映画「ギャラクシー・クエスト」はTVシリーズ「ギャラクシー・クエスト」を遥か彼方の宇宙で見ていた異星人が「本当のこと」だと信じ込んで、それを信奉し、現実化して地球に助けを求めてやってくる、というスタートレックのファンダムをそのままパロディにしてしまったような超良質なコメディなのであった。
ここで問題なのは「TV番組」を「本物」と思っていたという設定で、実はこれが現在の大河ドラマの最も大きな「罪」ではないかと最近考えるようになった。
なんといってもNHKの大河ドラマは歴史上の事実を下地にした長編連続時代劇で、見ているものの多くが、
「ほんまにこんなんやったやろね」
と思ってしまう。
それほどの重厚さがあり、現実味がある。
放送しているのがYoutubeではなくNHKというところにも真実味があるのだ。
ところがこの歴史劇。
とんだ空想時代劇であることを多くの人は実感せずに見過ごしているのだ。
単なる娯楽。
根底は往年のTV時代劇「水戸黄門」となんら変わらないものであることに気づいていない。
このため大河ドラマを見た子どもたちが、
「歴史はこんなんだったのだ」
と思い込む怖さがある。
例えば「戦前の日本は非民主的な侵略国家だった」と教えていた一時期の歴史教育のような悪弊を含んでいる。
みんなが選挙で選んだ内閣が今も偏向報道で定評のある朝日新聞などマスメディアに圧されて戦争に突っ走った事実は無視されている。
そんな感じなのだ。
この「大河ドラマ=空想歴史ドラマ」と私が気づいたは「龍馬伝」を観ていた頃で、私もNHKドラマのマジックに催眠術を掛けられていたのだ。
龍馬伝の最初の方の1シーンで江戸の不清潔な市場や通りが描かれていたのが衝撃敵で、当時来日した外国人が記した日本の印象とはことごとく異なり、中国か韓国のような日本を描いた脚本家は何を考えているんだ!と思った時なのであった。
その頃、ラジオで件の脚本家が出演し、
「私は歴史に興味がなくって、幕末維新にこんなことがあったんだ、と後で知りました」
というような意味合いのことを述べていて、
「なんじゃ?!こりゃ?」
と怒るのを通り過ぎてNHKのドラマ制作の質の程度にびっくりしたのであった。
ということで、本編を観るまでもなく今年の大河ドラマ「どうする家康」。
ますます空想は広がり幻想の大河が流れているようで。
どうするどうする。