萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第81話 凍歌 act.2-another,side story「陽はまた昇る」

2015-01-09 22:00:00 | 陽はまた昇るanother,side story
Hence in a season of calm weather 風ゆるやかに



第81話 凍歌 act.2-another,side story「陽はまた昇る」

起きた窓、もう陽が傾かす。

ゆるやかな光は午後遅い、けれど寝坊じゃないから大丈夫。
そんな腕時計の時刻に微笑んでカーテンそっと閉め、周太は椅子に座りこんだ。

「…あふ…、」

欠伸やっぱりまだ出てしまう。
けれど胸も気管支も苦しくない、それが嬉しくてほっとする。

―喘息の兆候はないよね、だいじょうぶ、

明方まで一夜ずっと寒気にさらされた。
それでも体は変調していない、これなら出掛けても大丈夫だろう。
きっと眠りが深かった、それは昨夜ずっと聴いていた子守唄のお蔭だろうか?

「…やさしい歌だったよね、」

ひとりごと微笑んで立ち上がり台所で湯を沸かす。
こととっ、マグカップ紅茶に注いで蓋すると携帯電話を開いた。

「あ…えいじ?」

ことん、受信履歴の名前に鼓動が響いてしまう。
この名前ほんとうは待っている、そんな自分の本音にため息と微笑んだ。

「…あいたい、かな…」

逢いたいのだろうか、このひとに?

そんな自問に想いふたつ鬩ぎあう、これも我儘だろうか?
ただ逢いたい願いと逢いたくない想い、それが最近よく解らなくなる。

「…お祖母さんのお手紙、読んだからかな、」

元日、実家の自室で祖母からの贈物を見つけた。
半世紀を超えて届いた想いは嬉しくて、その温もり愛しいから考えてしまう。

“ 君のお父さんを、私の caelum を抱いている私です。そこには君も抱きしめています、何故って君は馨さんを通して私の遺伝子と夢を継ぐのだから ”

万年筆きれいに綴られた祖母の想いは温かい。
だからこそ考えてしまう、自分の選択は本当に正しいのだろうか?

「英二…僕には子ども産めないよ?」

そっと言葉にした唇がさみしい。
この想い忘れかけていた、けれど忘れてはいけない。
だって子供を遺せないということは自分と相手だけの問題じゃないかもしれないのに?

―ほんとうに僕はいいの?

自問ひそやかに鼓動する、その想いごとマグカップ持って机に座る。
抽斗そっと開いて一通、封筒をひらき便箋を見つめた。

……

そして私も生かされました。

But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

私が好きな詩の一部です、シェイクスピアというイギリスの詩人が詠みました。
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」ソネットという十四行詩です。
言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われています。
この詩は学問をあゆむ全ての人に贈られるものです、この通りに君のお祖父さんは生きています。
きっと君のお父さんも同じように生きるでしょう、そして私も詩のように生きたのだと自負しています。

君のお父さんの名前は馨ですが「空」でもあります。
馨、この「かおる」という音はラテン語の“ caelum ”カエルムを充てたのです。
若葉の佳い香がする5月の青空の日に君のお父さんは生まれました、だから“ caelum ”です。
馨という文字は言葉を伝える「声」が入っているでしょう?きっと文学を愛する人になると思います。
そうして君に本を読み聴かせてくれるのだと予想しています、お祖母さんの予想は当たっていますか?

君の名前はどんな願いの祈りに付くのでしょう。
考えるだけで幸せになります、そして逢いたくて祈ってしまいます。
馨さんが大人になって大切な恋をして、そして君が生まれてきてくれること。その全てが幸せであれと祈ります。

君のお父さん、馨さんも学問が大好きな人になると思います。今も絵本を見て笑っているわ。
まだ文字も読めないはずの赤ちゃんです、でも小さな指で文字をなぞりながら楽しく笑っています。
だから君も学問を愛する人になるかもしれない、そう想えるから学問にも役立つ贈物を選びました。

