萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第66話 光望act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-18 23:24:03 | 陽はまた昇るanother,side story
自由、行方の先に



第66話 光望act.3―another,side story「陽はまた昇る」

見上げた空は晴れ、薄雲が白い。

懸垂下降は岩場より足元が楽、けれど炎熱に煎られる。
下っていく隊舎の壁は真昼の太陽が照り返し、遮る蔭も無いまま背から熱い。
フェイスマスクの狭間にも汗伝う、その足元から昇らす熱暑に突入服は内から濡れてゆく。

―山の訓練は涼しいぶん楽だけど、こっちのが足場はずっと楽、

もう馴れたザイルを繰りながら奥多摩の訓練が懐かしい。
英二と光一の自主訓練を共にさせて貰った、あの経験がこんなふうに今活きてくれる。
天然の岩壁、いわゆる「本チャン」から始めたお蔭で、装備の重量があっても人口壁には不安が少ない。
そんな実感ごと訓練に集中する片隅から、また父の軌跡ひとつ見えてくる。

『その本は部活の先輩から貰ったんだよ、この本を書いたのは私の先生でな、その先輩のお父さんなんだ』

田嶋教授が話してくれた「部活」は山岳部のこと、そして「先輩」は父を指す。
大学でも山岳部の父ならば懸垂下降も得意だったろう、それも射撃の名手なら父の進路は当然の帰結になる。
けれど、その帰結を招いた過程こそが異様に想えてしまうまま、父の後輩が語った事実が疑問を呼ぶ。

『進学しないで警察官になられたよ。先輩は優秀な射撃の選手でな、それで湯原先生の友達で警察庁にいた方から勧められたんだ、
 国家一種は締め切ってたけどな、警視庁の採用試験には間に合うからって受験したんだ。オリンピックにも射撃の選手で出ていたよ…
 先輩は本当に英文学を愛してる人だと改めて思えて、大学に戻ってくれって私は言ったんだ。でも、ただ笑って私にこの本を渡したんだ』

なぜ父は、進学しなかったのだろう?

オックスフォード大学への留学は叶わなくても、母校の大学院に進む方が自然だろう。
もし経済的理由だとしても父なら助手を勤める話があった、それは田嶋が「戻ってくれ」と言った事から解かる。
なにより父の寄贈書たちに遺された濃やかな注釈、あのブルーブラックに綴る筆跡が父の才能を雄弁に語らす。
それなのに警視庁でノンキャリアの警察官になったことは、過去の現実を知るほど納得がいかない。

『湯原先生の友達で警察庁にいた方から勧められたんだ…警視庁の採用試験には間に合うからって受験した』

父親の友人に勧められたから警察官になる、そんな決断を父がするだろうか?

父は英文学者として信念の強い人だった、それは田嶋教授の話だけではなく自分が知る父の姿にも解かる。
幼い日に父が英国詩から文学を手ほどきしてくれた、その記憶にある父の笑顔は幸せに充ちていた。
いつも文学を伝える喜びを大切にしていた、それなのになぜ信念を曲げて警察官になった?

『先輩は優秀な射撃の選手でな、それで湯原先生の友達で警察庁にいた方から勧められた』

射撃の選手だった、だから祖父の友人が勧めた。
そんな勧誘だけで父が英文学の情熱を棄てられるとは、自分には想えない。
質量とも豊かな蔵書コレクションを遺したラテン語も遣う文学者、そんな実像と結末は似合わな過ぎる。

―山岳部で射撃の選手なんて、ここに配属されるなら似合い過ぎる人材だけど…あ、

廻らす思案に呼吸止めかけて、ひとつの呼吸に集中を戻す。
マスクに吐息は籠って熱い、その熱ごと思案を飲みこんで周太の足は地面に着いた。
すぐに隊列へ戻り真直ぐ前を見る視界、ひときわ素早いムーブメントで一人下降してくる。
突入服の黒い姿は壁面をすべり降り地面へ着くと、あざやかに身を翻し隊列に並びこんだ。
その顔もマスクとヘルメットに覆われて識別は出来ない、けれど擦違った眼差しでもう解る。

―すごいな箭野さん、たぶん一番速いよね、

素直な賞賛と見る背中は端正に佇んで動じない。
その後姿に疲労は無いまま空気は凪ぐ、こんな冷静も箭野は明るい。
機関拳銃を装備した長身は伸びやかにも規律正しくて、そんな先輩が率直に羨ましくなる。

―やっぱり背が高いってかっこいいな、見た目も機能もやっぱり羨ましいよね?

