奈良・平安時代の郡衙の跡である「三軒屋遺跡」(伊勢崎市上植木本町)の第16次調査で、斜めに掘られた穴の遺構「斜め注穴」が見つかった。27日には現地説明会が開かれ、約120人が参加した。
同遺跡一帯は奈良、平安時代に佐位郡(広瀬川以東の伊勢崎市の区域)と呼ばれた。2005年には八角形の正倉の跡が全国で初めて確認された。1030年頃に書かれた「上野国交代実録帳」の記載と一致し、文献通りの郡衙の遺構とわかった。
今年度行われている第16次調査で、発掘された八角形の正倉の東側数10mの地点で、斜め柱穴を伴う2つの竪穴状遺構が確認された。ともに北西、南西コーナーに約45度斜めに掘り込まれた柱穴(深さ約1・3m)があった。
斜め注穴は、幢竿(どうかん)と呼ばれる旗を立てて儀式を行ったというのが通説になっている。
同種の遺構は全国で武蔵国分尼寺(東京都)、上総国分寺(千葉県)、下野薬師寺(栃木県)に続いて4例目で、郡衙跡での発見は初めてという。
[参考:東京新聞、毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
2005.7.6
「三軒屋遺跡」の発掘調査で、奈良時代を中心に上野国佐位郡の郡衙跡から、八角形をした倉跡が全国ではじめて発見された。
八角形の正倉は、東西約14m、南北約15mの大きな高床式建物跡で、地面を一度掘り下げて版築を施してあり、礎石の跡が34箇所確認されている。
文献史料「上野国交替実録帳」(1030年)の中にある「八面甲倉」の記載と一致していることが確認された。
[参考:共同通信、伊勢崎市HP]
同遺跡一帯は奈良、平安時代に佐位郡(広瀬川以東の伊勢崎市の区域)と呼ばれた。2005年には八角形の正倉の跡が全国で初めて確認された。1030年頃に書かれた「上野国交代実録帳」の記載と一致し、文献通りの郡衙の遺構とわかった。
今年度行われている第16次調査で、発掘された八角形の正倉の東側数10mの地点で、斜め柱穴を伴う2つの竪穴状遺構が確認された。ともに北西、南西コーナーに約45度斜めに掘り込まれた柱穴(深さ約1・3m)があった。
斜め注穴は、幢竿(どうかん)と呼ばれる旗を立てて儀式を行ったというのが通説になっている。
同種の遺構は全国で武蔵国分尼寺(東京都)、上総国分寺(千葉県)、下野薬師寺(栃木県)に続いて4例目で、郡衙跡での発見は初めてという。
[参考:東京新聞、毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
2005.7.6
「三軒屋遺跡」の発掘調査で、奈良時代を中心に上野国佐位郡の郡衙跡から、八角形をした倉跡が全国ではじめて発見された。
八角形の正倉は、東西約14m、南北約15mの大きな高床式建物跡で、地面を一度掘り下げて版築を施してあり、礎石の跡が34箇所確認されている。
文献史料「上野国交替実録帳」(1030年)の中にある「八面甲倉」の記載と一致していることが確認された。
[参考:共同通信、伊勢崎市HP]