いつか時の涯に君と逢えるよう思えてなりません、そのときは笑顔で私を見つけてください。
そのためにも写真を同封しておきます、君のお父さんを、私の caelum を抱いている私です。
そこには君も抱きしめています、何故って君は馨さんを通して私の遺伝子と夢を継ぐのだから。

どうか君、幸せに生きてください。私は永遠に君を愛し護ります。

湯原斗貴子

……

祖母が綴った手紙の言葉たちは終わらない祈り、そう解かるから立ち止まる。
だって自分が子供を遺そうとしなかったら祖母の想いは生きられない、それなのに自分が逢いたい人は同性だ。

「おばあさん…僕の好きなひとは男のひとなんだけど、ね…」

告白を声にして哀しくなる、いま祖母はどんな貌をしたのだろう?
泣かせてしまう?困らせてしまう?そんな想像して溜息そっと手紙をしまった。

「…どうして、」

ぽつり、また声こぼれて頬杖ついてしまう。
この考えごと日数を追うごと募ってゆく、それでも訓練中はなんとか忘れていた。
けれど部屋にひとり座れば考えてしまう、想ってしまう、だって英二にも家族がいるのに?

―おばあさまは何て想うんだろう、この手紙を見たら、

英二の祖母と自分の祖母は従姉妹で親しかった。
そんな人が手紙を読んだら自分と英二の関係をどう考えるだろう?

「…わかれろって言われるかも…えいじ?」

泣きたい想い微笑んで携帯電話を見つめてしまう。
正月にすこしだけ電話で話せた、あれからメールはしても声を聴く勇気がない。
だって泣いてしまうかもしれない、そして手紙を話して知られてしまうことが怖くて竦む。

―読んでほしいって最初は思ったけど、でも、

祖母からの手紙は嬉しくて、だから一緒に読んでほしいと思っていた。
けれど読み返すたび嬉しい分だけ想い裂かれてゆく、その溜息ひとつメールを開いた。

From  :宮田英二
subject:冬富士
本 文 :おはよう周太、無事登頂して5合目まで下山したよ。
     頂上からの写真おくるよ、白いのは風花だけど本当に花みたいだ。
     周太の雪山を想いだしたよ、あの白い花も好きだけど周太の赤い花の方が好きだな。

送られた文面に添付の写真ひらいて、青と白が光まばゆい。
蒼穹きらめく銀色の斜面から純白が舞う、きっと風も強く吹いている。
この強風にも三千メートルの高みを歩く人、あの笑顔ただ懐かしくて笑いかけた。

「英二はかっこいいね?」

あなたは三千メートルの空で何を想うのだろう?

そこでは今この想いなどきっと小さい、それなら笑い飛ばしてくれるだろうか?
こんなふう悩みこんでため息吐くなど無い、そんなふう想えるまま見つめるメールに首傾げた。

「ん…僕の赤い花?」

自分の花といったら誕生花、雪山と銘打たれた山茶花だろう。
だから「赤い花」が不思議で頬杖して、するり右腕の袖が落ちて声が出た。

「あ、」

パジャマの袖落ちた右腕、痣ひとつ紅い。
花びらと似た紅い痣、これが何故あるのか思いだして熱昇った。

「っ…えいじのえっちばかっ、」

ほんとうに馬鹿、なんでこんなことメールしてくるの?

そう面と向かって言いたい、顔を見て文句を言ってしまいたい。    
そんな想い首すじ熱くて頬まで火照る、こんな気恥ずかしさごと紅茶ひといき飲みほした。

「ほんと英二ったら…ばか、」

ばか、馬鹿、なんにも解っていないんだから?

けれど解っていないから幸せなのかもしれない、だって解れば何を選ぶだろう?
その選択に自信なんて一つも今は無い、だからメールひとつ幸せで短い返信すると微笑んだ。

「英二、今が幸せだよ?…ずっと、」

ずっと自分はそう想う、だから今を笑っていたい。
そんな想い微笑んで立ち上がるとマグカップ片づけて、腕時計たしかめクロゼット開いた。

本当は約束の時間にまだ早い、けれど今独りだと泣きそうで。



(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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