萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第66話 光望act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-18 23:24:03 | 陽はまた昇るanother,side story
自由、行方の先に



第66話 光望act.3―another,side story「陽はまた昇る」

見上げた空は晴れ、薄雲が白い。

懸垂下降は岩場より足元が楽、けれど炎熱に煎られる。
下っていく隊舎の壁は真昼の太陽が照り返し、遮る蔭も無いまま背から熱い。
フェイスマスクの狭間にも汗伝う、その足元から昇らす熱暑に突入服は内から濡れてゆく。

―山の訓練は涼しいぶん楽だけど、こっちのが足場はずっと楽、

もう馴れたザイルを繰りながら奥多摩の訓練が懐かしい。
英二と光一の自主訓練を共にさせて貰った、あの経験がこんなふうに今活きてくれる。
天然の岩壁、いわゆる「本チャン」から始めたお蔭で、装備の重量があっても人口壁には不安が少ない。
そんな実感ごと訓練に集中する片隅から、また父の軌跡ひとつ見えてくる。

『その本は部活の先輩から貰ったんだよ、この本を書いたのは私の先生でな、その先輩のお父さんなんだ』

田嶋教授が話してくれた「部活」は山岳部のこと、そして「先輩」は父を指す。
大学でも山岳部の父ならば懸垂下降も得意だったろう、それも射撃の名手なら父の進路は当然の帰結になる。
けれど、その帰結を招いた過程こそが異様に想えてしまうまま、父の後輩が語った事実が疑問を呼ぶ。

『進学しないで警察官になられたよ。先輩は優秀な射撃の選手でな、それで湯原先生の友達で警察庁にいた方から勧められたんだ、
 国家一種は締め切ってたけどな、警視庁の採用試験には間に合うからって受験したんだ。オリンピックにも射撃の選手で出ていたよ…
 先輩は本当に英文学を愛してる人だと改めて思えて、大学に戻ってくれって私は言ったんだ。でも、ただ笑って私にこの本を渡したんだ』

なぜ父は、進学しなかったのだろう?

オックスフォード大学への留学は叶わなくても、母校の大学院に進む方が自然だろう。
もし経済的理由だとしても父なら助手を勤める話があった、それは田嶋が「戻ってくれ」と言った事から解かる。
なにより父の寄贈書たちに遺された濃やかな注釈、あのブルーブラックに綴る筆跡が父の才能を雄弁に語らす。
それなのに警視庁でノンキャリアの警察官になったことは、過去の現実を知るほど納得がいかない。

『湯原先生の友達で警察庁にいた方から勧められたんだ…警視庁の採用試験には間に合うからって受験した』

父親の友人に勧められたから警察官になる、そんな決断を父がするだろうか?

父は英文学者として信念の強い人だった、それは田嶋教授の話だけではなく自分が知る父の姿にも解かる。
幼い日に父が英国詩から文学を手ほどきしてくれた、その記憶にある父の笑顔は幸せに充ちていた。
いつも文学を伝える喜びを大切にしていた、それなのになぜ信念を曲げて警察官になった?

『先輩は優秀な射撃の選手でな、それで湯原先生の友達で警察庁にいた方から勧められた』

射撃の選手だった、だから祖父の友人が勧めた。
そんな勧誘だけで父が英文学の情熱を棄てられるとは、自分には想えない。
質量とも豊かな蔵書コレクションを遺したラテン語も遣う文学者、そんな実像と結末は似合わな過ぎる。

―山岳部で射撃の選手なんて、ここに配属されるなら似合い過ぎる人材だけど…あ、

廻らす思案に呼吸止めかけて、ひとつの呼吸に集中を戻す。
マスクに吐息は籠って熱い、その熱ごと思案を飲みこんで周太の足は地面に着いた。
すぐに隊列へ戻り真直ぐ前を見る視界、ひときわ素早いムーブメントで一人下降してくる。
突入服の黒い姿は壁面をすべり降り地面へ着くと、あざやかに身を翻し隊列に並びこんだ。
その顔もマスクとヘルメットに覆われて識別は出来ない、けれど擦違った眼差しでもう解る。

―すごいな箭野さん、たぶん一番速いよね、

素直な賞賛と見る背中は端正に佇んで動じない。
その後姿に疲労は無いまま空気は凪ぐ、こんな冷静も箭野は明るい。
機関拳銃を装備した長身は伸びやかにも規律正しくて、そんな先輩が率直に羨ましくなる。

―やっぱり背が高いってかっこいいな、見た目も機能もやっぱり羨ましいよね?

箭野の身長は180cm位あるだろう。
細身でも筋肉バランス良い高身長は発射の衝撃にも動じない。
さっきの屋外射撃訓練でも箭野は全弾的中、疾走しながらでも外さなかった。
どうしても体力勝負の世界では体躯の優位が影響して、けれど警察組織には「例外」も存在する。

Special Assault Team 特殊急襲部隊「SAT」

そこでは任務の現場条件と特殊性から身長170cm前後の制限がある。
テロリスト制圧が主務のSATはハイジャックなど室内現場も多い、そして相手は銃火器を携行するケースが大半となる。
そうした現場では大柄だと狭い現場への侵入は困難、それ以上に高身長は銃器の標的にもなりやすく危険が高い。
もし自分も身長が大きければSATへの入隊可能性は無かった、そんな現実と見る先輩の背に思考が息呑んだ。

―そういえばお父さんの身長って、いくつあったの?