箭野の身長は180cm位あるだろう。
細身でも筋肉バランス良い高身長は発射の衝撃にも動じない。
さっきの屋外射撃訓練でも箭野は全弾的中、疾走しながらでも外さなかった。
どうしても体力勝負の世界では体躯の優位が影響して、けれど警察組織には「例外」も存在する。

Special Assault Team 特殊急襲部隊「SAT」

そこでは任務の現場条件と特殊性から身長170cm前後の制限がある。
テロリスト制圧が主務のSATはハイジャックなど室内現場も多い、そして相手は銃火器を携行するケースが大半となる。
そうした現場では大柄だと狭い現場への侵入は困難、それ以上に高身長は銃器の標的にもなりやすく危険が高い。
もし自分も身長が大きければSATへの入隊可能性は無かった、そんな現実と見る先輩の背に思考が息呑んだ。

―そういえばお父さんの身長って、いくつあったの?

いま見つめる背中よりは小さかったろう、けれど170cm前後だったろうか?

―ううん、もっと大きかった気がする…少なくっても今の俺よりは大きいよね、だって下駄の大きさが違う、

父の愛用した下駄には、あわい足の痕が遺される。
その下駄を履くとき痕は自分の足を受けとめるよう大きくて、なんだかいつも温かい。
そんなふう見慣れた父の足痕に今、あらためて父の現実を気付かされて息を呑む。

父の体格は入隊条件を満たしていなかった?

確かに自分は170cmには欠ける身長で、それより父が大きかったとしても175cm位だろう。
けれど5cmの差は「標的」として考えたなら大きすぎる、それでも尚、父がSAT隊員だったとしたら?

「…っ、」

叫んだ思考を飲下す、その吸気が気管支を詰まらせる。
呑んだ想いごと胸が痛い、けれど堪えて真直ぐ見つめる先に第1小隊長が立った。

「この後は予定通り16時から座学になる。それから、来週から協力要請で交番勤務を行う。派遣先など決まり次第また連絡する、以上だ、」

機動隊から派遣の交番勤務は、今回が初めてになる。
久しぶりに制帽と制服を着るのは懐かしい?そんな想いごと敬礼して解散すると前の長身が振向いた。
見上げた先で素早く外されたフェイスマスクの下から整った日焼顔は現われて、いつものよう箭野が笑ってくれた。

「おつかれ、湯原やっぱり懸垂下降が巧いな、」
「おつかれさまです、箭野さんこそ速かったですよ?射撃訓練も全部的中でしたし、」

笑顔で答えてながら周太もフェイスマスクを外した。
熱い湿気が気管支を刺激しないよう呼吸して落着かす、そして歩き出すと箭野が笑ってくれた。

「湯原も全部当ってたよ、でな、座学まで時間もらえる?卒研の事ちょっと相談に乗ってほしいんだ、」
「はい、俺で良かったら。でも俺の専攻って機械工学か植物学ですけど、大丈夫ですか?」

