絶願
第83話 辞世 act.10-another,side story「陽はまた昇る」
うす青くなる森の底、山が暮れる。
「…は、」
マスク越し吐いた息、白く凍えてゆく。
気温また低くなった、それでも空の下にいたい。
こんなふう願うのは「会いたい」からだろうか、そんな本音に呼ばれた。
「湯原、来い、」
「はい?」
応えてふり向いた先、朱色きらり雪に明るい。
蒼い雪の森に小さな焚火ゆれる、やわらかな火影に周太は微笑んだ。
「伊達さん、こんなところで焚火ですか?」
「こんなところだからだ、はやく火にあたれ、」
応えてくれるアサルトスーツ姿が黒く座りこむ。
ヘルメットにマスクからブーツまで影と似て、けれど防弾バイザーに炎きらめく。
手元も素肌は指先だけ、そんな先輩の傍かがみ笑いかけた。
「あったかい…すごく速く火を起こせるんですね、雪の中なのに、」
雪中に焚火することは簡単じゃない。
それを1分かからず火を起こす男は言った。
「樺の皮かクロモジを使うと速い、マタギの常識だ、」
ぱちっ、
金色に爆ぜて炎ゆれる、その光が隣の瞳きらめく。
マスクに隠された貌、それでも眼ざしは温かで笑いかけた。
「どっちも油分が多い木ですね…さっき言ってましたけど、猟に参加したことあるんですか?」
数分前、幕営のテントで上司に言っていた。
そんな記憶のまま沈毅でやさしい眼が微笑んだ。
「有害鳥獣駆除だ、鹿とか増えすぎると山のバランスが崩れる、」
その話は自分も知っている。
―森林学講座のフィールドワークであったよね、丹沢の、
大学の聴講からブナ林の実地演習に参加した、あの記憶が話を理解させる。
あのとき楽しかったな?うれしかった山の学びの記憶に笑いかけた。
「ブナとかにも影響あるんですよね、鹿は…ブナバチの幼虫が寄生するから、」
「よく知ってるな、大学に通ってるだけあるか、」
低く落ち着いた声すこし笑ってくれる。
からん、薪くずれ燃える音に伊達が訊いた。
「湯原、班長と2分間なにを話した?」
やっぱり訊いてくれるんだ?
予想どおりの質問に困りながら微笑んだ。
「…ただ謝ってほしいってお願いしました、」
これだけ言えば解かるだろう、この人は。
そう見つめたまま沈毅な瞳が訊いた。
「班長は謝ったか?」
ほら、やっぱり解かってしまう。
ぱちり爆ぜた火の粉ながめながら肯いた。
「はい…だから怒らないでください、」
怒らないでほしい、どうか解かって?
ただ願いと見つめた火のほとり深い眼に炎ゆれた。
「怒るなって無理だ、そうだろ?」
がらっ、
薪くずれて金粉が舞う。
ちいさな焚火、それでも確かな熱に低い声が言った。
「…死なせたパートナーの息子を死地に追いやろうってしてるんだ、そんなヤツの指揮は信頼できない、」
そう想うのも当然だろう?
だからこその考えに唇そっと開いた。
「そうですね、でも…父を死なせたからこそ信じていいと想うんです、そこまで人は強くないから、」
死に死を重ねること。
それは人の心にどんな影響くれるだろう?その見つめ続けた時間へ訊いた。
「…伊達さんは任務で死なせたご経験がありますよね、その人の子供を助けられるとしたら…どうしますか?」
殺した命、その命が遺した命。
そうして再び向きあうとき何を想うだろう?
その経験なぞってしまった瞳はゆっくり瞬いた。
「俺は助けたい、」
ほら、この人はそうだ。
「…よかった、」
笑いかけ安堵ゆるやかに温まる。
肚の底やわらかに寛いで、けれど狙撃手は言った。
「だが殺したいヤツもいるだろうな、復讐を恐れて、」
とくん、
ただ二文字に鼓動が軋まされる。
このことは否定できない、その可能性ゆれる火影に告げた。
「伊達さん、もしも…もし幽霊が現れたら復讐するなって言ってくれますか?」
どうかお願い、この想い解かってほしい。
―どうか英二、復讐なんかしないで?
