小学生のころ、私も他の男の子と同じように鉄道少年であった。
親から借りたポケットカメラを持って国鉄の天王寺駅や大阪駅、南海なんば駅などに出かけては電車や貨物列車の写真を写したものだ。
今も一部の写真が残っているが、何を撮っているのやらフィルムの無駄遣い以外の何ものでもない代物ばかり。
でも、一コマ一コマにおさめられたピンボケぼこぼけの特急列車や消え入りそうな蒸気機関車、木造の湘南型電車は人に見せるには躊躇するものの、なかなか味があるものでもある。
鉄道少年の私として最も乗ってみたかったのが、先週末にその最期を迎えたブルートレイン。
当時は特急富士が最長の営業距離数を誇っていて、それに是非とも乗ってみたいと思っていたのだった。
その営業区間は東京~西鹿児島。
一昼夜かけて走破するその長距離と、寝台のついた車両にあこがれていたが、ついに乗ることはなかった。
考えてみれば寝台列車に意味がなくなってずいぶんと時間が経過してしまっていたような気がする。
たとえば名物寝台急行だった銀河。
深夜前に東京または大阪を乗車して、明け方に大阪または東京に到着するのは、ほとんど意味がなくなっていた。
銀河を利用するのと朝一番の新幹線を利用するのと対して違いはなくなっていたからだった。
さらに長距離でも同じこと。
朝一番の飛行機を利用すれば、主要都市間は朝一番に到着することができるようになっていた。
「ブルートレインがなくなるのは寂しいですね」
と言う、鉄道ファン。
寂しい気持ちはわからなくはないが、勝手な言い分にも思える。
第一、その鉄道ファンが実際にブルートレインを利用したことがあったかどうだか。
なぜなら鉄道ファンの多くは私の小学生時代と同じ、乗ることもない車両を見て、遠い地方を思い描くことも楽しみにしているからだ。
夜行列車に乗りたければ大阪からはトワイライトエキスプレス。
上野からは北斗星。
どちらも豪華を競う寝台特急。
予約をとるのさえ難しい人気夜行列車が走っている。
ロマンを求めるにはこちらの方が数段上に違いない。
ということで、私も最初に利用した寝台列車はミャンマーのヤンゴンとマンダレーを結ぶダゴンマン列車になったのは、時代の必然性か。
ブルートレイン。
乗りたい人は、なんでも聞くところによるとタイへ行くと中古車両が走っているそうなので、それを利用してはいかがだろう。
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