箭野は理学部だから自分の専攻とは違う。
だから自信が無くて訊き返したけれど、先輩は愉しげに笑ってくれた。

「むしろ専攻違いだから聴きたいんだよ、フラットな意見がほしいから。それに機械工学なら物理の実学でもあるし意見を聴きたいんだ、」
「あ、それなら、」

良かった、そう言いかけた視界の向こう周太は視線に気が付いた。
その視線が頷いて自分を呼ぶ、この意味に立ち止まった隣で箭野も振り向き言ってくれた。

「湯原、小隊長が呼んでる、」

いつもの落着いた低い声、けれどトーン微かな緊張を含む。
見上げた先でも瞳は鋭利になって、それでも周太と目が合うと笑いかけてくれた。

「俺、着替えたら談話室のとこで待ってるな。質問したいこと纏めとくよ、」

待っている、そう言ってくれる笑顔は気さくに温かい。
けれど深い瞳は「今」を悟っている、その想いを受けとめ周太は綺麗に笑った。

「はい、お待たせしてすみません、行ってきます、」

微笑んで頭を下げ、もう一度笑いかけると周太は踵を返した。
その背に感じる箭野の視線はどこか哀しげで、そんな気配に今行く先の意味が解かる。
箭野は小隊長の呼び出しが何か気付いたろう、そして後輩の自分を惜しんでくれる緊張は切ない。

―きっと箭野さん、こうして見送ったことがあるんだ。だから今も俺のこと心配してくれてる、

身長180cmの箭野は呼ばれない、けれど数多の同僚は呼ばれて行った。
そうして閲覧データの履歴書ごと行方が消える、そんなことは銃器対策レンジャーなら珍しくないだろう。
そして多分きっと、29年前の同じ頃に同じこの場所で、父もこんなふうに呼ばれて同じ場所へ行ってしまった。

―お父さん、お父さんはどんな気持で歩いたの?

きっと父も視線を背中に受けて、呼ばれて行ったろう。
そのときは父の同期だった安本が見送ってくれた、けれど行く先が何処かは解らなかった。
なぜ安本には解らなかったのか?その理由はさっき自分が感じた違和感にあるのだろうか。

―でも、お父さん?お父さんが本当に行きたかった場所は、もっと遠くだったね?

想い見上げた空はるか、黒い影が駈けてゆく。
あの形は鳶だろうか、鷲だろうか、そんな思案と歩いて仰ぐ空は今日、どこまでも高い。



午後15時23分、警視庁SAT候補隊員に湯原周太巡査がエントリーされた。






(to be continued)

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虹の花、Messenger of Truth ―William Wordsworth×万葉集

2013-06-16 20:45:59 | 文学閑話韻文系
蒼穹に馳せる、



虹の花、Messenger of Truth ―William Wordsworth×万葉集

西洋でアヤメ属は「アイリス」ですが、ローマ神話で至高の女神ジュノーに仕えていた侍女イリスが由来の命名です。
美少女イリスはジュノーの夫で全能神ジュピターから口説かれてしまい、困った彼女は遠く逃して欲しいとジュノーに願います。
そこでジュノーは七彩きらめく首飾りをイリスに与えると、神の酒を三回振りかけて彼女に天駈ける力を授けました。

このとき滴り落ちた神の酒が地上に降り、その雫から咲いた花が「イリスの花」アイリスです。
アイリスは黄色から薄紅、紫、白などの濃淡に花色が豊富で、連なり咲く光彩のラインは華やか。
そんな色彩の豊かさから虹のイメージにつながってイリスの花になったんでしょうね。

そうして翼を持ったイリスは天上と地上を結ぶ「神の使者」伝言を司る女神となりました。
彼女が空を駈けてゆくとき七彩の薄衣は翻り首飾り煌めいて、その軌跡が七彩に輝く虹です。
アイリスの花言葉は「吉報、消息、恋のメッセージ」などイリスに因んだものになります。
このうち「恋のメッセージ」はイリスが愛の神エロースの母であることが由来です。

神の伝言者が天地を渡して描く七彩の光。
そんな神話を起源として「虹」は希望の象徴に仰がれます。

My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky
So was it when my life began, 
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die
The Child is father of the Man  
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety

私の心は弾む 空に虹がかかるのを見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである 
年経て老いたときもそうでありたい さもなくば私に終焉を 
子供は大人の父
われ生きる日々が願わくば 自然への畏敬で結ばれんことを

William Wordsworth「The Rainbow」連載中の小説で何度も引用しているワーズワス代表作です。
夢、希望、輝き、そんな意味をこめワーズワスは「rainbow」を謳います。



日本でアヤメ属の花は、綾目あやめ、杜若かきつばた、菖蒲しょうぶ。
この3つはよく似た花ですが見分け方をご存知ですか?

