生徒の名前が読めません。 こんなことが最近目立つ。 |
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女優の武井咲さんが「咲」で「えみ」なのを知った時はインパクトがあった。でも、こんな例がある。
「絵美」をどう読む。
「絵美」さんは、同僚や生徒で普通に見かける名前である。最近「子」がつく例は減少しているが、「絵美子」もめずらしくはない。では、この「絵美」を「えみ」以外にどう読むことができるか。何と、「えぃみ(=Amy)」と読む例を知っている先生がいた。
・・・僕には読めない。
でも、「何と」なんて、おどろいてはいけないのかもしれない。
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昼食時、最近の生徒諸君の名前が読めないのは、『僕ら先生たちの国語力がないから』ではない。それは認めがたい。でも、何かが足りないから読めないのだということになった。
『保護者の感覚がおかしい』のではない。おかしい、おかしくないは時代が決める。自分たちの親・祖父母世代の名前をみれば、時代と共に日本人の名前は大きく変わることは自明のことだから。主観的見方をさけよう。そんな前提で考えてみようということになった。
・・・さすが公務員の先生集団である。真面目である。
何かが僕たちには足りない。ではそれは何だ。何かが違うのか。喧々諤々とまでは言わないが、真面目な議論好き集団である。ひょっとしてそれは、「想像力」ではないかということになった。保護者と僕たちの想像力、イマジネーションの基準が異なる。保護者の持つそれらが、僕たちにはない。だから読めないのではないか。
。。。どうだろうか。