いま見つめる背中よりは小さかったろう、けれど170cm前後だったろうか?

―ううん、もっと大きかった気がする…少なくっても今の俺よりは大きいよね、だって下駄の大きさが違う、

父の愛用した下駄には、あわい足の痕が遺される。
その下駄を履くとき痕は自分の足を受けとめるよう大きくて、なんだかいつも温かい。
そんなふう見慣れた父の足痕に今、あらためて父の現実を気付かされて息を呑む。

父の体格は入隊条件を満たしていなかった?

確かに自分は170cmには欠ける身長で、それより父が大きかったとしても175cm位だろう。
けれど5cmの差は「標的」として考えたなら大きすぎる、それでも尚、父がSAT隊員だったとしたら?

「…っ、」

叫んだ思考を飲下す、その吸気が気管支を詰まらせる。
呑んだ想いごと胸が痛い、けれど堪えて真直ぐ見つめる先に第1小隊長が立った。

「この後は予定通り16時から座学になる。それから、来週から協力要請で交番勤務を行う。派遣先など決まり次第また連絡する、以上だ、」

機動隊から派遣の交番勤務は、今回が初めてになる。
久しぶりに制帽と制服を着るのは懐かしい?そんな想いごと敬礼して解散すると前の長身が振向いた。
見上げた先で素早く外されたフェイスマスクの下から整った日焼顔は現われて、いつものよう箭野が笑ってくれた。

「おつかれ、湯原やっぱり懸垂下降が巧いな、」
「おつかれさまです、箭野さんこそ速かったですよ?射撃訓練も全部的中でしたし、」

笑顔で答えてながら周太もフェイスマスクを外した。
熱い湿気が気管支を刺激しないよう呼吸して落着かす、そして歩き出すと箭野が笑ってくれた。

「湯原も全部当ってたよ、でな、座学まで時間もらえる?卒研の事ちょっと相談に乗ってほしいんだ、」
「はい、俺で良かったら。でも俺の専攻って機械工学か植物学ですけど、大丈夫ですか?」

箭野は理学部だから自分の専攻とは違う。
だから自信が無くて訊き返したけれど、先輩は愉しげに笑ってくれた。

「むしろ専攻違いだから聴きたいんだよ、フラットな意見がほしいから。それに機械工学なら物理の実学でもあるし意見を聴きたいんだ、」
「あ、それなら、」

良かった、そう言いかけた視界の向こう周太は視線に気が付いた。
その視線が頷いて自分を呼ぶ、この意味に立ち止まった隣で箭野も振り向き言ってくれた。

「湯原、小隊長が呼んでる、」

いつもの落着いた低い声、けれどトーン微かな緊張を含む。
見上げた先でも瞳は鋭利になって、それでも周太と目が合うと笑いかけてくれた。

「俺、着替えたら談話室のとこで待ってるな。質問したいこと纏めとくよ、」

待っている、そう言ってくれる笑顔は気さくに温かい。
けれど深い瞳は「今」を悟っている、その想いを受けとめ周太は綺麗に笑った。

「はい、お待たせしてすみません、行ってきます、」

微笑んで頭を下げ、もう一度笑いかけると周太は踵を返した。
その背に感じる箭野の視線はどこか哀しげで、そんな気配に今行く先の意味が解かる。
箭野は小隊長の呼び出しが何か気付いたろう、そして後輩の自分を惜しんでくれる緊張は切ない。

―きっと箭野さん、こうして見送ったことがあるんだ。だから今も俺のこと心配してくれてる、

身長180cmの箭野は呼ばれない、けれど数多の同僚は呼ばれて行った。
そうして閲覧データの履歴書ごと行方が消える、そんなことは銃器対策レンジャーなら珍しくないだろう。
そして多分きっと、29年前の同じ頃に同じこの場所で、父もこんなふうに呼ばれて同じ場所へ行ってしまった。

―お父さん、お父さんはどんな気持で歩いたの?

きっと父も視線を背中に受けて、呼ばれて行ったろう。
そのときは父の同期だった安本が見送ってくれた、けれど行く先が何処かは解らなかった。
なぜ安本には解らなかったのか?その理由はさっき自分が感じた違和感にあるのだろうか。

―でも、お父さん?お父さんが本当に行きたかった場所は、もっと遠くだったね?

想い見上げた空はるか、黒い影が駈けてゆく。
あの形は鳶だろうか、鷲だろうか、そんな思案と歩いて仰ぐ空は今日、どこまでも高い。



午後15時23分、警視庁SAT候補隊員に湯原周太巡査がエントリーされた。






(to be continued)

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