萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第66話 光芒act.2―side story「陽はまた昇る」

2013-06-26 22:03:40 | 陽はまた昇るside story
光の澹、唯ひと時を




第66話 光芒act.2―side story「陽はまた昇る」

忍ばせた鍵の音、密やかに扉を開いて空間を閉じる。

訓練後のシャワーに濡れた髪をかきあげながら施錠して、英二は部屋に振り向いた。
カーテン透かす光やわらかな部屋は静謐が充たし、そっと唯ひとつ寝息が優しい。
見おろすベッドに眠れる横顔は穏やかで、安らかな微笑に安堵が泣きたくなる。

―ちゃんと呼吸が規則正しい、周太…よかった、

よかった、そう心呟いてほら、もう瞳の奥が熱くなる。
ただ呼吸ひとつで自分を揺らす、そんな相手への想いをまた自覚する。
こんなにも無事がただ嬉しい、そして知らなくてはいけない現実に英二は踵返すと片隅の鞄に向き合った。

「…馨さん、開けますよ?」

そっと低く呟いて周太の鞄に手を掛ける。
留金を外す、その指が微かに震える臆病が悔しくて、知らず唇を噛む。
それでも鞄は開かれて、音も無く押し広げた中に薬袋1つが網膜へ映りこんだ。

「…っ、」

呑みこんだ声が、鼓動を締め上げる。
もう覚悟していた、夏富士で後藤に聴かされた周太の過去に、とっくに覚悟している。
それなのに今、こうして現実に見つめる白い薬袋ひとつに揺さぶられた感情は、瞳に熱を涙へ変貌さす。

―…喘息の再発について…病院の薬がね、1ヶ月分減っていたんです。たぶん雅人が湯原くんの主治医になったのでしょう

吉村医師の推察は、当っていた。
そんな現実が白い袋に思い知らされる、その泣けない涙を英二は心へ戻し微笑んだ。

「もう…泣いてる暇じゃないよな?」

独り言に溜息ひとつ、夏富士の覚悟を呑んで周太の鞄を閉じた。
まだ壁を向いたまま右手が自分の胸へふれ、紺色のTシャツを掴みこむ。
掴んだ掌に堅く小さな輪郭は布越しにも確かで、この感触に縋るよう願ってしまう。
今この掌に握りしめる小さな鍵、この鍵で開かれる扉の家で待っていてほしい笑顔がある。

―馨さん、どうか周太を護って下さい、喘息からも異動の先からも、

ただ笑顔を護りたい、どうか笑って自分を家で迎えてほしい。
そう願うまま握りしめる鍵は小さいけれど堅い、その確かな感触に微笑んで英二は振向いた。
振り向いた先のベッドには愛しい寝息が安らぐ、そんな当り前の風景すら自分には得難くて、それが切ない。

どうして?

どうして「得難い」のだろう?
ただ安らかな寝息を聴くだけ、それすら得難いのは何故だろう?
唯ひとりの寝顔を見ていたいだけ、そんな願いはありふれている筈なのい自分は掴み難い。

「これは…俺の罰なんですか、馨さん?」

見つめる現実に言葉こぼれて鼓動が軋む。
この傷みすら自分への罰かもしれないと、そう思うだけの生き方を自分はしてきた。
望むと望まざるとも幼い頃から「恋愛」を弄んだと自覚している、それが今こんな苦しみを齎す?
そんな自責が鼓動から全身を蝕んで痛い、それでも今この時に与えられている幸せに英二は歩み寄った。

「…周太、」

そっと呼びかけてベッドに腰掛け、微かな軋みが音に鳴る。
それでも覚めない微睡に眠る横顔は清らかで、その清純に英二は微笑んだ。

「ほんとうに天使みたいだね、君は…ね、周太?」

カーテン透かす暁ふるベッド、やわらかな黒髪は光環きらめかす。
艶やかな髪こぼれる貌は微笑んで優しい、その微睡んだ睫に光がふれる。
まだ瞑ったままの長い睫は安らいでいる、そんな横顔に唇は笑み含んだまま眠りこむ。

―ずっと見ていたいな、

心に願い微笑んで、見つめる人の傍ら英二は横たわった。
まだ時計は起床に早い、その刻限まで今はただ幸せを抱きしめたい。
そう願うまま布団ごと背から抱きしめて、眠れる人に頬寄せるまま耳元へキスをした。

「…好きだよ、」

キスに囁き微笑んで再び接吻ける、その唇へと黒髪の香ふれる。
穏やかで爽やかな香は懐かしくて、もう遠くなった記憶の時間を狭いベッドに蘇えらす。
こんなふうに背中を抱きしめ眠った日があった、その前には抱きしめる事すら出来ず見つめていた。
そんな時間たちは辛くて哀しくて、けれど今ほど痛みなんて無かったと解かるほどに後悔が、痛い。

―どうして俺は周太だけを見つめなかったんだ、約束したのに、なぜ、

どうして自分は唯ひとりだけ見つめ続けなかったのだろう?

