萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

不盡、天地の際―万葉集×William Wordsworth

2013-05-17 07:40:44 | 文学閑話韻文系
光輝不尽、遥かなる時に



不盡、天地の際―万葉集×William Wordsworth

天地の分かれし時ゆ 神さびて
高く貴き駿河なる 布士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 
度る日の陰も隠らひ 照る月の光も見えず 白雲も去いき波ばかり 
時じくそ 雪は落りける 語り告げ言ひ継ぎ往かむ 不盡の高嶺は   山部宿禰赤人

天と地が腕ほどき分れた遥か太古より 神の気配に充ちて
高く聳え、貴い、裾引く富士の高峰を 広やかな天穹へと仰ぎ見れば
空渡る太陽も山陰に隠され 照らす月光も遮られ見えず 真白き雲も流れ去れず波のよう留まり
時を知らぬよう常に雪は降る この壮大を語り告げ言い伝えて往きたい 尽きること無き高嶺の富士を

山部宿禰赤人が詠んだ富士賛歌、『万葉集』巻第三に納められています。

冒頭「天地の分れし時」は日本の神話に基づく一文です。
世界の原初は混沌とした靄のような状態で、それが天と地に分かれたと『古事記』に書かれています。
それを踏まえた表現なのですが、この天地開闢は擬人化による描写がちょっとエロい感じです。笑

神話では伊弉諾尊・イザナギノミコトという男神と伊弉冉尊イザナミノミコトという女神が天沼矛・アメノヌボコで最初の島を創ります。
作り方は泥んこ沼状態の地へと鋒を挿しかき混ぜ→水分と土成分に攪拌分離→この土部分が水分=海に滴り積もって島の出来上がり。
っこの作り方ってバターを作るのと似てますよね、水分=乳清で土成分=バターって感じに捉えると解かりやすいのかなあと。笑

この攪拌作業のとき二柱の神が立っていた場所を「天の橋」と書いてありますが、イメージとして虹かもしれないですね。
こうして出来上がった原初の島は淤能碁呂島・オノゴロジマは「自ずから凝った島」または「ゴロゴロ混ぜた島」と選名に二説あります。
この淤能碁呂島で二柱の神はXXXをして日本の国土を生むのですが、その辺の描写もある意味リアルで大らかです。笑
お誘いは男からがマナーだよってことまで書いてあるんですけどね、この理由考察も楽しいかもしれません。

生まれた国土の本州部分を大倭豊秋津島・オオヤマトトヨアキツシマと言います。
この別名を天御虚空豊秋津根別・アマツミソラトヨアキツネワケと言って、天と津=海を根っこから別けた虚空部分という意味です。
いま集中連載中「Lost article 天津風」の天津風は、天空と津=海原を駆けぬける風を表す言葉になります。

また上述の歌は「長歌」物語的な韻文です。
これを要約する短歌=反歌は百人一首でご存知の方もあるかなと。

田兒の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白に衣 不盡の高嶺に雪は零りける  山部宿禰赤人

田子の浦浜に出て見ると、尽きること無き高峰へ雪は降り零れて真白な衣まとうようだ

田子の浦は現在の静岡県にある浜辺です。
真白に「衣」は「そ」と読む万葉仮名ですが、ここでは衣服の意味を絡めた訳にしました。
富士山は裾野が大きく広がるために裳裾ひく貴婦人と称えられます、その辺りでこんな感じです。



Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
And think ye not with radiance more divine
From these remembrances, and from the power
They left behind?

水果てた池と、荒涼たる岩山と、
そして抒情切なき山頂の道しるべに、
あふれる喜びの心と、若き黄金の輝きがふり注いだ。
あれよりも神秘なる光輝を得られると、
数多の記憶と遺された力から
考えられるだろうか?

William Wordsworth『The Prelude [Spots of Time]』の一節です。
茫漠とした抒情ある岩山、そう言われるとこの国では富士山っぽいなあと。
森林限界を超える高峰ならいずれも山頂部分は岩石状ですけどね、笑

divineは神々しいという意味です。
山部赤人の歌にある「神さびて」と重なる感覚がここでも詠まれているなと。
From these remembrances は「数多の記憶」ですが「悠久の時間」とも意訳できます。

ワーズワスの自然に心を詠みこむ歌作は万葉歌人と似ているなあと。
古今東西で人の心も感受性も普遍があるなってことが、こんなふう詩歌からも感じます。
イギリスの倫理学者カントは理性の普遍性ってことを論じていますが、抒情にも同じよう普遍的感覚があるなあと。
そうやって考えると人間の思考も感覚も、民族国境から時空すら関係ないモンかもしれませんね。笑






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