橿原市教委が25日、今年3月30日に、2段構造の方墳ないし八角形墳の可能性が高くなったとした同市の国史跡・菖蒲池古墳(7世紀半ばごろ)が約30mの方墳と分かったと発表した。また、築造からわずか数十年後の藤原京期(7世紀末~8世紀初頭)に古墳の一部が人為的に破壊されていたことも判明したという。
石室の南西約20mで下段墳裾の隅部分を検出した結果、直角に加工した一辺約70cmの基底石が配置され、西辺と南辺は幅約30cmの石を直線的に並べていた。上段は、石室の北東約10m地点で長さ約3.3mにわたって直線的に並ぶ基底石8個を確認。上段も方形と断定した。
また、墳丘西側2mで、古墳の一部を破壊して造った石組み溝が見つかった。幅約30cm、深さ約30cm、長さ約2.5mで、南北に水を流したと考えられる。溝から藤原京期の土器、付近からは鉄屑、鞴(ふいご)の羽口などが出土し、古墳築造から遠くない藤原宮期(694~710)に鋳造などの工房が営まれた可能性があるという。
同古墳の横穴式石室は家形石棺二つを直列に安置。屋根や柱などの写実的な表現や、内面に施された全面漆塗りなどから、高位の人物と考えられていた。
市教委は、古墳がぞんざいに扱われており、大化5(649)年に謀反の疑いを受けて自害した蘇我倉山田石川麻呂と長男の興志(こごし)の合葬墓とする説にやや有利な要素になるという。
現地説明会は27日午前10時~午後3時に開かれ、650人が集まった。
[参考:共同通信、奈良新聞、産経新聞](2010.11.28改正版)
過去の関連ニュース・情報
2010.3030菖蒲池古墳 墳丘本体を初めて発掘調査、墳丘裾で石列が出土
石室の南西約20mで下段墳裾の隅部分を検出した結果、直角に加工した一辺約70cmの基底石が配置され、西辺と南辺は幅約30cmの石を直線的に並べていた。上段は、石室の北東約10m地点で長さ約3.3mにわたって直線的に並ぶ基底石8個を確認。上段も方形と断定した。
また、墳丘西側2mで、古墳の一部を破壊して造った石組み溝が見つかった。幅約30cm、深さ約30cm、長さ約2.5mで、南北に水を流したと考えられる。溝から藤原京期の土器、付近からは鉄屑、鞴(ふいご)の羽口などが出土し、古墳築造から遠くない藤原宮期(694~710)に鋳造などの工房が営まれた可能性があるという。
同古墳の横穴式石室は家形石棺二つを直列に安置。屋根や柱などの写実的な表現や、内面に施された全面漆塗りなどから、高位の人物と考えられていた。
市教委は、古墳がぞんざいに扱われており、大化5(649)年に謀反の疑いを受けて自害した蘇我倉山田石川麻呂と長男の興志(こごし)の合葬墓とする説にやや有利な要素になるという。
現地説明会は27日午前10時~午後3時に開かれ、650人が集まった。
[参考:共同通信、奈良新聞、産経新聞](2010.11.28改正版)
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