歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

韓国・益山・弥勒寺址 石塔下から百済時代製作の鎮壇具が多数出土

2010年04月17日 | Weblog
 国立文化財研究所は16日、全北益山の弥勒寺址石塔(미륵사지석탑)の下から、百済時代に製作されたと推定される遺物27種290点余りが出土したと発表した。
 百済時代の弥勒寺址石塔(国宝11号)の基壇部発掘調査で出土した遺物は、土製螺髪(나발、高さ約1.5cm)89点、金銅装飾片、金箔、ガラス玉、女性用頭装飾品の青銅後簪(カンザシ、뒤꽂이、長さ8.3cm)(注1)、青銅玉などの青銅製品、護身用小刀子、金釘等で多様。
 これら遺物は、塔や建物の崩壊を防止して災を予防するために地中に埋める供養品としての鎮壇具(地鎮具)であったものとみられる。
 研究所は、これら遺物の性格と昨年出土した舎利壮厳具との関係ついて深く研究を継続する計画だとしている。
 研究所は昨年1月石塔を解体補修する過程で百済武王王侯が作った舎利奉安記、舎利荘厳具を発見している。
[参考:聨合ニュース]

(注1) 写真を見ると、二又に分かれた青銅製のもので、채(釵)と呼ばれるカンザシの形である。新羅の雁鴨池(7世紀後葉)でも似たようなものが出土している。弥勒寺は舎利奉安記の記録では639年建立であるから、雁鴨池のものより古い。

過去の関連ニュース・情報
 2009.4.27益山市 弥勒寺 金銅製舎利壺を開封
 2009.1.25益山市 弥勒寺址 解体中の石塔心柱から金製舎利具などを発見
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宇治市・宇治遺跡 平安後期の寝殿造の建物跡が見つかる

2010年04月17日 | Weblog
 宇治市教委が16日、宇治市街遺跡(宇治市)から平安後期(11世紀中ごろ~12世紀中ごろ)の貴族邸宅の回廊跡や池を伴う庭園跡の一部が見つかったと発表した。藤原氏の別荘とみられ、摂関時代には「寝殿造(しんでんづくり)」だったことが初めて裏付けられた。 宇治市街遺跡は中宇治地区にある古墳時代から江戸時代に至る集落遺跡。
 見つかった回廊跡は、幅2.1m、長さ8.5m。直径30~40cmの柱穴8つが2つずつ対になって南北に伸びていた。回廊に沿う形で遣水(やりみず、幅1.5m)跡があり、北側の池跡につながっていた。
回廊跡の西側には、平等院の阿字池と同じ小石敷きの池(深さ0.5m)を伴う庭園跡があり、池跡は南北10m、東西7m分を確認し、さらに広がるという。
 平安京の貴族の邸宅は、寝殿から伸びる2つの回廊の間に、池を伴う庭園を配置する「寝殿造」で、今回の回廊跡や庭園跡も同様の配置であった。市教委は、池底にあった土師器から11世紀半ばに建てられ約100年間使われたとし、宇治一帯に広大な領地を持っていた藤原氏の別荘と判断した。
 一方、平安京の貴族の邸宅はいずれも南向きであるのに対し、今回見つかった別荘跡は北向きという異例の構造のため、巨椋池(おぐらいけ)や比叡山などが望める景観美を優先した、あるいは当時の上皇などとの権力闘争が背景にうかがわれる推測している。
 現地説明会は17日午後1時~3時に行われる。
[参考:京都新聞、産経新聞、読売新聞]
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