歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

安芸高田市・甲立古墳 県内最古の家形埴輪片?が出土

2010年11月20日 | Weblog
 安芸高田市教委が9月から発掘調査を進めている前方後円墳・甲立(こうたち)古墳(同市甲田町上甲立)の前方部頂上付近の中心から十字に表土を発掘したところ、3カ所で1辺10~15cm、厚さ1cmの形象埴輪片10点が見つかった。筋状の模様や形から、県内最古の出土例とされる4世紀後半の家形埴輪の屋根の一部と推定。今後、市教委が解析して確認する。
 現地説明会が、21日(日)午前10時、午後1時半の2回開かれる。
[参考:中国新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.10.7 甲立古墳 測量と部分発掘調査を実施
 2009.11.22 甲立古墳 広島県内で3番目に大きい前方後円墳が見つかる
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木津川市・椿井遺跡 6世紀前半の横穴式石室を持つ円墳が2基見つかる

2010年11月20日 | Weblog
 京都府教委は19日、木津川市山城町の椿井遺跡で、古墳時代後期(6世紀前半)の横穴式石室を持つ円墳が2基見つかったと発表した。
 円墳はそれぞれ、直径が約16mと約13m。いずれも盗掘などのために横穴式石室のほとんどが破壊されていたが、大きい方の円墳から、石室の側壁と奥壁の一部が残り、碧玉製の管玉8点と、鉄鏃が見つかった。
 発掘現場付近には古墳時代後期の古墳群が点在し、狛氏の氏寺とされる高麗寺跡にも近いため、この地域で勢力を持っていた渡来系の狛(こま、高麗)氏に関連する墓の可能性もあるという。
 現地説明会が21日(日)午前10時半から開かれる。
[参考:産経新聞]
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鳥取県南部町・境矢石遺跡 弥生時代前~中期の区画溝に囲まれた埋葬施設跡が見つかる

2010年11月20日 | Weblog
 米子市教育文化事業団埋蔵文化財調査室が18日、南部町境の境矢石遺跡(さかいやいしいせき)で弥生時代前~中期の埋葬施設跡19基と、弥生後期~古代の集落跡が見つかった発表した。
 埋葬施設の一部は長さ15~18m、幅約2.5m、深さ約0.9mの溝に3方を囲まれていた。溝特定の集団と他の墓を区別するためとみられる。溝に囲まれた弥生前期の埋葬施設は県内に例がなく、山陰で一番古いと思われるという。
 弥生後期~古代の集落跡からは竪穴住居跡30棟や掘立柱建物跡12棟が見つかった。竪穴住居跡から吉備地方の土器と似た壺も出土し、交流があったとみられる。
 現地説明会が20日(土)午後1時から開かれる。
[参考:産経新聞、朝日新聞]
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米原市・能仁寺遺跡 15世紀の京極氏第7代高詮の菩提寺か

2010年11月20日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会は19日、米原市清滝の能仁寺遺跡(のうにんじいせき)で、室町時代の守護大名・京極氏の第7代高詮(たかのり)(1352~1401)の菩提寺とみられる15世紀の寺院跡が見つかったと発表した。
 京極氏代々の墓がある清滝寺(きよたきでら)徳源院(とくげんいん)の南隣約3900㎡で、仏堂の基壇とみられる区画(南北12.5m、東西14m程度)が確認され、当時、寺院で使われたとみられる瀬戸焼の香炉、陶器、飾り金具、瓦、土器類などが出土した。この区画につながる東側では山門跡とみられる礎石が見つかり、さらに山門から伸びる粘土で舗装した参道(長さ17m)とこれに沿って自然石を積んで垂直に築かれた石垣(長さ14m、高さ1.5m)が見つかった。
 高詮の戒名に「能仁寺」が含まれることなどから、高詮の菩提寺だったとみられる。
 中世に建てられた守護大名の菩提寺は少なく、守護大名と菩提寺とのかかわりがわかる資料としている。
 現地説明会は23日(火・祝)午後1時半から開かれる。
<京極氏>
 京極氏は近江源氏として知られる佐々木氏の一族。平安後期から近江地方に勢力を持ち、鎌倉時代に京極、六角など4家に分裂。室町幕府成立に尽くし、高詮の代に幕府の重鎮となった。
[参考:読売新聞、共同通信、びわ湖放送]
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南相馬市・横大道遺跡 横大道製鉄遺跡が国史跡指定へ 文化審議会が答申

2010年11月20日 | Weblog
 国の文化審議会は19日、奈良時代から平安時代にかけての製鉄所の遺跡である南相馬市小高区の「横大道製鉄遺跡」を新たに史跡に指定するよう文部科学相に答申した。
 遺跡は、全体では20ヘクタールほどの広さがあるが、去年までに調査を終えたおよそ1ヘクタールが、国史跡に指定されることになるそうだ。
 特に、半円状に築いた土塁に製鉄炉を集中的に構築した「環状盛土遺構」は全国でも珍しい。
 このような製鉄遺跡が国史跡に指定されるのは全国で「瀬田丘陵生産遺跡群」(滋賀県)に次いで国内2例目、東日本では初めてとなる。
[参考:福島民法、NHKニュース、毎日新聞、福島民友ニュース]

コメント
 「横大道製鉄遺跡」との名称について、正式名称なのか不明であるし、横大道遺跡の一部を指すのか、あるいは近隣の舘越遺跡を含めた横大道製鉄群の一部を指すのかも不明。
 毎日新聞の記事が、最も納得できる記事になっており、「舘越遺跡」を分けているし、「横大道遺跡」との名称のままで記載している。

過去の関連ニュース・情報
 2009.7.16横大道遺跡 新たに平安時代の製鉄炉が出土
 2008.11.14舘越遺跡 東北最大級の木炭窯跡 製鉄拠点か
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