rolling from their mountain-springs めぐりきて、
第85話 春鎮 act.62 another,side story「陽はまた昇る」
あなたの背に揺られて、あたたかい。
「周太、足は痛まない?」
「ん…だいじょうぶ、」
あなたに呼ばれて応えて、唇そっと雪が香る。
銀色やわらかな午後の森、雪ふる冷厳くるみこむ。
春三月ゆく奥多摩は冬のとき、その空気そっと周太は瞳とじた。
―英二の背中にいるんだ、ね…僕、今は、
瞑る頬やわらかに鼓動ふれる、登山ウェア透かす体温の鼓動。
ことん、ことん、端整に乱れず静かに敲いてくれる。
こんなふう雪山にも乱れない、あなたの鼓動。
―なつかしい英二の鼓動…ほっとする、
瞑らせて頬に温もり響く、この音も温度も知っている。
こうして広やかな背に頬よせ眠った記憶、その幸せな時間が瞳ふかく熱ゆらす。
―ずっとこうしていられたらいいのに、でも、
ずっと、ずっと鼓動を体温を感じていたい。
でも「こうして」なんかいられない、それくらい解っている。
“あの女”
そんなふう呼んでしまうひと、彼女のことだけじゃない。
そんな呼び方これからもっと増えてしまう、あなたは多分きっと。
これから違う場所に生きてゆく、その「別世界」あなたは許してくれるひとじゃない。
―美代さんのことだけじゃない、きっと…賢弥のことはもっと、
あの友だちを知ったら、あなたは何て呼ぶのだろう?
もう蝕まれてゆく不安感、あなたの「別世界」もっと不安になる。
それでも今ひと時は赦されていたい、願いと額ふれる冷厳の風に呼ばれた。
「周太くん!」
あかるい声に瞳ひらかれる、銀色まばゆい。
白ふかく蒼い森きらめいて、ことっ、凭れる背が鳴った。
―あ、英二の鼓動?
温もり頬ふれて、その鼓動が違う。
雪の斜面でも変わらなかった心臓のトーン、けれど小さな違和感が呼んだ。
「なんで周太、小嶌さんが名前で呼ぶんだ?」
あなたの声が問いかける。
きれいな低い声、けれど棘ささくれる。
―あの女って言った声と変わらない、英二…どうして、
どうして、あなたは苛立つのだろう?
その理由もう解らない、あなたの心どこにあるのだろう?
―僕には秘密だらけ何も教えてくれない、のに…僕には質問するんだ、ね、
問いかけて、問いかけられて。
そうして答えるのは僕ばかり、いつも答えてくれない。
こんな関係だから言われたのだろうか、あの聡明な山っ子に?
『戻ったらね、美代とは名前で呼びあいな?いろいろイイこと起きるよ、』
なぜ光一は「名前で」と言ったのか?
その理由かすかに見つめながら頬、そっと背から離した。
「あの…英二、おろして?」
告げながら見つめる背中の視界、白皙の貌ふりかえる。
ダークブラウンの髪なびいて睫ふりむいて、切長い瞳が周太を見た。
「教えないと降ろさない、なんで名前で呼ばせてんだよ周太?」
美しい瞳が自分を映す、捉えてくる。
こんなふう見つめられたら昔、僕は何も言えなくなった。
でも今は唇ひらく。
「なんでって…光一にも名前で呼ばれるでしょ?」
「光一は幼馴染だからだろ、俺よりつきあい先なんだからあたりまえだ、」
反論すぐ赤い唇が微笑む、その声に刺される。
深紅の登山ウェアひろやかな肩越し、その視線に声に哀しい。
「僕…今の大学の友だちも名前で呼んでる、よ?」
哀しい、けれど唇から声が出る。
こうして僕のこと解ってほしい、願いに赤い唇が微笑む。
「どんなやつ?」
ああ「やつ」なんて言うんだ、どうしても?
―そんな言い方どうして…僕のたいせつな友だちなのに、
大学、そこに出逢えた友だち。
それが僕にどれだけ大切なのか、あなたは理解してはくれない?
「僕の研究パートナーだよ?僕、これから研究に生きるんだ、」
切長い瞳を見つめて告げる、ただ解ってほしい。
けれど自分を映した眼ただ微笑んで、低い声が言った。
「そっか…よかったな?」
睫ふかい瞳が笑ってくれる、でも遠い。
こんなに遠くなってしまった、いつからだろう?
「またちゃんと話すね、大学のことも…聴いてくれる?」
「うん、聴かせてよ、」
あなたが肯く、でも届いているのだろうか?
こんな約束ひとつ投げてしまう僕のこと、あなたの眼は見てくれている?
「それでね英二、おろして?光一と美代さん待ってくれてたんだから、」
笑いかけて、とん、背負ってくれる肩ひとつ敲く。
肩ひろやかな背中は温かで、けれど腕ほどいて周太は雪に降りた。
「ありがとう英二、」
笑かけて踵かえして、頬そっと香ふれる。
ほろ苦い深い香なつかしい、けれど銀色の道へ出た。
“なんで名前で呼ばせてんだよ周太?”
