萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

温赦、真想act.3 ―another,side story「陽はまた昇る」

2011-10-31 21:33:00 | 陽はまた昇るanother,side story
赦し、温もりの場所



温赦、真想act.3 ―another,side story「陽はまた昇る」

この隣を、信じて良かった。
この隣から離れないでいて良かった。

父の真実はまだ隠されたピースがある。
それは冷たい真実かもしれない?けれどきっと、どんな冷たい真実があっても大丈夫。
この隣がこうして温かな穏やかな強さで自分を掴んで幸せに浚ってくれる。
きっとずっと大丈夫、この隣をずっと信じて自分は生きていける。
もう二度と自分は孤独に戻らない。

救助服が涙で透けた頃、周太は顔を上げた。
空にはもう月が掛かり始めている。
額に感じた風は冷たかったけれど、抱きしめられた体は温かかった。
きれいな笑顔で宮田が笑ってくれる、周太も微笑んで唇を開いた。

「ありがとう…掴んでくれて離さないでくれた…うれしい、」
「俺も嬉しいよ。だって、俺が離れたくないんだ」

そんなふうに言ってもらえて、うれしい。
こんなに思って求められている、それなのに自分は13年間の悲しみに負けそうになった。
それでもまだこうし求めて離さないでくれる、嬉しくて、今はもう素直に甘えてしまえる。

「俺を離さないで。ずっと…隣にいてほしい」
「ずっと隣にいるよ。約束しただろ?」

周太は笑った。
幸せで、嬉しくて、きっと今きれいな笑顔になっている。

笑った唇にそっと体温がふれる。
こういうのは恥ずかしい、けれど嬉しい。
この隣の為ならすこしくらい恥ずかしくても構わないと思ってしまう。

静かに温もりが唇を離れてゆく。
それからねと切長い瞳がこちら覗きこんだ。

「あの店に行こうとしたの俺に隠しただろ?もう隠さないって一昨日、約束したのに」
「…ん、ごめんなさい」
「隠しても俺は必ず見つける、でも隠されたら悲しい。俺だって傷つくよ?」

この隣が傷つく。
自分が傷つけるだなんて周太は驚いた、そして悲しくなった。
自分はきっと本当に残酷なことをした、その事にようやく気付いて声こぼれた。

「…ごめん、なさ、い…」
「俺を本当に傷つけられるのは誰なのか、いいかげん気づいて?」

きれいな切長い目が少し怒っているよう見える。
どうしよう、どうしたらいいのだろう。

「…なんでもするから…ゆるして…」

どうしたら許してもらえるのか解らない。
哀しくて途惑って、そのままに唇が動いてしまう。
怒られても呆れられても仕方ない、覚悟しながら周太はそっと隣を見上げた。

「じゃあさ、」

言って、宮田がにっこり笑った。

「周太、外泊許可とってよ」
「…え、?」

どういう事なのだろう。

「癒してよ、傷ついたんだから俺」

癒すってどうするのだろう、宮田は何を言っているのだろう。
解らなくて見つめていると、端正な唇の端があがった。

「俺さ、昨日のうちに外泊許可、出しておいたんだよね」
「…どういうこと?」
「今日は俺さ、週休なんだよ。訓練が終わったら来るつもりだったから、念のため許可を貰っておいた」

言って嬉しそうに、隣が笑った。

「朝までずっと添い寝して。周太の体温だけが、俺を癒せるんだよね」

どうしてこういつも手際が鮮やかなのだろう。
それもこんないいかたするなんて。
恥かしい、けれど嬉しい。でも、もう、首筋が熱くなってきた。
俯く顔を覗きこんで、宮田が微笑んだ。

「独りになんかしない、離さない。約束通りに幸せに浚うから」

明日は日勤だから朝一で帰るけどね。
そんなこと言いながら、宮田は笑っている。

13年分の辛く冷たかった現実の、涙の余韻がまだ残る。
このまま独りの夜に抱えるのは、本当は辛いし切ない。この隣はそれを解ってくれている。
涙の余韻が辛い自分を、独りにしないと言ってくれる。

いつもこんなふうに、言わなくても解ってもらえる。
もし解ってもらえなかったら、今頃きっと、自分は冷たい孤独の中に沈んでいた。
この隣はいつもこんなふうに、そっと寄り添って救ってくれる。

幸せで、嬉しい。
けれど、外泊のことは、やっぱりちょっと恥ずかしい。
途惑ったまま周太は口を開いた。

「りゆう…なんていえば、いいんだよ」
「同期が来たって、本当のこと言えば良いだろ?所轄内だし、すぐ許可出るよ」
「…新宿署は厳しいかもしれないけど?」

そんなふうに言いながら寮へ戻って、とりあえず外泊申請書を書いた。
新宿署のはどんな用紙?と宮田が眺めながら、担当窓口までついてくる。
それを取上げて提出したら、あっさり通ってしまった。

「すぐそこですね」と聞かれたから、同期が来ているんですと正直に言った。
担当は、山岳救助隊服姿の宮田を見、楽しんでおいでと笑って判を押してくれた。

なんだかまた、宮田の罠に嵌められていく。
そんな気がしながらも、周太は白いシャツを鞄に納めた。

廊下に出ると、救助隊服姿の宮田は、壁に凭れて深堀と話していた。
こんなところを見られるなんて、ちょっと気まずい。
そんなふうに周太が思っていると、深堀が笑ってくれた。

「宮田とオール飲みだってね。楽しんできて」
「あ、ん。ありがとう」

当番勤務の休憩にちょっと戻ったんだと言って、行きかけながら深堀が言った。

「宮田、雰囲気良くなったね。なんか頼もしくなった?」
「おう、さんきゅ」

きれいに笑って宮田は返した。
けれどなんだか、周太はその隣で困ってしまう。首筋が熱くなっていくのが、困る。

それから寮を出ると宮田が笑った。

「俺、正直に言っただけだから」
「…なんのこと」

深堀に言ったことだよと言いながら、きれいな切長の目が笑う。

「前にもオールしたところ、今夜も行くからさ」

前にオールしたところなんて、卒業式の夜の、あのビジネスホテルしかない。
懐かしくて気恥ずかしい、あの記憶の場所。

「…っ」

もうどうしていつもこうなのだろう。
けれどいつも、こんなふうに、掴んで離してくれない事が、嬉しい。
逃げようとしても、無理矢理に掴まえて、温もりで離さない腕が、嬉しい。


先に浴室使ってと、宮田は微笑んでくれた。
けれど、今日ばかりは周太は固辞した。
山岳救助隊服を早く着替えさせて、宮田を楽にしてやりたかった。

宮田が浴室にいる間、周太はコーヒーを淹れた。
ドリップ式のインスタントコーヒーをセットして、ゆっくりポットの湯を注ぐ。
芳しい香が、和やかに部屋の空気を暖めていく。

あの卒業式の翌朝は、フィルターを透って色を変える湯が、切なかった。
あの一夜で変えられた、心と体と声を持て余して。
すぐ後の別れを想って、涙があふれた。

けれど今きっと、自分の顔は微笑んでいる。
あの隣が離さないでいてくれる。その安らぎと幸せが、心と体に充ちて温かい。

1杯のコーヒーを淹れ終わった時、扉が開いて周太は振返った。

「お待たせ、先にごめん、」

髪から雫をこぼしながら、きれいな笑顔が咲いていた。
気遣って急いでくれたのだろう、カラーパンツの長い脚の上、上半身はタオルを羽織っただけでいる。
その火照った胸や腕が、また前よりも、きれいに引締まっていた。
なんだか恥ずかしい、周太はそっと目を伏せた。

「…コーヒー、飲んでて」
「周太、淹れてくれたんだ?」

嬉しそうな声が近い。顔を上げると、すぐ隣から微笑んでくれていた。
そんな格好で近づかれると、なんだか途惑ってしまう。
どうしよう、こんなことは慣れていない。
それなのに隣は、嬉しそうに顔を覗きこんでくる。

「周太のコーヒー、すげえ嬉しいんだけど」
「あ、…そうよかった」

お願いそれ以上は今ちょっと近づかないで。
なんだか解らないけれど緊張してしまう。
それでもなんとか、周太は声を押し出した。

「…風呂、」

ぼそっと言って着替えを掴むと、周太は浴室の扉を開けた。
たぶん今もう、真っ赤になっている。
そしてたぶん扉の向こうでは、あの隣はきっとなぜだか喜んでいる。

頭から温かい湯を浴びる。
ぬくもりと湯の肌ざわりに、少し心が落着いてきた。

今日の昼間は、絶望して冷たい孤独の底にいた。
そして宮田が来てくれて、温かい幸せに抱きしめられた。
それから、あの店の主人と父の温もりに、涙が止まらかった。
そうして今はこんなふうに、なぜだか緊張して恥ずかしくて仕方ない。

今日はなんて起伏の多い日なのだろう。
こんなことは初めての事、周太はそっとため息を吐いた。

けれど宮田が来てくれてからは、どれも嫌なことじゃ無かった。
むしろ本当に、幸せなことだと思える。

どうしてこんなふうに、幸せになるのだろう。
どうしていつもこんなふうに、あの隣は幸せにしてくれるのだろう。
嬉しくて、温かくて、ずっとこのまま離れたくない。

髪を拭きながら、周太はふと鏡を見た。
どこか恥ずかしげで、けれど明るい幸せそうな顔。
一昨日は関根達に「きれいになった」と言われて恥ずかしくて困った。お姉さんにまで言われて。
安本も幸せそうだと、言ってくれた。

人は心が貌に顕れると言うけれど、その通りなのかもしれない。
だって今、この扉の向こうで待つ人。
その人を想うと幸せで、もうじき扉を開く今、恥ずかしさも幸せも充ちていく。
心が顕れるなら、今の貌はきっと、きれいになって当然だろう。

周太は静かに扉を開けた。
そっと部屋へと降りると、気配が静かに鎮まっている。

温かなライトの下、卒業式の夜と同じような部屋、なんだか懐かしい。
サイドテーブルには香だけ残るマグカップが置かれている。
ソファで宮田が眠っていた。

座ったまま器用にアームに頬杖ついて眠っている。
訓練後すぐに来てくれた、疲れているだろう。
このまま静かに休ませてあげたい、周太は声を掛けない事にした。

そっと隣に座って端正な寝顔を周太は覗き込んだ。
濃い睫毛の影が相変わらずきれいだった。
警察学校の寮で毎日のように眺めた寝顔、懐かしくて、けれど前と少し違っている。

白皙の頬が少しシャープになった。
ただよう穏やかさと静けさが、また深まった。
かるく閉じられた唇に強い意思の気配がある、白いシャツの襟元の首筋がなんだか頼もしい。

卒業から1ヶ月と10日程。
それだけの間に随分と、宮田は大人の男の貌になった。

良い男になったのは、周太のおかげ。宮田の姉はそう言ってくれた。
本当に、そうだと嬉しい。
そんなふうに静かに眺めていたのに、ふっと切長い目が開いた。
きれいな瞳がこちらを見て、嬉しそうに微笑んだ。

「…見惚れてた?」

そんなふうに率直にきかないでほしい。途惑ってしまうから。
けれどなんだか今は、恥ずかしいけれど、素直に口が開いてしまう。

「…ん、みとれていた」

きれいに笑って隣が腕を伸ばす。
肩から抱き寄せられながら、きれいな低い声が聞こえた。

「俺の方がね、いつも見惚れてるって、知ってる?」

そんなふうに言われるとなんて答えていいのか解らない。
けれどそんなふうに、いつも求められている。そのことが嬉しい。
だから気持ちだけでも伝えたい、周太は唇を開いた。

「…うれしい、」

そっと微笑む隣が嬉しそうに笑ってくれる。

「周太が嬉しいと俺は幸せだよ、」

懐かしい空気の中でゆっくりと甘やかされていく。
きれいな低い声だけが自分の心に響いてくる。

「周太は、きれいだ」

ほんの2時間前までの、冷たかった孤独な現実。
まだ残っていた、13年分の想いの涙の余韻。
けれど今はもう、穏やかさに甘く温かくとけていく。

「大好きだ周太、いちばん大切で、いちばん欲しい。だからずっと隣にいさせて」

そんなふうに告げてくれる。
そんなふうに告げながら、そっと自分にふれてくれる。

「俺にとって何よりきれいで惹かれるのは、周太だけだ、」

髪に頬に額に、唇に、ふれていく。
体の全てにふれて、そっと寄り添って離れない。

「何があっても離さない、約束だろ周太」
「…ん、」
「俺は絶対に約束を守る、だからもう離れていかないで」

抱きしめて告げてくれる真直ぐな瞳。
きれいで、きれいな瞳があんまり綺麗で心が締めあげられる。
こんな自分の現実にこんなに綺麗な瞳をひきこんでしまう、それが哀しい。

けれど求められることが嬉しくて見つめられると拒めなくて。
それにもう。とっくに自分は、この隣から離れられない。
奥多摩の氷雨の夜にもう思い知らされてしまった。
この隣を失ったらきっと自分は生きてもいられない、そんなふうに心が痛い。

だからもう、素直になってしまっている。
体も心も言葉も、なにもかも、自分ですら閉じられない。

ほら、もう、唇がほどかれてしまう。

「…離さないで。約束を守って」
「必ず守る、絶対だ。だから俺だけを見て」

きれいな笑顔、きれいな低い響く声。
もうとっくに拒めない。

「…うれしい。ずっと見てる、だからずっと隣にいて」

きれいに笑って、隣がねだってくれる。

「大好きって言ってよ」

前ならきっと言えなかった。
今だって本当は恥ずかしくて、言えるわけがない。
けれど今日、山岳救助隊服の姿で、冷たい現実から救ってくれた。
もうどうやって拒めばいいのかなんて、わからない。

「…だいすき、」

そっと告げて周太は、きれいに笑った。




にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

心象風景写真ランキング

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 温赦、真想act.2―another,sid... | トップ | 第20話 温赦、介抱act.1―sid... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るanother,side story」カテゴリの最新記事