歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

朝来市池田古墳 後円部北側外縁部の葺石が見つかる

2010年11月19日 | Weblog
 朝来市教委は18日、但馬で最も大きい全長141mの前方後円墳、池田古墳(同市和田山町平野)で、墳丘の大きさを確定する手がかりとなる外縁部の葺石が見つかったと発表した。
 葺石は後円部北側の墳丘の裾に位置し、墳丘を取り巻く周濠の内側で見つかった。長さ約6m、幅約2mの範囲に、直径15~50cmの川石が数百個並んでいた。円筒埴輪などの破片数百点も出土した。
 池田古墳は5世紀前半に丘陵の斜面を使って3段に築かれ、周囲は盾形の堀を巡らせている。
 現地説明会が20日(土)午前10時半から開かれる。
[参考:毎日新聞]

過去の関連情報・ニュース
 2009.10.30 池田古墳 墳丘東側の造り出しから第2段目葺石部までを調査中、11月3日に現地説明会
 2009.2.20 池田古墳 水鳥形をした子持ちの鳥形埴輪出土
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栗東市・十里遺跡 出土した木簡が飛鳥時代 「出挙」の一部であることを確認

2010年11月19日 | Weblog
 1999~2000年の栗東市教委の発掘調査で十里遺跡(じゅうりいせき)から出土した木簡(縦41・8cm、横2・3cm)が、飛鳥時代7世紀後半、稲を利子付きで貸し付けた「出挙(すいこ)」の帳簿の一部だったことがわかった。
 その後の調査で、「上稲四百廿四束 稲下十」という文字が判読できた。「稲424束を奉る」と読め、刃物のようなもので刻まれているため、墨か筆が手元になく急いでメモをしたのだろうと推測している。
 一緒に木簡3点が見つかっており、うち1点に「乙酉(きのととり)年(685年)四月一日」の日付と、「勾連(まがりのむらじ)」という在地豪族とみられる名前が書いてあった。
 建物跡も確認されており、在地豪族の居館が、『評(こおり)』の下部の役所『里』などとして使われていたのではないかとみている。
 奈良文化財研究所飛鳥資料館(明日香村)で開催中の特別展示「木簡黎明(れいめい)―飛鳥に集ういにしえの文字たち」で今月19~28日に展示される。
[参考:読売新聞]
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橿原市・藤原宮跡 7世紀後半の運河跡が見つかる 

2010年11月19日 | Weblog
 奈良文化財研究所が18日、藤原宮(694~710年)跡で造営時の資材運搬に使ったとみられる7世紀後半の運河跡などが見つかったと発表した。
 「朝堂院」の広場(朝庭)を調査し、運河本流(幅4・5~7・5m)を30m分と、北東方向に枝分かれする支流(幅4~6m)を15m分確認した。運河は北に延びており、総延長は550m以上になる。
 運河は埋め立てられ、東西や南北方向の溝が3時期にわたって設けられていた。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース
 2008.9.29 藤原宮跡 宮殿造営の運河跡発見 資材を牛馬で運ぶ跡も
 2007.10.7藤原宮跡 運河は朝堂院まで続いていた
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慶州市・錫杖洞 超大型の青銅器時代区画墓を発掘

2010年11月19日 | Weblog
 新羅(BC 57-935年)が建国される何百年前の青銅器時代後期に、慶州に大きな勢力を持つ集団がいたことを現す、超大型区画)が発掘された。
 鶏林文化財研究院は18日、慶北 慶州市錫杖洞を調査した結果、石棺墓1ヶ所と火葬墓とみられる竪穴遺構1ヶ所がある青銅器時代の区画墓(경주 석장동 구획묘)を見つけたことを発表した。
 区画墓は死体を埋葬した墓周辺に、(楕)円形、あるいは(正)方形石築壇を積み上げて墓域を作った古墳をいう。
 発見された区画墓は、死体を直接埋葬した石棺墓を盛土上部に作り、その周辺を囲んで方形石築壇を積んだとみられる。石築壇の東西方向は両端が現れ長さが43mと確認されたが、全体は調査対象地域外まで延びたため確認できなかった。これまでに発見された青銅器時代区画墓である昌原東邑徳川里1号支石墓(南北56.2m、東西17.5m)に次ぐ大きさ。
 さらに、区画墓内部中心から西方寄りの地点では墓壙平面形状が円形の石棺墓が発見され、その中から「ㅍ」字形石棺が確認された。
 また、石棺墓から西約2.2mの地点からは、破壊が大きく原形が分かり難い平面方形とみられる竪穴遺構(残存規模、東西2.16m、南北1.75m)が発見された。そこからは、木炭が東-西方向で並んで置かれ、その対面では人骨片が発見された。火葬墓の可能性があるとしている。
[参考:聨合ニュース]
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