もう動いてしまっている、あの人は。
そう解っているから二文字に鼓動は軋む、だって否定できない。
今さら遅いのかもしれない?それでも願いたくて縋りたい腕を掴んだ。
「お願いです、もし僕が帰らなくても幽霊を止めてください、あの防犯カメラの父と似たひと…伊達さんにしか頼めません、」
地下の監視カメラ室、あの隠された部屋で見せられた記録画像。
『似てると思ったから湯原に確かめてほしかったんだ、もし生き別れの兄さんとかいたら嬉しいだろうって思ってさ?おせっかいだけどな、』
あの画像に伊達はそう言ってくれた。
あんなふう考えてくれる人なら託せる、今はそう信じるしかない。
「地域部長の部屋のカメラの画像です、父と似た人を見せてくれましたよね?もし現れたら復讐するなって言ってください、もし父の幽霊でも、」
あれは父の亡霊かもしれない。
あの場所に、警察に、父が生きた場所に映った人影。
それは自分がよく知る男なのだろう、それすらも父の残像かもしれない。
「あのひとが誰だとしても復讐は止めてほしいんです、だって父はそんなこと望むひとじゃありません、だって父は救ってくれって言ったんです最期に、」
父の最期の言葉が指したのは、一人じゃなかったかもしれない。
『犯人を救けてほしい、周太の父さんはそう言ったそうだよ、』
あのひとが教えてくれた最期の言葉。
そして「犯人」の現実は一人じゃない、それを父は知っていた。
「きっと父は知っていたと思うんです…佐山さんは巻きこまれただけって解かってて、だから救ってほしいと言ったんです…きっと狙撃した人が誰かも知っていたと思います、知っていたからこそ救けてほしいって言ったと思うんです…父のパートナーだった人だから、」
知っていた、だから救いを願った。
そんな父だと自分は知っている、だから縋った相手はそっと微笑んだ。
「わかったよ湯原、俺が止める、」
ほら、受けとめてくれた。
この言葉きっと裏切らない、だって瞳が澄んでいる。
沈毅で深いまっすぐな瞳、そのままに低く透る声が約束つげた。
「絶対に止めてやる、だから湯原も絶対に帰ってこい。俺も援護するから絶対に帰れ、」
このひとも「絶対」だと言ってくれる。
―英二も言ってくれた、絶対の約束って、
あのひとは幾つも約束くれた、その度いつも嬉しかった。
あの約束は叶うこと無いのかもしれない、そんな俤見つめながら微笑んだ。
「はい、帰ります…よろしくお願いします、」
ほんとうに帰りたい、願えるのなら。
ただ願いごと見つめる真中、隣の手は焚火へ雪をかけた。
「時間だ、行くぞ、」
ざっ、ざっ、
雪で消して、その燃えがらをばらしてゆく。
燻ぶる朱色と墨色が雪へ散る、消えてゆく残り火に教えてくれた。
「木は一本じゃ燃えにくいんだ、消えかけた薪でも二つより並ぶと火を誘発してまた燃えだす、だから焚火が終わったら燃え残りは離すんだ、」
燻ぶる枝たち30センチほど離して並べる。
そこへ雪また掛けて、ブーツ踏みしめながら低く微笑んだ。
「人間も同じだな、一人より二人だ、」
そんなふう想う相手がいるの?
訊いてみたい、でも訊いて良いのだろうか?
つい考えながら見つめた相手はマスクとヘルメットの蔭から笑った。
「湯原はそういう相手いるもんな、だから絶対に帰れよ?」
あ、まだ誤解されているかも?
―それって美代さんのこと言ってるよね、たぶん?
気がついて、けれど今さらもう訂正する時間もない。
ただ気恥ずかしさ首すじ逆上せて、困らせる熱と歩きだして言われた。
「これから山岳レンジャーとの打ち合わせだがな、顔見知りも多いだろうが動じるなよ?」
顔見知りなら見破られやすい。
それは自分たちの任務には禁忌で、ただ肯いて幕営のテント再び潜った。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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周太24歳3月
第83話 辞世 act.10-another,side story「陽はまた昇る」
うす青くなる森の底、山が暮れる。
「…は、」
マスク越し吐いた息、白く凍えてゆく。
気温また低くなった、それでも空の下にいたい。
こんなふう願うのは「会いたい」からだろうか、そんな本音に呼ばれた。
「湯原、来い、」
「はい?」
応えてふり向いた先、朱色きらり雪に明るい。
蒼い雪の森に小さな焚火ゆれる、やわらかな火影に周太は微笑んだ。
「伊達さん、こんなところで焚火ですか?」
「こんなところだからだ、はやく火にあたれ、」
応えてくれるアサルトスーツ姿が黒く座りこむ。
ヘルメットにマスクからブーツまで影と似て、けれど防弾バイザーに炎きらめく。
手元も素肌は指先だけ、そんな先輩の傍かがみ笑いかけた。
「あったかい…すごく速く火を起こせるんですね、雪の中なのに、」
雪中に焚火することは簡単じゃない。
それを1分かからず火を起こす男は言った。
「樺の皮かクロモジを使うと速い、マタギの常識だ、」
ぱちっ、
金色に爆ぜて炎ゆれる、その光が隣の瞳きらめく。
マスクに隠された貌、それでも眼ざしは温かで笑いかけた。
「どっちも油分が多い木ですね…さっき言ってましたけど、猟に参加したことあるんですか?」
数分前、幕営のテントで上司に言っていた。
そんな記憶のまま沈毅でやさしい眼が微笑んだ。
「有害鳥獣駆除だ、鹿とか増えすぎると山のバランスが崩れる、」
その話は自分も知っている。
―森林学講座のフィールドワークであったよね、丹沢の、
大学の聴講からブナ林の実地演習に参加した、あの記憶が話を理解させる。
あのとき楽しかったな?うれしかった山の学びの記憶に笑いかけた。
「ブナとかにも影響あるんですよね、鹿は…ブナバチの幼虫が寄生するから、」
「よく知ってるな、大学に通ってるだけあるか、」
低く落ち着いた声すこし笑ってくれる。
からん、薪くずれ燃える音に伊達が訊いた。
「湯原、班長と2分間なにを話した?」
やっぱり訊いてくれるんだ?
予想どおりの質問に困りながら微笑んだ。
「…ただ謝ってほしいってお願いしました、」
これだけ言えば解かるだろう、この人は。
そう見つめたまま沈毅な瞳が訊いた。
「班長は謝ったか?」
ほら、やっぱり解かってしまう。
ぱちり爆ぜた火の粉ながめながら肯いた。
「はい…だから怒らないでください、」
怒らないでほしい、どうか解かって?
ただ願いと見つめた火のほとり深い眼に炎ゆれた。
「怒るなって無理だ、そうだろ?」
がらっ、
薪くずれて金粉が舞う。
ちいさな焚火、それでも確かな熱に低い声が言った。
「…死なせたパートナーの息子を死地に追いやろうってしてるんだ、そんなヤツの指揮は信頼できない、」
そう想うのも当然だろう?
だからこその考えに唇そっと開いた。
「そうですね、でも…父を死なせたからこそ信じていいと想うんです、そこまで人は強くないから、」
死に死を重ねること。
それは人の心にどんな影響くれるだろう?その見つめ続けた時間へ訊いた。
「…伊達さんは任務で死なせたご経験がありますよね、その人の子供を助けられるとしたら…どうしますか?」
殺した命、その命が遺した命。
そうして再び向きあうとき何を想うだろう?
その経験なぞってしまった瞳はゆっくり瞬いた。
「俺は助けたい、」
ほら、この人はそうだ。
「…よかった、」
笑いかけ安堵ゆるやかに温まる。
肚の底やわらかに寛いで、けれど狙撃手は言った。
「だが殺したいヤツもいるだろうな、復讐を恐れて、」
とくん、
ただ二文字に鼓動が軋まされる。
このことは否定できない、その可能性ゆれる火影に告げた。
「伊達さん、もしも…もし幽霊が現れたら復讐するなって言ってくれますか?」
どうかお願い、この想い解かってほしい。
―どうか英二、復讐なんかしないで?
