萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第66話 光芒act.3―side story「陽はまた昇る」

2013-06-28 00:20:23 | 陽はまた昇るside story
時の扉、その涯に 



第66話 光芒act.3―side story「陽はまた昇る」

残暑炎天のグランド、埃っぽい風を駆け足訓練に走る。

走る体に久しぶりの出動服は、どこか借り物のよう感じてしまう。
身に着けた装備一式も以前のようには重たくない、こんな感覚にも違和感がある。
なにより全身が濃紺の暗いトーンであることが着馴れた山岳救助隊服と全く違う。

―なんか俺らしくないって想ってるよな、俺?

自分の感覚が可笑しくてグランド駆けながら英二は心裡に微笑んだ。
もう山岳救助隊服が「着馴れた」日常の基準になっている、その実感が誇らしい。
こんなどれもが1年半前の自分には考えられなかった、そこから超えてきた時間の結果がこうして機動隊の訓練にすら現れる。
装備品を着装し大楯を携行しながら駆け足をして1時間、けれど息切れも殆どない。

―こんなところで疲れていたら八千峰なんか登れない、しかも無酸素でなんか無理だ、

標高8,000mを超えた世界を酸素ボンベ無しで登る。
ただ自分の体力を頼りとして世界の屋根へと上がる、それは尋常の身体能力では難しい。
それでも自分に課されている義務と権利と、夢を担いたいのなら、この体ごと造り直して叶えるだけ。
そう望んだから青梅署山岳救助隊での11ヶ月間、吉村医師と後藤副隊長の助力に訓練を積みあげながら光一を追いかけた。

光一は既にK2峰を20歳、チョ・オユーを21歳で登頂している。
このどちらも光一は酸素ボンベを使っていない、そして結果としてトップを務め頂上を踏んだ。
どちらも警察庁合同での海外遠征訓練だから記録保持者もいた、けれど光一は技術と身体能力の両方で上回っている。
そんな光一のアンザイレンパートナーとして認められるには、自分自身も無酸素登頂で光一のペースに付いていくしかない。

―それが出来なかったら昨夜の評価だって覆る、そうしたら副隊長や蒔田部長にも迷惑がかかるんだ、

昨夜から見つめる現実は、単純に喜んでいる暇など無い。
今期は六千峰の遠征訓練に参加する、その後遅くとも来期には八千峰を登るだろう。
山を始めて今やっと1年、そんな自分が本来なら挑戦権を得られない機会だと自分が一番知っている。
だからこそ期待も評価も裏切れない、そして山岳レスキューの警察官として救命救急士になる任務も待っている。

考えるべきこと行動すること、いずれも職務だけで沢山ある。
それと同じくらい自分にとって大事なことが今この第七機動隊舎から、本当のスタートが近づきだす。
この先は公的に繁忙となるだろう、それ以上に秋を迎える前に一度やるべき事がある。

―…おまえさ、『Fantome』を救うために、マジでホンモノ登場させる気だね?ま、キッチリ考えてアレは使いなね、

初任総合が明けて青梅署に戻った日、そんなふう光一に言われた。
あの日に自分がとった行動を意図まで知るのは光一と武蔵野署にいる安本しかない。
それでも「本物」が現われたら二人の外三人も正体を気付くだろう、けれど確信はきっと持てない。

―後藤副隊長と吉村先生、あと蒔田部長は疑うだろうけど、きっと拳銃で確信が持てなくなる、

WALTHER P38 

今から50年前まで晉が手にしていた拳銃は、現在警視庁で採用される拳銃とは違う。
当然のこと自分に支給されている拳銃とは異なっている、それが隠れ蓑にもなるだろう。
だから自分が50年前の拳銃を使ったところで、自分が撃ったのだと特定は出来ない。

―もし気づくとしたら周太だけだ、

唯ひとり、あの人だけは気づくかもしれない。

晉が馨に遺した小説は今、廻って周太の手許に戻ってきた。
それが晉と馨の意志だと言うのなら、いつか周太は「奈落」と「Mon pistolet」の真実に気づくだろう。
そうして「Un autre nom」が気づかせる、あの紺青色した一冊からページが切り取られた真実を周太は知るかもしれない。

『Le Fantome de l'Opera』

あの本を周太に手渡したのは、初めての外泊日だった。
あのとき初めて一緒に外食をした、あのラーメン屋に二人初めて共に暖簾をくぐった。
それから初めて周太に服を贈った、あの白いシャツを今でも周太は持っているのだろうか?
そして初めて、あの公園あのベンチに二人並んで座って、あの本のページを周太は開いた。

あのとき雨が降った。

―…今の方がいいよ。宮田、前よりも良い顔してる

雨の中で行ってくれた言葉が、穏やかな声がただ嬉しかった。
驟雨が紗をかける空気に見つめた貌は綺麗で、あわい輪郭の優しさに惹きこまれた。
そんなふうに視界と聴覚から自覚した、あの雨に自分は想いを泣いて、そして「今」が始った。
あれから1年以上が経つ、けれど今ここで砂埃の炎暑に駆けながらも雨ふる空気は鮮やかなまま心映る。

あの雨からこんなに遠くへ来てしまった。
あの紺青色の本が自分をこんな今にするなんて、あのとき想わなかった。
ただ周太に追いつきたくて傍にいたくて、そう焦るのに可能性も夢も何ひとつ見えないままだった。

それでも今こうして走る隊舎の一角は、周太の場所に近い。
この距離感を踏みしめて走り続け、号令一下に停まった空を陽は傾いた。

―奥多摩も今、晴れてるのかな、

訓示を聴きながす聴覚、けれど思考は北西の空を想う。

今ごろ吉村医師はコーヒーを淹れている?藤岡と原は駐在所から帰るところだろうか?
岩崎は日誌を書くだろう、日曜日の今日だから後藤副隊長は孫と過ごしているかもしれない。
そんな廻らす心に気づかされる、もう奥多摩が故郷になり生まれ育った筈の世田谷を想わない。
こんな自覚を見つめるまま佇むうち、新隊員訓練2日目は解散となって踵返すと呼び止められた。

「宮田さん、」

呼ばれた呼称に、もう昨日の経過が気づかされる。
そして今朝の上司が告げた言葉を想い振向いた先、昨夜知り合ったばかりの顔が笑った。

「おつかれさまです、あれだけ走っても息切れ一つしていない、さすがだな、」

笑いかけてくれるその言葉に、素直な賞賛と微かな焦慮が揺らぐ。
そんな相手を透かし見ながら英二はヘルメットを外し、端正に頭を下げた。

「昨日は訓練に参加できず、申し訳ありませんでした。

ヘルメットを抱えた礼の先、ほのかな満足感が生まれる。
自分が頭を下げたことで担当官は満足するだろう、そんな予想通りの声が言ってくれた。

「謝る必要はない、遭難事故の対応があったなら当然のことだ、」
「すみません、そう言って頂けると気が楽になります、」

微笑んで頭をあげた向かい、担当官が安堵したよう笑ってくれる。
きっと彼は事情をもう把握しているのだろう、そんな空気へと英二は綺麗に笑いかけた。

「この後、山岳救助レンジャー第2小隊の訓練に参加をと国村小隊長から言われています。参加してもよろしいでしょうか?」

国村小隊長、この呼名を口にする初めてが何だか誇らしい。
けれど少しだけ照れくさい?そう想い微笑んだ前で担当官は少し驚いたよう頷いた。

「それは構わないが、この訓練の後でレンジャー訓練するのか?」

ほら、素になった口調が飛び出した?
そんな態度につい微笑んで英二は答えた。

「山岳救助の現場は、吹雪でも雷雨でも出動ですから、」

遭難事故は悪天候にこそ起きる。

そのとき生命は断崖に立つ、だからこそ即時対応が求められる。
そのとき週休だとしても管轄内にいるならば駆けつけることが当り前、その為に救助隊服一式を持ち歩く。
いかなる状況でも要請があれば応じる、それが山岳レスキューの現場にある日常で、自分の日常的常識になっている。

この今だって青梅署は、奥多摩では救助要請があれば駆けつけるだろう。
そんな現場は今もう自分から離れていても、それでも他人事になんてもう、欠片も思えない。

―藤岡も原さんも、岩崎さんも、後藤さんも、皆が今もう現場に居るかもしれないんだ、吉村先生だってそうだ、

故郷の人々を想う、だからこそ今も第2小隊の訓練に「出動」したい。
そんな想い誇りに笑って一礼すると、すぐ踵を返し英二は集合場所へ駆け出した。

―それに、この訓練が俺の評価を本当に決める、今、この時がチャンスなんだ、

駆けながら廻らす想いには、今朝の光景が映りこむ。

『俺に山のこと喋らせると長くなりますよ、それでも大丈夫ですか?』

そう言って黒木は朝食の席、周太に笑いかけた。
山を話せる相手が嬉しい、そんな寛ぎと信頼の萌芽が黒木の瞳に見えた。
あんな笑顔は昨夜の黒木から考えつけない、それが今こうして第2小隊の訓練へ自分を向かわせる。

―たぶん黒木は、過去の周太だ、

駆けていく心に判断が映り、自分の為すべき事へ計算が廻る。
いま黒木の心を掴むことは自分にとって「公務」だろう、けれど形式だけで墜ちる相手だと想えない。
それが今朝の黒木と周太の会話に見えた、そして「見えた」機会を与えようとする周太の意志が嬉しかった。

きっと周太は、黒木と自身が似ていると気づいている。
だから今朝も黒木と箭野が座る食卓へ連れていってくれた、そんな意図が温かい。
そうして気づかされるもう1つの人間関係が、昨夜の屋上で聴いた光一の言葉を確信に変える。

『まず各小隊ごとの力関係と人間関係を話そっかね?』

そんな切り口から語ってくれた第七機動隊の内部事情には「箭野」の名前も大きい。
それは今朝の席でも感じられた、あの直接会話した感触から得たものは多分、周太と自分に可能性をくれる。









(to be continued)

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