萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第76話 霜雪act.3-side story「陽はまた昇る」

2014-05-13 08:00:13 | 陽はまた昇るside story
watershed 境界と異同



第76話 霜雪act.3-side story「陽はまた昇る」

書類まとめた机の上、ほっと息吐いて楽になる。

がたり椅子ひく音ざわめきだす、話し声いくつも起きてゆく。
懐旧を温める声、紹介する声、そんな様々のなか席立つと声かけられた。

「警視庁の宮田さんですよね?」

ほら、公人の貌を求められる。
その責務のまま笑顔ひとつ英二は綺麗に笑った。

「はい、宮田です。長野県警の藤本さんでしたよね、」

笑いかけ名前を呼ぶ、その相手の貌ふっと和らいでしまう。
今ここが初会話、だからこそ予習した写真の同一人物は笑った。

「名前もう憶えてくれたんですか?最初の自己紹介だけなのに、」
「事例のお話が印象的で憶えています、」

率直に笑いかけた前、日焼の貌が笑ってくれる。
誰も自身の話を憶えてもらったら嬉しいだろう、その通りに目の前の山ヤも言った。

「そう言ってもらうと嬉しいですね、ちょっと過激に言い過ぎたかと反省しているのですが、」

確かに過激でもあったかな?
そんな納得と、それ以上に同意から笑いかけた。

「私も当事者になったらあれくらい思いますよ?あれは山岳レスキューの現場なら有り得る問題です、今日ここにいる誰にとっても、」

長野県警が出した事例は山なら何処でも起き得る。
警視庁管轄こそ増えるかもしれない、その予想に長野の山ヤが尋ねた。

「奥多摩でも似たようなことがありますか?」
「はい、青梅署から聴いています、」

先月、道迷い捜索を手伝った時にそんな話を聴いた。
あのとき焚火を囲んだ会話と山の冷気が懐かしくなる、そんな想いに精悍な瞳が訊いてくれた。

「そのお話すこし伺いたいです、お時間まだ大丈夫ですか?」
「10分くらいなら。上司たちも話し中のようですし、」

微笑んで答えながら視界の端、スーツ姿4つ確かめる。
まだ全員が話し終らない、それぞれの空気を計りながら英二は口を開いた。

「10月の週末に滑落事故があったんですが、その救助について家族から謝罪を求められたそうです。危険個所を整備していないこと、救助のスピード、
そういうサービスが悪いのは公務員の怠慢だと隊員が言われました。その要救助者はコンパスや地図はもちろんライトも雨具も持たないハイカーです、
奥多摩は都心からのアクセスが良くて気楽に来られます、その気楽さの分だけ危険意識が薄いようです。救助要請をタクシー気分でされる方もあります、」

救助して、けれどクレームを言ってくれる場合がある。
もし本当に不備があれば仕方ないとしても、それ以前の問題が大きすぎる。
こんな事態は山の原則にも沿っていない、そうした現状に長野の山ヤもため息吐いた。

「意識って大事ですよね、うちの管轄はマンガの舞台に使われましたけど、あれの所為で救助が無事に出来なければ謝罪が当然だと思われてしまって。
もちろん安易に謝ったりしません、そうすると正義面で言ってくる人もいます、山で斃れた仲間を讃えるべきだし救助出来なければ土下座で当り前だとね、」

そういう話は幾つか聴いている、その当事者が今ここで話してくれる。
こうした現実は他人事じゃない、そんな想いに青年は重い口を開いた。

「たしかに相互扶助は山の原則です、でも、それ以前に自助が無かったら助かるモノも助かりません。そういう自助の努力は登る前からありますよね?
普通に旅行するのでもガイドブックで調べてから行くと思うんです、行先の気候で服装も決めるだろうし持ち物も決めますよね?そんなの山でも同じです、」

海外旅行に行く、そうなれば誰も目的地を知ろうとする。
そんな意識すら登山には持たないハイカーも増えている、そのリスクを藤本は言った。

「山は季節ごと風の向きから強さまで変わります、気温も違うし植物の繁り方も岩の湿度も、全てが変ってしまいます。だから難易度も変わるんです、
前に登れたからって今回も無事登れるかは解らない、だから登るたび下調べは大事だし絶対に無理しない判断力が要ります、それは自分の努力だけです、
そういう自助の必要性を解らない人ほどマンガの理想論を鵜呑みに責められます、遭難者だけを賛美して救助隊員の命からリスクまで無視してくれます、」

現実を知らない、だからこそ理想論を鵜呑みにしてしまう。
それは山に限ったことじゃない、そうして起きる齟齬に英二は微笑んだ。

「そうですね、現実を知らない方ほどマンガやテレビで言われた事を現実なのだと思いこみやすいですね?」
「それが現実の通りなら良いんですけど、でも違うから困っています、」

本当に困りますよ?
そんなトーンに笑った日焼顔は続けてくれた。

「マンガに描いてあったらしくて、救助ヘリで遺族を遭難場所まで連れて行けと言う人もあります。でもヘリの出動は人命救助の為で税金で飛びます、
個人利用は出来ません、なにより慰霊に使ってる間に救助要請が来たら応じられない、そのために犠牲者が出れば慰霊される方にも不本意なはずです、」

