cm、重さ170gの容器。発芽孔を直径3cmに丸く切り開き口にし、子房跡2カ所を目に見立て、八の字の眉や瞳を描き加えていることは以前から肉眼で確認されていた。
 今回赤外線カメラで撮影したところ、目の部分は天然のくぼみを少し削って中心に瞳を描き、周囲に白色顔料を塗って白目を表現。表面のひだを鼻に見立てて小鼻や鼻腔を墨線で描き、口の両脇には皺をなぞって、ひげのような複数の短い線があったことが分かった。さらに成分分析で全体から水銀が検出され、かつて朱色の顔料が塗られていた可能性が出てきた。
 底部に「是 白 目」と読める3文字が確認されたが、意味は不明。
 白色顔料に鉛が含まれていたことから、ヤシの原産地ではなく、中国か日本で加工されたとみられる。
 正倉院の宝庫に納められた経緯は不明だが、鎌倉時代の宝物の点検記録(注1)に記載があり、それ以前に宝庫に納められたとされる。
 調査結果は正倉院紀要32号に掲載されている。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]

(注1) 建久四年(1193)の宝庫の開検目録に「海髑子」の記載がある。「海髑子」は『和名類聚抄』ではヤシと読み、海底に住む貝の類で、神霊を含み、髑髏(どくろ)に似て鼻や目があり、人をみると海中に没すると説いている。[参考:奈良国立博物館HP]

過去のニュース・情報
 2009.4.24 守山市・下之郷遺跡 正倉院の宝物「椰子実」そっくりのココヤシ製人面付き容器

正倉院宝物「椰子実」、鼻やひげがあった(読売新聞) - goo ニュース
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平泉町・無量光院跡 池跡に水張り 庭園を再現

2010年04月22日 | Weblog
(写真は水を張る前の無量光院跡)
 世界遺産登録を目指す「平泉」の構成資産の一つ、特別史跡無量光院跡は20日、池跡に水をたたえ、かつての浄土庭園の雰囲気が再現された。
 無量光院は奥州藤原氏三代秀衡が宇治の平等院をモデルに建立し、スケールの大きい浄土庭園として知られる。水を張ったのは中島と本堂跡を取り囲む約1・5ヘクタール。深さは約20cmで当時とほぼ同じとされる。水が入ったことにより、地面とは異なり庭石が引き立った。水面に背景にある金鶏山などが映り、往時の一端をしのばせている。
 ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)の現地調査の際、池跡に水を張って説明した方が分かりやすいと、町が今月16日から試験的に池跡に農業用水を引き入れ、試験的に取り組んだ。25日まで池の状態を維持する。
[参考:河北新報、岩手日報、朝日新聞、IBC岩手放送]

過去の関連ニュース・情報
 2008.10.4 平泉・無量光院跡 古い溝跡 導水路か

無量光院跡 水張り実験 イコモス調査へ景観再現 平泉(河北新報) - goo ニュース
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茨城県美浦村 信太入子ノ台遺跡 「佛」「冨」「志太」などと書かれた墨書土器が出土

2010年04月22日 | Weblog
 美浦村教委は21日、同村信太で実施している信太入子ノ台遺跡(しだいりこのだいいせき)の調査結果を発表した。
 同遺跡は、JRAトレーニングセンターの乗馬苑移設に伴う発掘調査で、昨年10月から始まった。
 調査の結果、遺跡からは縄文時代から平安時代までの竪穴住居跡33件が見つかったほか、縄文時代前期後半の土器や弥生時代後期の土製紡錘車などが出土した。
 平安時代のものとみられる「佛」「冨」「志太」などと書かれた墨書土器が見つかった。火葬した骨を納めた「蔵骨器」や「鉄鉢形土器」が出土したほか、掘立柱建物跡も見つかっていることから、村落内寺院があったのではないかとしている。
 また、村内では2例目という「志太」と書かれた墨書土器が出土していることから、旧信太郡(現在の牛久市、阿見町、旧江戸崎町の一部)につながる当時の志太郡の中心地だった可能性があるとみている。
 現地説明会が4月25日(日)午前10時〜正午に開催される。(雨天中止) 場所 信太入子ノ台遺跡 (トレセン美駒寮横)
[参考:産経新聞、美浦村・広報みほ 平成22年4月号]



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