県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は22日、国の特別史跡・一乗谷朝倉氏遺跡(福井市城戸ノ内町)で、16世紀(室町時代後期)のガラス工房跡と、ガラス玉など計156点が出土したと発表した。
室町時代の遺跡から工房跡やガラス玉、製造途中の「溶解ガラス」が大量に見つかったのは国内で初めて。
工房跡は城下町南側の上級武家屋敷の敷地内で、新たな柱の礎石が見つかったことから判明した。この建物跡は間口約9m、奥行き3.6m。ガラス玉90点と、加工途中で鉛と混ざった状態の溶解ガラス65点が同時に出土。原材料の石英や加工に使う鉛、ガラスを磨く砥石、ほかに炉跡(直径約40cm)、鞴(ふいご)の「羽口」とみられる土製品、ガラスを巻き付けて玉に加工した際に使ったとみられる細い鉄製器具も見つかった。
ガラス玉は直径2・5~4・5mmで中心に穴があいており、水色、緑、紺、白などが多く、色が混在するものもあった。
礎石の間隔から建物の規模は縦約10m、横約7mだったとみられる。工房内の北東付近には直径約40cmの炉跡のくぼみがあり、中には炭が残っていた。材料を溶かす皿状の土器「坩堝(るつぼ)」は見つかっておらず、原材料の由来も分かっていない。
国内のガラス製造は飛鳥時代(6~7世紀)に確認されているが、平安時代以降は衰退。室町時代の遺跡では過去に首里城跡(沖縄県)、浪岡城遺跡(青森県)で溶解ガラスが確認されたことがあるが、工房跡は見つかっていない。室町時代に仏像の首飾りや仏具に使われたガラスは、大陸からの輸入品だったと考えられていた。中世の日本のガラス製造は「空白期間」だったとする通説を覆す発見としている。
今回、工房跡とガラス玉が同時に出土したことから、金工などの高い工芸技術を持っていた朝倉氏の下に製造拠点があった可能性が高いという。
[参考:共同通信、福井新聞、産経新聞、読売新聞]
室町時代の遺跡から工房跡やガラス玉、製造途中の「溶解ガラス」が大量に見つかったのは国内で初めて。
工房跡は城下町南側の上級武家屋敷の敷地内で、新たな柱の礎石が見つかったことから判明した。この建物跡は間口約9m、奥行き3.6m。ガラス玉90点と、加工途中で鉛と混ざった状態の溶解ガラス65点が同時に出土。原材料の石英や加工に使う鉛、ガラスを磨く砥石、ほかに炉跡(直径約40cm)、鞴(ふいご)の「羽口」とみられる土製品、ガラスを巻き付けて玉に加工した際に使ったとみられる細い鉄製器具も見つかった。
ガラス玉は直径2・5~4・5mmで中心に穴があいており、水色、緑、紺、白などが多く、色が混在するものもあった。
礎石の間隔から建物の規模は縦約10m、横約7mだったとみられる。工房内の北東付近には直径約40cmの炉跡のくぼみがあり、中には炭が残っていた。材料を溶かす皿状の土器「坩堝(るつぼ)」は見つかっておらず、原材料の由来も分かっていない。
国内のガラス製造は飛鳥時代(6~7世紀)に確認されているが、平安時代以降は衰退。室町時代の遺跡では過去に首里城跡(沖縄県)、浪岡城遺跡(青森県)で溶解ガラスが確認されたことがあるが、工房跡は見つかっていない。室町時代に仏像の首飾りや仏具に使われたガラスは、大陸からの輸入品だったと考えられていた。中世の日本のガラス製造は「空白期間」だったとする通説を覆す発見としている。
今回、工房跡とガラス玉が同時に出土したことから、金工などの高い工芸技術を持っていた朝倉氏の下に製造拠点があった可能性が高いという。
[参考:共同通信、福井新聞、産経新聞、読売新聞]