綾目は菖蒲・文目とも書きますが、花色は紫か白で外側の花びらに黄色の模様、花期は5月上~中旬。
植生地が乾地であること、花びらに網目が見られること、この2点が他二つとの大きな差です。
杜若は花びらの付根が白+青紫・紫・白の三色で絞り模様もあり5月中旬~下旬、水中や湿地などに育ちます。
花菖蒲の花びらは付根が黄色+赤紫・紫の外にも花色が豊富で湿地に生え、花期はラストで6月上~下旬です。




吾のみや かく戀すらむ垣津旗 丹頬合ふ妹は いかにかあるらむ 作者未詳

私だけだろうか、こんなに戀するのは。
君との間垣に旗をふり、想いを示し告げたいのは自分だけ?
杜若のように美しい君、紅匂わす頬の君はどう想ってくれている?
紅潮に華やぐ頬と頬ふれ合わせ、逢瀬に見つめ合った恋人は今どうしているだろう。

『万葉集』巻二十に掲載の相聞歌、いわゆるラブレターとして詠まれた歌になります。
杜若の花に恋人を見つめて相手の心を尋ねたいと願う、恋愛のもどかしい空気感は今昔同じですね、笑

歌中の垣津旗は万葉仮名で「かきつはた」と清音で読み「かきつばた」と濁音には発音しません。
この万葉仮名のまま「間垣=心の壁」+「旗=意思表示の旗」と、花の杜若をかけて訳してあります。
本来「旗」は意思伝達の手段に使われていた道具で、今でも祝日に旗を揚げるのはその日を祝う気持の表現です。
恋しい気持ちを相手に伝える「間垣の旗」として杜若を詠むのは、アイリスの花言葉「恋のメッセージ」と似ています。

「丹頬合ふ」は万葉仮名で「につらう」と読みますが、こちらも意味二つ採っています。
丹は赤土の色で化粧品なら頬紅を示し、口紅やアイラインは「紅」「朱」で表す事が多いです。
この丹や朱はいわゆる赤土で、硫化水銀や酸化鉄、酸化鉛など鉱物系なためにモノによったら毒性あり。
これら鉄系の赤色は赭「そほ」とも言い水銀系は真赭「まほそ」でした、で、紅は植物の紅花や茜草が原料です。
そして頬合ふの「合う」は「似合う」と「ふれ合わす」の二つ意味があるのでそのまま訳しています。
なので「丹」についても頬紅=紅匂わすと紅潮した頬と2つに解釈してみました。




第66話「光望2」と「天津風13」加筆校正が終わっています。
コレもあとで加筆しますが、そのあと短編ひとつUP出来たら良いなってとこです。

取り急ぎ、

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第66話 光望act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-16 00:23:14 | 陽はまた昇るanother,side story
光兆、その架ける先



第66話 光望act.2―another,side story「陽はまた昇る」

いつもの食堂に入り、いつも通りに配膳口へと向かう。
窓の青さも昨日の空と変わらない、けれど自分の鼓動はいつもと違う。

―なんか緊張しちゃう、ね…ずっとこうなのかな、

今日から毎日ずっと鼓動はひっくり返る?
そうしたら気管支も負担があるだろうか、そんな注意は雅人医師に言われてないけれど。
そんな心配を想いながら朝食の膳を受けとって、そのまま行きかけた背後から綺麗な低い声が笑った。

「周太、俺のこと置いていかないでよ?」

こんなところで名前で呼ぶなんて、どうしよう?

ここは第七機動隊舎付属寮の食堂、職場と同じ屋根の場所。
ここには同僚も先輩も上司もいる、ここもオフィシャルな場所なのに名前で呼ぶなんて?

