枚方市教委が12日、同市牧野本町の九頭神(くずかみ)廃寺(7世紀中頃~9世紀中頃)で昭和初期に出土したスペード形の銅板が、塔の先端部分の飾り「水煙」の破片だったことが分かったと発表した。銅板には「大阪府北河内郡殿山町大字阪 九頭神廃寺出土 昭和六年七月」と書かれたラベルが張られており、発見者が記録したらしい。
水煙の破片は長さ17cm、最大幅8cm。九頭神廃寺が9世紀中頃に廃絶したことから、それ以前につくられたと考えられる。
スペード形の水煙は法隆寺五重塔(7世紀末)、当麻寺西塔(8世紀末~9世紀初め)に現存するが、出土例としては全国初。
水煙は炎の形が一般的。今回の破片や法隆寺、当麻寺のものは特異な形で、塔の創建当初から残された可能性があるという。
[参考:共同通信]
過去の関連ニュース・情報
■2005.10.4九頭神廃寺 奈良時代の倉庫「倉垣院」跡が見つかる
枚方市文化財研究調査会が4日、飛鳥時代に創建されたとみられる九頭神廃寺で、寺域の北西隅から奈良時代(8世紀)の掘立柱建物跡が4棟見つかったと発表した。古代寺院の倉庫で、奈良・東大寺の正倉院に相当する「倉垣(そうえん)院」跡とみられる。
倉庫跡はいずれも床面積約16㎡、南北に整然と並んでいた。米などを保管していたらしい。すぐ西側に築地塀跡があり、倉庫群を垣で囲っていたらしい。倉垣院は南北45m、東西15m以上の規模だったとみられる。
また寺の西を区画する大垣の跡も見つかり、寺域が140㎡だったことも分かった。
九頭神廃寺は7世紀後半に渡来系氏族が創建したとされ、これまでの調査で塔跡などが見つかっている。
[参考:共同通信、読売新聞]
■2005.10.7九頭神廃寺 ベンガラが付着した瓦の破片が出土、朱塗り・瓦葺の西門跡か
九頭神廃寺で、赤色顔料のベンガラ(酸化鉄)が付着した瓦の破片5点が出土したことが6日、わかった。朱塗りの華麗な門があったと推測できるとしている。
瓦片は、最大で長さ17cm、幅15cm。西側の築地塀跡の内側にあった溝(幅2・5m、深さ60cm)からまとまって見つかった。溝のすぐ外側にあったとされる西門の屋根瓦とみられ、裏側が赤く、破片の数も少ないことから、瓦を葺いて柱などにベンガラを塗った際に付着したらしい。西門の西約200mが、寺院を造営したとみられる豪族の居館跡にあたり、居館からよく見える場所に門を設けていたことになる。
[参考:読売新聞]
水煙の破片は長さ17cm、最大幅8cm。九頭神廃寺が9世紀中頃に廃絶したことから、それ以前につくられたと考えられる。
スペード形の水煙は法隆寺五重塔(7世紀末)、当麻寺西塔(8世紀末~9世紀初め)に現存するが、出土例としては全国初。
水煙は炎の形が一般的。今回の破片や法隆寺、当麻寺のものは特異な形で、塔の創建当初から残された可能性があるという。
[参考:共同通信]
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■2005.10.4九頭神廃寺 奈良時代の倉庫「倉垣院」跡が見つかる
枚方市文化財研究調査会が4日、飛鳥時代に創建されたとみられる九頭神廃寺で、寺域の北西隅から奈良時代(8世紀)の掘立柱建物跡が4棟見つかったと発表した。古代寺院の倉庫で、奈良・東大寺の正倉院に相当する「倉垣(そうえん)院」跡とみられる。
倉庫跡はいずれも床面積約16㎡、南北に整然と並んでいた。米などを保管していたらしい。すぐ西側に築地塀跡があり、倉庫群を垣で囲っていたらしい。倉垣院は南北45m、東西15m以上の規模だったとみられる。
また寺の西を区画する大垣の跡も見つかり、寺域が140㎡だったことも分かった。
九頭神廃寺は7世紀後半に渡来系氏族が創建したとされ、これまでの調査で塔跡などが見つかっている。
[参考:共同通信、読売新聞]
■2005.10.7九頭神廃寺 ベンガラが付着した瓦の破片が出土、朱塗り・瓦葺の西門跡か
九頭神廃寺で、赤色顔料のベンガラ(酸化鉄)が付着した瓦の破片5点が出土したことが6日、わかった。朱塗りの華麗な門があったと推測できるとしている。
瓦片は、最大で長さ17cm、幅15cm。西側の築地塀跡の内側にあった溝(幅2・5m、深さ60cm)からまとまって見つかった。溝のすぐ外側にあったとされる西門の屋根瓦とみられ、裏側が赤く、破片の数も少ないことから、瓦を葺いて柱などにベンガラを塗った際に付着したらしい。西門の西約200mが、寺院を造営したとみられる豪族の居館跡にあたり、居館からよく見える場所に門を設けていたことになる。
[参考:読売新聞]