もうじき一年前になる初めての夜、あんなにも唯ひとり周太を見つめていた。
それなのに光一へ憧れて、それを周太に見抜かれて、それでも自分は光一を求め抱いてしまった。
あの時間は光一にも自分にも必要だったろう、けれど本当は他の道もあったと自分が一番解っている。
だからこそ今に刻限を知らされて現実が鼓動を噛みつぶす、その傷みに懺悔しても今更、もう時間は戻らない。

「ごめん…周太ごめんな?…俺が馬鹿なんだ、いつも…本当は俺が周太に護られてばかりだ、いつも…ごめんな、」

囁いて耳元へキスをする、ただ赦しを乞いたくて祈るよう囁く。
けれど本当に赦されることじゃない、そう解かるから眠っている時にだけ願い縋ってしまう。
こんなふうに縋りつく恋と愛を自分は抱きしめる、そんな自分は唯ひとり以外は考えられない。

だから唯ひとり、赦しを乞い続けたい。

ずっと赦されなくても構わない、赦されないなら償い続ける永遠が手に入るから。
たとえ償いであっても構わない、この唯ひとりと永遠の繋がりが手に入るなら後悔の屈辱すら愛おしい。

「ずっと繋がっていたいんだ、君と…繋がって傍にいられるなら何でも良い、何でも言うこと聴くから…棄てないでよ?」

棄てないで、

そんな台詞を誰かに自分が言うなんて、一年前には想わなかった。
ただ傍にいたくて離れたくない、必要とされていたい、それだけを願って今も抱きしめる。
それでも直に別離の瞬間は来るだろう、そう解っているから離せない想いの枕上で目覚まし時計が鳴った。

…り、りりっ、りりっ、

小さく、そして徐々に音は大きくなって目覚めを呼ぶ。
この音が鳴るなら起床時間5分前、そう解っているけれど腕が緩まない。
まだ近く抱きしめていたい想いから離れたくなくて、けれど懐で黒髪は揺れた。

「ん…」

かすかな吐息の声に、微睡が破られてゆく。
それでも今はまだ抱きしめていたい、そう願い抱いた布団の中が身じろいだ。

「ん…?」

吐息が疑問形に変る、そんな気配に腕の力を少し強くする。
そうして黒髪ゆっくり振り向いて至近距離、黒目がちの瞳が英二を映し驚いた。

「…っ、えいじ?」

名前を呼んでくれた、それが嬉しくて笑った頬に頬ふれる。
ふれあう頬へと雫ひとつ降りかかる、この雫に自分の願いだけでも傍にいたい。
そんな想いの真中へ大好きな瞳を見つめて、ただ幸せの願いごと英二は笑った。

「おはよう、周太。寝顔すごく可愛かったよ?」

笑いかけて頬にキスをする、その唇ふれた肌は熱やわらかい。
この温もりがただ愛しくて、離せないまま抱きしめた耳元で困り声が訴えた。

「あのっ、…目覚まし止めたいから放して、英二、」
「俺が止めてあげる、だから離さなくて良いよな、周太?」

解決策と笑って英二は右手を目覚まし時計へ伸ばした。
もう幾度も切ってきたスイッチを今も押す、こんな習慣みたいな瞬間すら嬉しい。

―こういう朝を毎日の普通にしたいな、

毎日ずっと、明日も来月も十年後も、こんなふうに目覚ましを止めたい。
大切な人の目覚めを抱きしめて、ベッドに引留めて我儘を言って朝の幸福を抱きしめる。
そんな日常を望むことは普通なら当たり前かもしれない、それでも今は腕を解かないといけない。
そう解っているけれど離せないままの腕の中、黒目がちの瞳が見上げてお願いしてくれた。

「英二?もう朝ごはんの時間だよ、今日も訓練とかあるんだし遅刻したらいけないから、ね?」

遅刻は確かに困るな?
そう納得させられるけれど、この時間を放すなら条件の我儘を言いたい。
そんな願いごと抱きしめたまま寝返りうって、覗きこんだ黒目がちの瞳へと幸せいっぱいに強請った。

「じゃあキスして?キスしてくれたら放してあげる、朝練でちょっと疲れたから癒してよ?」

ほら、言った先でもう困り顔が赤くなる。
こんな台詞、こんな時間にこんな場所で言うなんて困らせるだろう。
そう解っているから言いたい、困らせたら自分だけを考えてくれるから。
そんな願い応えるよう黒目がちの瞳は自分だけを映して、少し小さな手が力いっぱい胸を押してきた。

「あっ、朝からだめっ、…ここ隊舎なんだからっ、勤務の前はだめっ、」
「まだ起床時間3分前だよ、周太?まだプライベートタイムなんだから、ね…キスして、周太、」

たった3分間、それでも自分には大切なひと時だから願いを叶えて?
そう笑いかけた我儘に大好きな困り顔は一生懸命に訴えてきた。

「だめっ…ま、まっかになっちゃうからだめっ、こまるからっえいじだめっ…」

いま困るのはこっちのほうですけど?