―さっき言っておけばよかった、名字で呼んでって…まさかって思ってたのに、

ため息交じり立ち止まった横顔に、なんだか視線の存在が解かる。
現実の警察社会では名字で呼ぶことが普通、名前で呼べば驚かれて当然だろう。
光一と英二もオフィシャルでは名字で呼びあうと聴いている、だから今も「まさか」だった。
もし光一も一緒に居たなら止めてくれたろうか?そんな仮定に首傾げた視界を綺麗な笑顔が覗きこんだ。

「周太?どうした、座って飯食おうよ、」

ほら、当然って貌で名前を呼んでくれる。
こんなに無頓着な相手へと何といえば解ってくれるだろう?
そんな思案と歩き出しながら周太は低めた声で言ってみた。

「あの、…職場では名前じゃなくて名字で呼び合わない?国村さんともそうしてるんだよね、」
「飯の時とかは名前で呼んでるよ、昨夜もそうだったし、」

さらり笑って答えてくれる、その涼しい笑顔に気が付かされる。
きっと英二はルールを決めてしまった、だから今もう何を言っても無駄だろう。

―だけど俺と仲良いって解らない方が良いのに、ここだって俺には危険かもしれないから…でも、

自分が警察官になった理由は父の死、そして父が警察官になった理由も、祖父の死だった。
それを語ってくれた田嶋教授の言葉たちは想像より哀しくて、その分だけ疑問は強い。
この疑問が自分を取り巻く「警察」への疑念になって、自分の周囲に危惧が募る。

―あの盗聴器だって本当は俺がターゲットだよね、きっと…

今も七機全体が警戒する盗聴器騒動は光一がターゲット、そう誰もが思っているだろう。
弱冠23歳で警部補に特進、24歳で山岳救助レンジャー第2小隊長に着任した昇進スピードと立場がそう思わせている。

―…国村さんは実際のところ敵も多いんだ。だから盗聴も仕掛けられたんだろうな。国村さんは高卒だけど23歳で警部補になった、
 これはキャリア組が大学校を出た時の階級と年齢に同じだ…農業高校出の男が自分たち国家一種のエリートと並んだって癪に障るらしい

そう教えてくれた菅野は銃器対策レンジャー第1小隊の先輩で、人望も人脈も厚い。
そんな菅野の言葉は信用できるだろう、だからこそ菅野に光一の評価を「教えた」相手が疑念を呼ぶ。

『高校の後輩で東大に行ったヤツだ、今は察庁の警備課にいる』

警察庁警備課は国家一種枠での採用者、所謂キャリアが光一について注視している。
それは光一が警察組織でも目立つ存在であることが理由だろう、そこに疑念は薄い。
ただし、キャリアの幹部候補者がノンキャリアの情報把握している点が疑念を呼ぶ。

―お父さんはもっと注目されてたはずだよね、東大出身なのにノンキャリアで、首席で射撃の本部特練なんて目立ちすぎる…変だ、

目立ちすぎる父の立場は「変」だ、思っていたより以上に複雑かもしれない。
そんな推測から自分の1年5ヶ月を考える時、今までの辻褄が少しずつ噛合いだす。
そうして改めて見直し始めた「警察組織での進路」は、普通なら有得ないことが多すぎる。

第1疑問、父の殉職現場「新宿警察署」に殉職者遺族である自分が配属許可されたのは何故だろう?
第2疑問、卒業配置期間は一般採用枠者なら術科特別訓練員に指定されない、けれど自分が選抜されたのは何故?
第3疑問、卒配期間は術科大会出場者に選ばれない、それでも全国大会と警視庁大会とも自分を出場させた特例の意図は?

どの疑問も「特例」では片づけられない、こんな異様は自分が警察組織に立つ時間全てへ鏤められている。
新宿署では父と似た英二を見たらしい署長が兄弟の存在を2度も尋ねてきた、射撃大会は2大会とも同じ男に注視されている。
銃器対策レンジャーへ異動が決まった頃は「あの老人」が2度現われて、第七機動隊舎では自分の部屋から盗聴器が発見された。

―お父さんの進路も変だけど、俺も変なことが多いなんて…本当は何があるの?