名前、どうして?
どうして呼び方も認めてくれない、あなたは苛立ってしまう。
そうして僕の人間関係ごと認めてくれない、僕のこと。
―認めてくれない英二は、でも僕は解ってほしいんだ…すきだから、
あなたに認めてほしい、解ってほしい。
だから約束ひとつ投げかける、あなたには別世界の僕の未来。
“大学のことも聴いてくれる?”
笑いかけて約束ひとつ投げて、距離そっと引きよせたい。
こんなこと願う自分は愚かだろうか?
さくりっ、さくりっ、
雪を踏んで登山靴から銀色きらめく。
もう遅い午後の陽やわらかな道、雪白の笑顔が手をふった。
「オツカレサン周太、」
底抜けに明るい眼きらきら雪に舞う。
黒髪ゆらす木洩陽の下、なつかしい笑顔に息ほっと吐いた。
「光一ありがとう…だいぶ待たせちゃって、ごめんなさい、」
「ホント待ったけどね、英二ほどはクタビレてないんじゃない?」
からりテノール笑って向こう見る。
そんな幼馴染の隣、まるい薔薇色の頬に笑いかけた。
「美代さんも待たせてごめんね、寒かったでしょ?」
薔薇色の頬に待たせた時間が映る、寒くなかったはずがない。
けれど桃色の唇は明るく笑ってくれた。
「へいき、私の地元だもん、」
あかるい瞳きれいに笑ってくれる。
あたたかに真直ぐで、鼓動ふわり周太も笑った。
「あ、そうだったね?」
あいづちに笑って、鼓動ゆるやかに解けてゆく。
ほどけて肩ゆるむ木洩陽の雪、ほがらかなテノールが言った。
「そうだよ周太、美代は奥多摩ならヤマンバだからね、」
「やまんば?」
言葉くりかえした真中、薔薇色の頬また笑いだす。
屈託ない笑顔やわらかに明るい、その明朗ころころ唇ひらいた。
「光ちゃんにヤマンバ呼ばれるとオコガマシイけど、山育ちって意味ならそうかも?」
「そ、美代は山の畑に通う毎日だったからね、」
テノールからりと相槌する。
いつもの明るい声、けれど言葉そっと鼓動を突いた。
―もう山の畑に毎日通えないんだ、美代さんは…これから、
故郷を愛している、そんな心が都会の大学へ発つ。
もう近い未来あらためて見る森の道、春に雪がふる。
※校正中
(to be continued)
第85話 春鎮act.61← →第85話 春鎮act.63
にほんブログ村 blogramランキング参加中! 純文学ランキング
harushizume―周太24歳3月下旬
第85話 春鎮 act.62 another,side story「陽はまた昇る」
あなたの背に揺られて、あたたかい。
「周太、足は痛まない?」
「ん…だいじょうぶ、」
あなたに呼ばれて応えて、唇そっと雪が香る。
銀色やわらかな午後の森、雪ふる冷厳くるみこむ。
春三月ゆく奥多摩は冬のとき、その空気そっと周太は瞳とじた。
―英二の背中にいるんだ、ね…僕、今は、
瞑る頬やわらかに鼓動ふれる、登山ウェア透かす体温の鼓動。
ことん、ことん、端整に乱れず静かに敲いてくれる。
こんなふう雪山にも乱れない、あなたの鼓動。
―なつかしい英二の鼓動…ほっとする、
瞑らせて頬に温もり響く、この音も温度も知っている。
こうして広やかな背に頬よせ眠った記憶、その幸せな時間が瞳ふかく熱ゆらす。
―ずっとこうしていられたらいいのに、でも、
ずっと、ずっと鼓動を体温を感じていたい。
でも「こうして」なんかいられない、それくらい解っている。
“あの女”
そんなふう呼んでしまうひと、彼女のことだけじゃない。
そんな呼び方これからもっと増えてしまう、あなたは多分きっと。
これから違う場所に生きてゆく、その「別世界」あなたは許してくれるひとじゃない。
―美代さんのことだけじゃない、きっと…賢弥のことはもっと、
あの友だちを知ったら、あなたは何て呼ぶのだろう?
もう蝕まれてゆく不安感、あなたの「別世界」もっと不安になる。
それでも今ひと時は赦されていたい、願いと額ふれる冷厳の風に呼ばれた。
「周太くん!」
あかるい声に瞳ひらかれる、銀色まばゆい。
白ふかく蒼い森きらめいて、ことっ、凭れる背が鳴った。
―あ、英二の鼓動?
温もり頬ふれて、その鼓動が違う。
雪の斜面でも変わらなかった心臓のトーン、けれど小さな違和感が呼んだ。
「なんで周太、小嶌さんが名前で呼ぶんだ?」
あなたの声が問いかける。
きれいな低い声、けれど棘ささくれる。
―あの女って言った声と変わらない、英二…どうして、
どうして、あなたは苛立つのだろう?
その理由もう解らない、あなたの心どこにあるのだろう?
―僕には秘密だらけ何も教えてくれない、のに…僕には質問するんだ、ね、
問いかけて、問いかけられて。
そうして答えるのは僕ばかり、いつも答えてくれない。
こんな関係だから言われたのだろうか、あの聡明な山っ子に?
