かえられない瞬間を、

長月二十一日、犬咱夫藍―invariable
階段を下りて、エンジン音は遠く風が芳る。
額に頬に冷気なじむ、冷たい芳しい風に息ついた。
「はー…」
肚底から息ついて、鼓動ふかく醒まされる。
澄んだ香やわらかに沁みこんで、薄明の砂利道に黄金が奔った。
「おー…、」
声こぼれて稜線が輝く。
朱色きらめいて黄金になる、光たばねた今日が昇りだす。
墨色の雲まばゆい輪郭ひらめいて朱鷺色そまる、目覚めゆく故郷に微笑んだ。
「まだ夜明けなんだよなあ…」
早暁、高速バスを降りて月が見えた。
その月かすませ黄金ひろがる、夜から今日が覚めてゆく。
黄金さらさら波うつ田園、頬ふれるごと芳しい暁に行く手ながめた。
「もう起きてるかな…こーたろー?」
ボストンバッグひとつ、佇んだ故郷に面影なぞる。
あの笑顔もう起きているだろうか?
『俺は畑仕事、好きだからさ?』
闊達に笑った少年は、今もあの笑顔だろうか?
もっと日焼け鮮やかになったろうか、今も明るいだろうか?
今も、自分のこと笑って迎えてくれる?
「行くか、」
ひとこと微笑んで歩きだす。
置いてきた時間の道まだ蒼い、薄明やわらかな藍色に砂利が鳴る。
レザーソール沁みてゆく故郷の道、一歩ごと呼吸あざやかに冴えて芳しい。
澄んだ風わたる冷たい芳しい、香ふくらむ鼓動に追憶が歩みよる。
『帰ってきたら話、いっぱい聴かせてくれよな?』
砂利の音、芳しい風、なつかしい声が笑いかける。
一歩ごと声が言葉がよみがえる、もう過ぎ去った時間たどらせる。
『都会に染まるとかって言うけどさ、そーなったら帰ってこないだろね?』
君が笑う、闊達な瞳あざやかな黒目。
あの言葉どこか自分を支えて、こうして故郷たどらせる道に薄紅ゆれた。
「お…」
藍色あわい薄明の底、薄紅あわく咲いている。
この花が咲いたら収穫の時だと、あのころ君が教えてくれた。
『でも毒があるから危ないんだけどさ、きれいな花だなって思うよ?』
少年だった君が笑う、すこし困ったような黒目あざやかな視線。
あんなふう今日も君は笑うだろうか、いきなりの再会どんな貌?
こんなふう辿る黄金の時、あの日のまま君が笑ってくれたなら?

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9月21日誕生花イヌサフラン

長月二十一日、犬咱夫藍―invariable
階段を下りて、エンジン音は遠く風が芳る。
額に頬に冷気なじむ、冷たい芳しい風に息ついた。
「はー…」
肚底から息ついて、鼓動ふかく醒まされる。
澄んだ香やわらかに沁みこんで、薄明の砂利道に黄金が奔った。
「おー…、」
声こぼれて稜線が輝く。
朱色きらめいて黄金になる、光たばねた今日が昇りだす。
墨色の雲まばゆい輪郭ひらめいて朱鷺色そまる、目覚めゆく故郷に微笑んだ。
「まだ夜明けなんだよなあ…」
早暁、高速バスを降りて月が見えた。
その月かすませ黄金ひろがる、夜から今日が覚めてゆく。
黄金さらさら波うつ田園、頬ふれるごと芳しい暁に行く手ながめた。
「もう起きてるかな…こーたろー?」
ボストンバッグひとつ、佇んだ故郷に面影なぞる。
あの笑顔もう起きているだろうか?
『俺は畑仕事、好きだからさ?』
闊達に笑った少年は、今もあの笑顔だろうか?
もっと日焼け鮮やかになったろうか、今も明るいだろうか?
今も、自分のこと笑って迎えてくれる?
「行くか、」
ひとこと微笑んで歩きだす。
置いてきた時間の道まだ蒼い、薄明やわらかな藍色に砂利が鳴る。
レザーソール沁みてゆく故郷の道、一歩ごと呼吸あざやかに冴えて芳しい。
澄んだ風わたる冷たい芳しい、香ふくらむ鼓動に追憶が歩みよる。
『帰ってきたら話、いっぱい聴かせてくれよな?』
砂利の音、芳しい風、なつかしい声が笑いかける。
一歩ごと声が言葉がよみがえる、もう過ぎ去った時間たどらせる。
『都会に染まるとかって言うけどさ、そーなったら帰ってこないだろね?』
君が笑う、闊達な瞳あざやかな黒目。
あの言葉どこか自分を支えて、こうして故郷たどらせる道に薄紅ゆれた。
「お…」
藍色あわい薄明の底、薄紅あわく咲いている。
この花が咲いたら収穫の時だと、あのころ君が教えてくれた。
『でも毒があるから危ないんだけどさ、きれいな花だなって思うよ?』
少年だった君が笑う、すこし困ったような黒目あざやかな視線。
あんなふう今日も君は笑うだろうか、いきなりの再会どんな貌?
こんなふう辿る黄金の時、あの日のまま君が笑ってくれたなら?

犬咱夫藍:イヌサフラン、別名コルチカム、花言葉「悔いなき青春、最良の日々は過ぎ去った、危険な美、回顧、永続」


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