思案しながらテーブルの合間を歩いてゆく足は、いつもの席へと向かっていく。
その後ろを付いてくる足音が楽しげで嬉しいれど、やっぱり気恥ずかしくて俯きたくなる。
こんな思案の時すら意識しすぎる自分が恥ずかしくて、困りながら顔上げた先で箭野が手を挙げてくれた。

「おはよう、湯原。ここ座る?よかったら彼も一緒に、」

気さくな笑顔が呼んでくれる食卓は、もう一人の同席者が先に居る。
この相手とも食事の機会がほしかった、嬉しくて周太は少しの緊張と笑いかけた。

「はい、ご一緒させて下さい。黒木さん、同席よろしいですか?」

箭野と黒木は親しい、だから今朝は一緒に食事しているだろうと思っていた。
きっと「初対面」について話していたはず、そんな推定ごと笑いかけた先で黒木は微笑んだ。

「どうぞ?」

短い返答、けれど声にかすかな緊張は物堅い。
そんなトーンに皆が言う通りの性質が見えて、自分との共通点が解かる。
たぶん幾らか人見知り?そんな性分を気取らせないシャープな目は微笑んだまま少し動き、一点で止まった。

―あ、今ちょっと驚いてる?

いつも冷静な黒木が驚いている、その様子に安堵してしまう。
この間隙に椅子を引き黒木の前へ座った隣、長身も腰下して穏やかに笑った。

「おはようございます、黒木さん。箭野さんは初対面ですね、」
「うん、初対面だけど話は聴いてます、宮田さんだよね?」

さらり笑いながら「宮田さん」と呼んでくれる。
それは英二の立場を理解した気遣いだろう、そんな先輩に感謝した隣で綺麗な笑顔ほころんだ。

「はい、宮田です。山岳レンジャー第2小隊に昨日付で異動しました、よろしくお願いします、」

座ったままでも端正に礼をする、その仕草がどこか大人びた。
笑顔もいつものよう端正に美しい、けれど静穏な賢明と安堵感が惹きつける。
いつも見ている貌と似ていて違う貌、そんな横顔から英二が担う立場が見える。

―これが警察官で補佐役の貌なんだね、英二の、

警察学校で、御岳駐在所で青梅署で、英二の貌は勿論見てきた。
そのどれとも違う空気が今はある、それは光一の昇進に伴う変化だろう。
小隊長のザイルパートナーである立場は平隊員では無い、それら責務は横顔に眩しい。
そう感じているのは自分だけじゃないだろうな?そんな想いごと箸を取った斜向かい箭野が笑った。

「ほんと良い笑顔だな、皆から聴いてた通り宮田さんってホント雰囲気ありますね、」
「皆からって俺、もう話題を提供したんですね?」

笑いながら英二も箸を食膳に運び出す、その仕草に緊張など欠片も無い。
いつもながら動じない隣に感心して汁椀へ口付けて、ふと前の目が気になった。

―あ、これが本田さんが言ってたこと?