救助ヘリには出動許可の規定と天候条件がある。
その規定を個人利用で許せば本来の目的が果たせない、その意味に頷いた。

「個人利用を許可すれば緊急性に応えるなど出来ませんね、ヘリは台数も限られていますし、」
「はい、燃料や費用の確保はもちろんパイロットが無理です、それを個人使用していたら本来の目的が果たせなくなります、」

答えてくれる通りに救助ヘリの配備は限られている、それは操縦技術の問題が大きい。
山岳レスキューの現場はもちろん山、そして山は地形が複雑なためにヘリの機体が入ることから難しい。
そこに谷などから起きる乱気流もある、この悪条件に応えるパイロットは人材が限られるため救助ヘリの台数は限られてしまう。

そんな現実を無視して理想論を描かれても現場が応えるなど出来るはずも無い。
その問題を背負わされてしまった山ヤの警察官は困り顔のまま笑った。

「救助ヘリの慰霊も土下座も、美談になると思ったからマンガは描いたんでしょうけど現場にしたら理想論のエゴです、それでもアレが正義だと思われてる、
だから断ると悪者扱いされますよ?でも現場では有得ません、あの通りやってたら人員も費用もパンクです、今も民間と協力しなくては対応しきれないのに、」

山を舞台にした漫画、映画、小説、どれも作者は山を好きだろう。
どんな表現でも山を好きで、好きだからこそ美しい世界として理想論を描きたがる。
けれど理想論が現実を壊すこともある、そこにある現状とリスクに英二はそっと笑った。

「山は理想論じゃ登れません、でも理想好きなこと言いたがる人も多いですね?」

山は理想郷じゃない、現実世界の一部だ。
現実だからこそ理想優先では登れない、だからこそ負うべき自助と笑いかけた。

「私は山を始めて2年目です、その前は私にも山はマンガやテレビの世界で、ただ綺麗だなって見ているだけでした。だけど現実に山に入れば違います、
登れたらカッコいい岩壁も転落死が当り前です、天候も厳しくて夏すら凍死の可能性があります、どのリスクも現実の判断と自分の脚でしか登れません、」

ただ登ることすら現実を無視できない、それは当然だろう。
そんな当然すら解かっていない理想論が美化される、そんな風潮への嫌悪に英二は微笑んだ。

「それに奥多摩の山は自殺者も多いんです、山菜や山野草の盗掘といった犯罪現場にもなります、誰もが崇高な理想で登ってるわけじゃありません。
なにより山へ登ることは危険へと自分から出掛けることです、そういう我儘に理想論を言っても説得力はありません、好きと理想は違うと思っています、」

山があるから登ってみたい、それは本音ありのまま自分勝手な我儘だ。
そういう我儘を楽しめたら幸せだろう、そして我儘の涯に遭難死しても周囲の誰を責められる?
こうした我儘を自分もしている、その自覚は現実を見つめるほど楔になって背骨になった、そんな想いへ山ヤが笑ってくれた。

「宮田さんって確かにカッコいいな?噂では聞いていたけど納得です、」

褒めてくれている、けれど解らないな?

この褒め言葉に今の立場で頷いて良いのかどうか?
そんな判断とただ微笑んだ背から懐かしい声が呼んだ。

「宮田、副隊長と国村さんが呼んでる、」

低くても透る声、そして言葉数が少ない。
こんな相手は誰かすぐ解かる、その懐かしさに振り向き笑った。

「原さん、ちょうど今この間の話です、ビバークの時の、」
「ん、」

短く頷く浅黒い顔は相変わらず仏頂面に見えてしまう。
けれど瞳は笑っている、こんな不器用な同僚を前へ押し出した。

「藤本さん、青梅署の原です。今話していた滑落事故の救助に当たっていました、」

紹介されて浅黒い顔すこし困りだす。
それでも相手を見て原は挨拶してくれた。

「青梅署の原です、」
「藤本です、君も背が高いですね、何センチですか?」
「178cmです、」

他愛ない挨拶かわして精悍な瞳すこし畏まっている。
そのスーツ姿も目新しくて、だから解かる緊張を見ながら微笑んだ。

「藤本さん、来年の指導者研修会は参加させて頂く予定です、またよろしくお願いします、」
「はい、またお願いします、」

笑いあって別れた背中は背広を透かして逞しい。
そんな姿を見送りながら英二は隣に笑いかけた。

「原さんのスーツ姿って初めて見ます、わりと似合いますね?」

すこし笑わせてあげたくて言ってみる。
その意図に精悍な瞳ほっと笑ってくれた。

「わりとってなんだよ?」
「原さんってラフな格好のイメージしか無いですから、」

思ったまま笑って廊下へ出た向こうスーツ姿もう三つ待っている。
その向こうからまた一人、一ヶ月前に話したばかりの再会もこちら見ながら歩いてくる。



(to be continued)

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