『戻ったらね、美代とは名前で呼びあいな?いろいろイイこと起きるよ、』
なぜ光一は「名前で」と言ったのか?
その理由かすかに見つめながら頬、そっと背から離した。
「あの…英二、おろして?」
告げながら見つめる背中の視界、白皙の貌ふりかえる。
ダークブラウンの髪なびいて睫ふりむいて、切長い瞳が周太を見た。
「教えないと降ろさない、なんで名前で呼ばせてんだよ周太?」
美しい瞳が自分を映す、捉えてくる。
こんなふう見つめられたら昔、僕は何も言えなくなった。
でも今は唇ひらく。
「なんでって…光一にも名前で呼ばれるでしょ?」
「光一は幼馴染だからだろ、俺よりつきあい先なんだからあたりまえだ、」
反論すぐ赤い唇が微笑む、その声に刺される。
深紅の登山ウェアひろやかな肩越し、その視線に声に哀しい。
「僕…今の大学の友だちも名前で呼んでる、よ?」
哀しい、けれど唇から声が出る。
こうして僕のこと解ってほしい、願いに赤い唇が微笑む。
「どんなやつ?」
ああ「やつ」なんて言うんだ、どうしても?
―そんな言い方どうして…僕のたいせつな友だちなのに、
大学、そこに出逢えた友だち。
それが僕にどれだけ大切なのか、あなたは理解してはくれない?
「僕の研究パートナーだよ?僕、これから研究に生きるんだ、」
切長い瞳を見つめて告げる、ただ解ってほしい。
けれど自分を映した眼ただ微笑んで、低い声が言った。
「そっか…よかったな?」
睫ふかい瞳が笑ってくれる、でも遠い。
こんなに遠くなってしまった、いつからだろう?
「またちゃんと話すね、大学のことも…聴いてくれる?」
「うん、聴かせてよ、」
あなたが肯く、でも届いているのだろうか?
こんな約束ひとつ投げてしまう僕のこと、あなたの眼は見てくれている?
「それでね英二、おろして?光一と美代さん待ってくれてたんだから、」
笑いかけて、とん、背負ってくれる肩ひとつ敲く。
肩ひろやかな背中は温かで、けれど腕ほどいて周太は雪に降りた。
「ありがとう英二、」
笑かけて踵かえして、頬そっと香ふれる。
ほろ苦い深い香なつかしい、けれど銀色の道へ出た。
“なんで名前で呼ばせてんだよ周太?”
名前、どうして?
どうして呼び方も認めてくれない、あなたは苛立ってしまう。
そうして僕の人間関係ごと認めてくれない、僕のこと。
―認めてくれない英二は、でも僕は解ってほしいんだ…すきだから、
あなたに認めてほしい、解ってほしい。
だから約束ひとつ投げかける、あなたには別世界の僕の未来。
“大学のことも聴いてくれる?”
笑いかけて約束ひとつ投げて、距離そっと引きよせたい。
こんなこと願う自分は愚かだろうか?
さくりっ、さくりっ、
雪を踏んで登山靴から銀色きらめく。
もう遅い午後の陽やわらかな道、雪白の笑顔が手をふった。
「オツカレサン周太、」
底抜けに明るい眼きらきら雪に舞う。
黒髪ゆらす木洩陽の下、なつかしい笑顔に息ほっと吐いた。
「光一ありがとう…だいぶ待たせちゃって、ごめんなさい、」
「ホント待ったけどね、英二ほどはクタビレてないんじゃない?」
からりテノール笑って向こう見る。
そんな幼馴染の隣、まるい薔薇色の頬に笑いかけた。
「美代さんも待たせてごめんね、寒かったでしょ?」
薔薇色の頬に待たせた時間が映る、寒くなかったはずがない。
けれど桃色の唇は明るく笑ってくれた。
「へいき、私の地元だもん、」
あかるい瞳きれいに笑ってくれる。
あたたかに真直ぐで、鼓動ふわり周太も笑った。
「あ、そうだったね?」
あいづちに笑って、鼓動ゆるやかに解けてゆく。
ほどけて肩ゆるむ木洩陽の雪、ほがらかなテノールが言った。
「そうだよ周太、美代は奥多摩ならヤマンバだからね、」
「やまんば?」
言葉くりかえした真中、薔薇色の頬また笑いだす。
屈託ない笑顔やわらかに明るい、その明朗ころころ唇ひらいた。
「光ちゃんにヤマンバ呼ばれるとオコガマシイけど、山育ちって意味ならそうかも?」
「そ、美代は山の畑に通う毎日だったからね、」
テノールからりと相槌する。
いつもの明るい声、けれど言葉そっと鼓動を突いた。
―もう山の畑に毎日通えないんだ、美代さんは…これから、
故郷を愛している、そんな心が都会の大学へ発つ。
もう近い未来あらためて見る森の道、春に雪がふる。
※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】
第85話 春鎮act.61← →第85話 春鎮act.63
にほんブログ村 blogramランキング参加中! 純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます