初詣を終え、大宮駅までお散歩をする途中、見つけた灯籠である。 左側の露店のテントにじゃまされて、真正面から撮影できなかった。 一番下が大谷石だが、その上の3段には細かく人名(?)が刻まれている。 | |
碑文は以下のようである。 文化十四年丁丑十一月吉日 御井垣之内村〃其外近遠氏子信心中 大宮神主角井駿河守物部惟臣門人中 |
文化文政って、日本史で勉強した。氷川神社の神主さんは、角井(かどい・つのい?)駿河守。後はわからないので、家に帰ってから調べてみた。
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角井は、「つのい」と読む。
文化14年は西暦では1817年から1818年をまたぐ年である。グレゴリオ歴では1817年2月16日が、ユリウス暦では1816年2月17日が文化14年元日。文化14年11月は、どちらも1817年である。
ほぼ200年前の灯籠のようだ。江戸幕府は50年間将軍を務めた、11代家斉の時代である。
碑文についてはよくわからないので、ネットで検索をかけてみたところ、かなりくわしくまとめられているウェブサイト(下記)を見つけた。氷川神社の近所に住んでいるのに、知っていることなんてホントにわずかである。
知らないことに出会えるのは、楽しいことだ。
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温故知新(新しいウインドを開きます。)
http://homepage3.nifty.com/orimoto/
このウェブサイトの「歴史散歩」~「氷川神社と大宮宿を歩く.24」にくわしい。ウェブマスターは、元県立高校の先生のようだ。
なお、サイトの記載事項によれば、僕が撮影したのは背面(裏側)。春先、お花見のころににもう一度きちんと見に行こうと思う。