もう動いてしまっている、あの人は。
そう解っているから二文字に鼓動は軋む、だって否定できない。
今さら遅いのかもしれない?それでも願いたくて縋りたい腕を掴んだ。
「お願いです、もし僕が帰らなくても幽霊を止めてください、あの防犯カメラの父と似たひと…伊達さんにしか頼めません、」
地下の監視カメラ室、あの隠された部屋で見せられた記録画像。
『似てると思ったから湯原に確かめてほしかったんだ、もし生き別れの兄さんとかいたら嬉しいだろうって思ってさ?おせっかいだけどな、』
あの画像に伊達はそう言ってくれた。
あんなふう考えてくれる人なら託せる、今はそう信じるしかない。
「地域部長の部屋のカメラの画像です、父と似た人を見せてくれましたよね?もし現れたら復讐するなって言ってください、もし父の幽霊でも、」
あれは父の亡霊かもしれない。
あの場所に、警察に、父が生きた場所に映った人影。
それは自分がよく知る男なのだろう、それすらも父の残像かもしれない。
「あのひとが誰だとしても復讐は止めてほしいんです、だって父はそんなこと望むひとじゃありません、だって父は救ってくれって言ったんです最期に、」
父の最期の言葉が指したのは、一人じゃなかったかもしれない。
『犯人を救けてほしい、周太の父さんはそう言ったそうだよ、』
あのひとが教えてくれた最期の言葉。
そして「犯人」の現実は一人じゃない、それを父は知っていた。
「きっと父は知っていたと思うんです…佐山さんは巻きこまれただけって解かってて、だから救ってほしいと言ったんです…きっと狙撃した人が誰かも知っていたと思います、知っていたからこそ救けてほしいって言ったと思うんです…父のパートナーだった人だから、」
知っていた、だから救いを願った。
そんな父だと自分は知っている、だから縋った相手はそっと微笑んだ。
「わかったよ湯原、俺が止める、」
ほら、受けとめてくれた。
この言葉きっと裏切らない、だって瞳が澄んでいる。
沈毅で深いまっすぐな瞳、そのままに低く透る声が約束つげた。
「絶対に止めてやる、だから湯原も絶対に帰ってこい。俺も援護するから絶対に帰れ、」
このひとも「絶対」だと言ってくれる。
―英二も言ってくれた、絶対の約束って、
あのひとは幾つも約束くれた、その度いつも嬉しかった。
あの約束は叶うこと無いのかもしれない、そんな俤見つめながら微笑んだ。
「はい、帰ります…よろしくお願いします、」
ほんとうに帰りたい、願えるのなら。
ただ願いごと見つめる真中、隣の手は焚火へ雪をかけた。
「時間だ、行くぞ、」
ざっ、ざっ、
雪で消して、その燃えがらをばらしてゆく。
燻ぶる朱色と墨色が雪へ散る、消えてゆく残り火に教えてくれた。
「木は一本じゃ燃えにくいんだ、消えかけた薪でも二つより並ぶと火を誘発してまた燃えだす、だから焚火が終わったら燃え残りは離すんだ、」
燻ぶる枝たち30センチほど離して並べる。
そこへ雪また掛けて、ブーツ踏みしめながら低く微笑んだ。
「人間も同じだな、一人より二人だ、」
そんなふう想う相手がいるの?
訊いてみたい、でも訊いて良いのだろうか?
つい考えながら見つめた相手はマスクとヘルメットの蔭から笑った。
「湯原はそういう相手いるもんな、だから絶対に帰れよ?」
あ、まだ誤解されているかも?
―それって美代さんのこと言ってるよね、たぶん?
気がついて、けれど今さらもう訂正する時間もない。
ただ気恥ずかしさ首すじ逆上せて、困らせる熱と歩きだして言われた。
「これから山岳レンジャーとの打ち合わせだがな、顔見知りも多いだろうが動じるなよ?」
顔見知りなら見破られやすい。
それは自分たちの任務には禁忌で、ただ肯いて幕営のテント再び潜った。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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