That after many wanderings
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第86話 建巳 act.38 another,side story「陽はまた昇る」
憧れで、恩人で、大好きな友だち。
そんなふうに祖母を想ってくれるひと。
そうして今、淹れてくれた茶の香ふわり清々しくて周太は微笑んだ。
「ありがとうございます…祖母のことそんなふう仰ってくれて、嬉しいです、」
うれしい、こんなにも。
だって自分は祖母を知らない、ずっと昔、生まれる遥か前に亡くなったから。
それでも今こうして向きあうテーブル、研究室の窓辺に学者は朗らかに笑った。
「こっちこそよ、斗貴子さんのお孫さんだなんて。しかも私の講義を受けてくれるんでしょう?どうしよう、嬉しい、」
メゾソプラノ朗らかな目もと、皺やわらかに滴が光る。
ほら?こんなふう悼んでくれる、僕の家族のこと今も。
―僕にも家族がいるんだ、ほんとうに…ここで生きて、
父は亡くなった、もうじき十五年になる。
父は祖父母の話をしなかった、母も知らされないまま嫁いで今がある。
それでも知ることができる幸せに、ただ嬉しくて笑いかけた。
「ありがとうございます、祖母のこと話してくださって、」
「私こそ話したいのよ。講義だけじゃなくって、斗貴子さんのこと聴いてね?」
微笑んで、鼈甲フレームごし真直ぐ見つめてくれる。
大きな瞳ふわり明るんで、ことん、オレンジ色の箱ひとつテーブルに開けた。
「シュウタくんはチョコレート好きかしら、意外とお煎茶にも合うのよ?」
ほろ甘い香ふわり、研究室やわらげる。
やさしい甘い空気の底、隣の友だちが笑った。
「ソレって晄子先生の秘蔵のチョコじゃないですか、待遇違いすぎません?」
「あたりまえでしょ、大切な友だちのお孫さんよ?」
からり言い返して銀髪のショートカットゆらす。
どこまでも朗らかな祖母の旧友に微笑んだ。
「どうかお気遣いなさらないでください、急に押し掛けたのに申し訳ありません、」
祖母の友人だなんて知らなかった。
けれどあの教授は?気がついた疑問にメゾソプラノ軽やかに笑った。
「シュウタくんこそ遠慮しないで?サプライズさせたのは田嶋君なんだし、それもまた喜んでる私なのよ?」
どうぞ召しあがれと、チョコレートの箱こちらに押してくれる。
艶やかな甘い香やわらかで、優しい仕草に笑いかけた。
「ありがとうございます、あの、僕もです…びっくりした分も嬉しくて、」
「でしょ?こういうの、ほんと田嶋君だわ、」
鼈甲フレームの瞳くるり笑って、ぽん、チョコレート口に運ぶ。
さあどうぞ?そんな視線に隣は遠慮なく手を伸ばした。
「うまっ、やっぱミツコ先生の出してくれるモンはうまいですね、」
「美味しいのしか出しませんよ、だからシュウタくんも安心して召しあがれ?」
甘い香やわらかに笑いかけてくれる。
その眼差し優しく率直で、周太も素直にひとつ摘まんだ。
「いただきます、」
「はい、どうぞ?」
勧めてくれる笑顔に、ひとつぶ口にして芳香ほどける。
豊かな甘さにかすかな苦み、ほっと息吐いて微笑んだ。
「おいしいです…なんだかほっとします、」
「でしょ?私も昔から好きなの、」
眼鏡ごし大きな瞳くるり笑ってくれる。
祖母の友人なら七十も半ば位だろう、そのくせ瑞々しい声が言った。
「これね、斗貴子さんのお気に入りだったチョコレートなのよ。パリの老舗のお菓子屋さん、」
ほら?祖母はここで生きている。
「祖母が…パリの、」
声こぼれてチョコレートが香る。
深い甘い馥郁ほろ苦い、この香なつかしくて似ている。
とても知っているようで、たどる記憶に老婦人はきれいに笑った。
「そう、パリのチョコレート。パリ大学出張のお土産って頂いたのがキッカケで、斗貴子さんは好きになったんですってよ?」
パリ大学出張のお土産、そう言って祖母に贈ったのは?
