歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

御所市・秋津遺跡 塀の部材? 先端が尖った杭が出土

2010年11月27日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が24日に発表したばかりの古墳時代前期(4世紀前半)の秋津遺跡(御所市)で、先端が尖った杭が出土したと読売新聞が報じた。
 杭は、塀で囲まれた区画内にある井戸跡から6点出土し、うち2点(残存の長さ32cmと48cm、直径約5cm)は、先端が尖っていた。杭の形状から、塀の部材とみられる。
 現地説明会は28日(土)午前10時~午後3時に開催され、杭も展示される。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.11.24・秋津遺跡 4世紀前半最大級の施設群が見つかる
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坂戸市・町東遺跡4区 東山道武蔵路の道路遺構?が出土

2010年11月27日 | Weblog
 坂戸市教委は同市戸宮町東の「町東遺跡4区」から、奈良時代の東山道武蔵路と特徴が酷似した道路遺構が見つかったと発表した。
 東山道武蔵路は七世紀後半から八世紀後半まで使用されていたと考えられており、群馬県太田市付近で東山道の本道から分岐して、武蔵国府までを結んだと推定されている。町東遺跡は、南北にほぼ直線に延びるこの推定ルート上にある。
 道路遺構は、路面の両側に側溝が掘られており、溝間の幅約10m。所沢市の東の上遺跡で発見されている東山道武蔵路の側溝と同様に粘性の高い土(ローム)が塗られていた。東の上遺跡の約16km北の八幡前・若宮遺跡(川越市)では、「駅長」と墨で書かれた土器が出土している。また、近くの女堀遺跡でも東山道武蔵路とみられる遺構が見つかっている。
 町東遺跡から北に約2kmの推定ルート西側には、県内最古・最大の古代寺院跡とされる勝呂廃寺(七世紀後半~十世紀)がある。
[参考:東京新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2008.12.4 太田市 上強戸遺跡群 奈良時代の大型車輪部材が東日本で初出土
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光明皇后発願一切経の一部「出曜経」を確認

2010年11月27日 | Weblog
 大阪大総合学術博物館(大阪府豊中市)は26日、奈良時代天平8年(736)に光明皇后が主導して始まったとされる写経事業、「光明皇后発願一切経」の一部で「出曜経(しゅつようきょう)」第4巻の末尾2枚縦26.6cm、横68.5cmが確認されたと、報道関係者に公開した。
 事業で写された計約7000巻のうち約1000巻が現存するとされ、うち750巻は宝物として正倉院で保管されている。今回見つかった経典は天平14(742)年に作られ後世に散逸したもので、保存状態も良く、「正倉院宝物級の貴重な文化財」という。
 経典は来年5月1日から約2カ月、大阪大で一般公開される。
[参考:産経新聞、毎日新聞]
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山梨県富士河口湖町河口の「西川遺跡」 奈良~平安時代の「塩の道」に別ルート

2010年11月27日 | Weblog
 山梨県富士河口湖町河口の「西川遺跡」で、奈良~平安時代(8~9世紀)の土師器や須恵器などの破片が50点出土し、そのうち、製塩に使用されたとみられる3点が確認された。深さ約10cmのコップ型をしていたと推定されるという。
 甲斐国への塩の流通経路はこれまで富士川に沿った経路と考えられていたが、県東部の富士山麓で製塩土器が初めて見つかったことで、「塩の道」がほかにも存在した可能性が出てきたという。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
2009.6.5 山梨日日新聞
 富士河口湖町教委が西川遺跡で行っている調査で、「川」の字が書かれた奈良時代8世紀の墨書土器が出土した。現在も使われている地名「河口」の河を意味しているとみられる。
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岐阜県養老町・象鼻山古墳群 弥生後期築造の2基を新たに確認、同古墳群の築造は2世紀に集中

2010年11月27日 | Weblog
 養老町教委は24日、同町橋爪の象鼻山(ぞうびさん)古墳群の第5次発掘調査で、同古墳群が2世紀中ごろから後半に大規模な造成をした上で、計画的に一斉に造られた遺跡であることが分かったと発表した。
 同古墳群は、濃尾平野の西端にある象鼻山(標高142m)の山頂周辺に70基の古墳が確認されている。今回の調査は、山頂から直線で約200m離れ、標高の低い2つの古墳を発掘。20号墳は16m四方の方墳であり、36号墳は20m×17mの方墳であることを確認し、出土した壺と鉢などの土器から2世紀中頃から後半にかけての築造と分かった。いずれも大規模な整地をした後に盛り土して墳丘を造っていた。
 山頂周辺では、この2基とほぼ同時期に造られた5基の古墳が確認されており、最も北に位置する1号墳(前方後方墳、3世紀後半)を例外として、同時期に同じ方法で築造されていた。
 濃尾平野を中心とする広範な地域の複数の集団が、実力者を埋葬する共同墓地として利用した可能性が高いという。
 現地説明会が27日(土)午後1時から開かれる。
[参考:岐阜新聞、中日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.5.19 象鼻山古墳群 2世紀後半の方墳と円墳を発掘調査

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福岡県久山町・首羅山遺跡 12世紀の高麗青磁印花文方形香炉の破片が出土

2010年11月27日 | Weblog
 久山町教委は、中世の山岳寺院の遺構がある首羅山(しゅらさん)遺跡(同町久原)の発掘調査で、「高麗青磁印花文方形香炉」(12世紀前半)の破片が出土したと発表した。
 大規模な寺院があったとされる基壇の西側で、香炉の縁や底の部分など約10点、最大5cmの破片が発掘された。 昨年度の調査で約2cmの破片が一つ見つかっていたが、今回の新たな出土で、香炉の全体像が確定された。 繊細な文様と翡翠色の上薬で彩られた、当時の技術の粋を集めた一級品という。
 韓国にある高麗王邸の瓦を製作していた窯跡でも類似した破片が出土しており、町教委は寺院が東アジアの中で重要な位置を占め、優れた品を集める力を持っていた証しと分析している。
 現地説明会が28日(日)午前9時半から現地で開かれる。
[参考:2010.11.25西日本新聞、福岡県HP]

過去のニュース・情報
 2010.5.19首羅山遺跡 これまでに見つかったものより約100年古い山岳寺院建築物の基礎部分を発見
 2009.5.17首羅山遺跡 山岳寺院の遺構確認


2012.11.16 追記
 首羅山遺跡が、新しく国の史跡に指定されることになりました。
 年に一度の首羅山遺跡見学会が11月23日(祝)9時30分より開催されます。
  集合場所は、白山神社(JRバス山の神バス停下車徒歩3分)
[参考:久山町HP]
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