もう真赤になっている貌ほんとに可愛い、こんな貌が大好き。
いつも真面目に凛としているだけに困った貌は特別で可愛くて、恥ずかしがらせたくなる。
そんな願望になおさら退けない我儘も、今すぐ攫いたい時間の求めも発熱になりそうで、困りながら幸せに英二は微笑んだ。

「ほんと周太は恥ずかしがりだよな、可愛い…ね、キスして、昨夜はしてくれたろ?」

昨夜は周太からキスしてくれた、それが本当に嬉しかった。
だから今せめてキスだけしてほしいな?ねだる想い見つめた真中で、けれど周太は首を振った。

「ゆうべは夜だからいいの、でも朝はだめっ…ほんとこまるからだめっ、」

本当に困るから放して?
そんなトーンの眼差しも可愛くて、こっちこそ本当に困らされる。

―今このまま放置されたら俺、ほんと一日中ずっとキスばっかり考えるよな?

七機の新隊員訓練が始まる今日、そんなことでは本当に困る。
こんなことは恋する相手だからこそ困ってしまう、好きな分だけ一日ずっと意識しそう。
だから今ちょっと願いを叶えて落着かせて欲しい、そう望むまま英二は愛しい頬をそっと掌に包んだ。

「そんなに恥ずかしがる周太が好きだよ?…じゃあ俺からキスしてあげる、周太…」

掌に頬を抱いて、見つめて視線ごと捕まえる。
見つめた黒目がちの瞳は途惑いゆらす、その無垢な生真面目ごと愛しくて触れていたい。
どうか唇だけでも想い交させて?そう願い微笑んでキスふれかけた唇が小さく叫んだ。

「…や、ほんとだめえいじまってえいじだめっ、」

躊躇いの小さな叫び、その吐息が唇ふれてオレンジが香る。
この香をもっと確かめたい、このまま唇重ねて吐息で時を充たしたい。
そんな願いに見つめている時間、けれど開錠音が鳴ってすぐ肩を掴まれた。

「はい、強制わいせつの現行犯逮捕だね、」

透るテノールが笑って唇の間合い離される。
タイムリミット、そんな言葉が心映るままため息吐きながら英二は腕を解いた。

―あとちょっとだったのにな、

あと3秒だけ猶予がほしかった、そう心が溜息に拗ねながら観念する。
もう仕方ないと諦めた懐から紺色のTシャツ姿は起きあがって、けれど寝転んだままな自分の背後は笑った。

「おはよ、周太。朝からおつかれさん、ほんとエロ別嬪は油断ならないね?」
「おはよう光一、ありがとう、」

素直な礼と笑いかける笑顔は嬉しそうで、つい光一に嫉妬したくなる。
こんなふう光一への感情は複層的で、ただ恋愛だけに想い続けるなど難しい。

―やっぱり周太だけなんだな、俺、

声ない呟きに得心が落着いてゆく、無条件に恋して愛してしまう相手は唯ひとりだけ。
そんな自覚が何だか幸せで、その分だけ今の3秒が惜しくてつい眉顰めながら英二は調停者へ微笑んだ。

「ほんと良いタイミングだけど、光一、もしかして警戒してた?」
「ココの壁って薄いからね、お姫さまの救け呼ぶ声がシッカリ聴こえちゃったからさ?ほら、朝飯に行ってきな、」

からり笑って促してくれる声が温かい。
そのトーンが大らかに優しくて、さっき屋上で確かめた繋がりが深くなる。
こんなふうに自分たちは唯「アンザイレンパートナー」が相応しい、その想い笑って英二は起きあがった。

「光一は朝飯、別行動?」
「だね、第1の小隊長と入隊訓練の担当サンとミーティングするからさ、」

軽やかに答えながら底抜けに明るい目が笑ってくれる。
明るい笑顔はいつもと変わらない、そしてベッドを直している周太の空気も穏やかに寛ぐ。
けれど今この時は、あの北壁の夜を過ごして以後、三人そろって顔を合わせる「初めて」の時でいる。

―それでも二人とも、もう揺れないんだな…勁いな、

ふたりの勁さ、それは心自体の強さもあるだろう。
そして二人互いに信頼も強いのだと思い知らされる、その深みを自分は知らない。
このことを改めて気づかされる想い微笑んで、英二は窓のカーテンを押し開いた。

そうして見上げた空は風流れ、雲間から太陽が顕われだす。








(to be continued)

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