告げられた言葉たちに口ひらいた。
「あの、祖父が祖母にってことですか?」
「そうよ、湯原教授は粋なダンディでいらしたのね。とても真面目でお堅い方でもあったのだけど、」
メゾソプラノ朗らかに答えてくれる。
ほら?面影たち近くなる、知れる嬉しさに笑いかけた。
「祖父のプレゼントなんですね、」
「だから私もナイショで教えてもらったのよ、でもシュウタくんには良いじゃない?もう時効だし、」
くるり大きな瞳すずやかに笑って、湯呑に笑っている。
朗らかな笑顔、けれど言われた言葉に問いかけた。
「あの、時効ってどういう意味ですか?」
時効、すこし前は身近だった言葉。
つい訊き返した先で老婦人は軽やかに告げた。
「教授と女学生、秘密の恋は罪みたいな時代だったのよ、」
秘密の恋は、罪。
「…、」
ほら言葉が出ない、鼓動が軋む。
それは祖父母のことだからだけじゃない、噛まれる想いに友だちが言った。
「どの恋が罪とか、誰が決められるんでしょうね?」
明朗な声いつもどおり徹る。
明るいクセどこか深い、そんな声に女学者が微笑んだ。
「湯原教授と斗貴子さんの恋は、私には恩恵よ。こんな素敵な学生さんに逢わせてくれたんだもの、チョコレートにもね?」
※校正中
(to be continued)
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kenshi―周太24歳4月
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第86話 建巳 act.38 another,side story「陽はまた昇る」
憧れで、恩人で、大好きな友だち。
そんなふうに祖母を想ってくれるひと。
そうして今、淹れてくれた茶の香ふわり清々しくて周太は微笑んだ。
「ありがとうございます…祖母のことそんなふう仰ってくれて、嬉しいです、」
うれしい、こんなにも。
だって自分は祖母を知らない、ずっと昔、生まれる遥か前に亡くなったから。
それでも今こうして向きあうテーブル、研究室の窓辺に学者は朗らかに笑った。
「こっちこそよ、斗貴子さんのお孫さんだなんて。しかも私の講義を受けてくれるんでしょう?どうしよう、嬉しい、」
メゾソプラノ朗らかな目もと、皺やわらかに滴が光る。
ほら?こんなふう悼んでくれる、僕の家族のこと今も。
―僕にも家族がいるんだ、ほんとうに…ここで生きて、
父は亡くなった、もうじき十五年になる。
父は祖父母の話をしなかった、母も知らされないまま嫁いで今がある。
それでも知ることができる幸せに、ただ嬉しくて笑いかけた。
「ありがとうございます、祖母のこと話してくださって、」
「私こそ話したいのよ。講義だけじゃなくって、斗貴子さんのこと聴いてね?」
微笑んで、鼈甲フレームごし真直ぐ見つめてくれる。
大きな瞳ふわり明るんで、ことん、オレンジ色の箱ひとつテーブルに開けた。
「シュウタくんはチョコレート好きかしら、意外とお煎茶にも合うのよ?」
ほろ甘い香ふわり、研究室やわらげる。
やさしい甘い空気の底、隣の友だちが笑った。
「ソレって晄子先生の秘蔵のチョコじゃないですか、待遇違いすぎません?」
「あたりまえでしょ、大切な友だちのお孫さんよ?」
からり言い返して銀髪のショートカットゆらす。
どこまでも朗らかな祖母の旧友に微笑んだ。
「どうかお気遣いなさらないでください、急に押し掛けたのに申し訳ありません、」
祖母の友人だなんて知らなかった。
けれどあの教授は?気がついた疑問にメゾソプラノ軽やかに笑った。
「シュウタくんこそ遠慮しないで?サプライズさせたのは田嶋君なんだし、それもまた喜んでる私なのよ?」
どうぞ召しあがれと、チョコレートの箱こちらに押してくれる。
艶やかな甘い香やわらかで、優しい仕草に笑いかけた。
「ありがとうございます、あの、僕もです…びっくりした分も嬉しくて、」
「でしょ?こういうの、ほんと田嶋君だわ、」
鼈甲フレームの瞳くるり笑って、ぽん、チョコレート口に運ぶ。
さあどうぞ?そんな視線に隣は遠慮なく手を伸ばした。
「うまっ、やっぱミツコ先生の出してくれるモンはうまいですね、」
「美味しいのしか出しませんよ、だからシュウタくんも安心して召しあがれ?」
甘い香やわらかに笑いかけてくれる。
その眼差し優しく率直で、周太も素直にひとつ摘まんだ。
「いただきます、」
「はい、どうぞ?」
勧めてくれる笑顔に、ひとつぶ口にして芳香ほどける。
豊かな甘さにかすかな苦み、ほっと息吐いて微笑んだ。
「おいしいです…なんだかほっとします、」
「でしょ?私も昔から好きなの、」
眼鏡ごし大きな瞳くるり笑ってくれる。
祖母の友人なら七十も半ば位だろう、そのくせ瑞々しい声が言った。
「これね、斗貴子さんのお気に入りだったチョコレートなのよ。パリの老舗のお菓子屋さん、」
ほら?祖母はここで生きている。
「祖母が…パリの、」
声こぼれてチョコレートが香る。
深い甘い馥郁ほろ苦い、この香なつかしくて似ている。
とても知っているようで、たどる記憶に老婦人はきれいに笑った。
「そう、パリのチョコレート。パリ大学出張のお土産って頂いたのがキッカケで、斗貴子さんは好きになったんですってよ?」
パリ大学出張のお土産、そう言って祖母に贈ったのは?
告げられた言葉たちに口ひらいた。
「あの、祖父が祖母にってことですか?」
「そうよ、湯原教授は粋なダンディでいらしたのね。とても真面目でお堅い方でもあったのだけど、」
メゾソプラノ朗らかに答えてくれる。
ほら?面影たち近くなる、知れる嬉しさに笑いかけた。
「祖父のプレゼントなんですね、」
「だから私もナイショで教えてもらったのよ、でもシュウタくんには良いじゃない?もう時効だし、」
くるり大きな瞳すずやかに笑って、湯呑に笑っている。
朗らかな笑顔、けれど言われた言葉に問いかけた。
「あの、時効ってどういう意味ですか?」
時効、すこし前は身近だった言葉。
つい訊き返した先で老婦人は軽やかに告げた。
「教授と女学生、秘密の恋は罪みたいな時代だったのよ、」
秘密の恋は、罪。
「…、」
ほら言葉が出ない、鼓動が軋む。
それは祖父母のことだからだけじゃない、噛まれる想いに友だちが言った。
「どの恋が罪とか、誰が決められるんでしょうね?」
明朗な声いつもどおり徹る。
明るいクセどこか深い、そんな声に女学者が微笑んだ。
「湯原教授と斗貴子さんの恋は、私には恩恵よ。こんな素敵な学生さんに逢わせてくれたんだもの、チョコレートにもね?」
※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」より抜粋】
第86話 建巳act.37← →第86話 建巳act.39
斗貴子の手紙←
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