人物鑑定みたいのしてる目、そう本田が評したよう眼差しは鋭い。
いま黒木は何を想って英二を見るのだろう、そんな思案に気さくなトーンが笑ってくれた。

「同じ目線のカリスマだって聴いたよ、上の評価も実力も高いのに気負ってなくて、上から目線じゃないとこが皆を掴むってさ?」

『上から目線じゃないところ』

そう箭野が言った瞬間、黒木の箸が止まった。
シャープな目も微かに伏せられていく、その貌に心詰まった。

―いま痛いよね、すごく…自分自身がいちばん解っていて困ってるから、

気負ってしまうからこそ、目線を高くして自分を支えようとする。
そんな気持と立場は他人事に思えなくて、周太は率直に笑いかけた。

「黒木さん、大学の山岳部ってどんな雰囲気なんですか?」
「え、」

小さな声と黒木の視線が上がり、こちらを見てくれる。
意外な質問をされた、そんな貌に微笑んで周太は聴いてみたかった事を尋ねた。

「僕の父も祖父も大学で山岳部だったんです。だから伺ってみたいですけど、お話して頂けませんか?」
「お父さん達からは、どんなふうに聴いてますか?」

シャープな目が訊いてくれる問いかけに、そっと心が刺されてしまう。
この傷みのままも正直に周太は先輩へと答えた。

「父たちからは聴いて無いんです、二人とも早く亡くなったので。だから聴いてみたいんです、」

祖父は生まれる前に亡くなった、そして父も大学時代のことは何も語らず逝ってしまった。
だから二人の軌跡を少しでも聴きたい、そんな願いへ笑いかけた向こうシャープな瞳が微笑んだ。

「俺に山のこと喋らせると長くなりますよ、それでも大丈夫ですか?」

訊いてくれるトーンが和らいだ、そんな空気が素直に嬉しい。
きっと本当に山を好きな人だろう、それが嬉しくて周太は提案と笑いかけた。

「はい、今だけで時間足りないなら夕食の時もお願い出来ますか?」
「俺は良いですけど、」

丁寧に応えてくれる目が一瞬、微かに動く。
その視線に黒木の想いが見えて、だから願うことに隣から綺麗な低い声が笑ってくれた。

「山の話なら俺も交ぜて下さい、黒木さん良いですか?」

ほら、英二なら解ってくれる。
そんな信頼に微笑んだ前、微かに驚いた瞳ゆっくり瞬いた。






(to be continued)

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五月雨の花

2013-06-15 11:26:20 | お知らせ他
季節と暦、



こんにちは、週末ですね。

梅雨入りした神奈川は雨と曇りが増えてきました。
梅雨って=6月ですけど旧暦なら5月、だから五月雨=梅雨の雨なんですよね。
で、6月=水無月なのは梅雨が明けるからってコトになります。
いま西暦だから各月名のイメージがズレちゃった訳です。笑



さっき昨日UP「天津風13」加筆ほぼ終わりました、また校正ちょっとします。
第66話「光望2」草稿UPしてあります、こっちは加筆3倍くらいにはなるかと。




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統べる華―William B Yeats×万葉集

2013-06-13 14:00:00 | 文学閑話韻文系
Pride of all the World 華、誇らかに



統べる華―William B Yeats×万葉集 

Rose of all Roses, Rose of all the World!
The tall thought-woven sails, that flap unfurled
Above the tide of hours, trouble the air,
And God’s bell buoyed to be the water’s care;
While hushed from fear, or loud with hope, a band
With blown, spray-dabbled hair gather at hand.

薔薇すべての中の薔薇、世界統べる唯一の薔薇よ、
高らかな思考の織りなす帆を羽のごとく翻し、
時の潮流より上にと高く、大気を揺るがせ、
神の鐘は水揺らめくまま浮き沈み、
恐るべき予兆に沈黙し、または希望への叫びに、集う
風惹きよせ、飛沫に濡れ艶めく髪を手にかき集めるように



But gather all for whom no love hath made
A woven silence, or but came to cast
A song into the air, and singing passed
To smile on the pale dawn; and gather you
Who have sought more than is in rain or dew
Or in the sun and moon, or on the earth,
Or sighs amid the wandering, starry mirth,
Or comes in laughter from the sea’s sad lips,
And wage God‘s battles in the long grey ships.
The sad, the lonely, the insatiable,
To these Old Night shall all her mystery tell;

だが恋人なき者は全て集うがいい、
静穏の安らぎ織らす恋人ではなく、運試しの賽投げつけ
虚ろなる空に歌い、謳いながら透り過ぎ去り、
蒼白の黎明に微笑む、そんな相手しかない君よ、集え
愁雨や涙の雫より多くを探し求める君よ、
また太陽や月に、大地の上に、
また陽気な星煌めく彷徨に吐息あふれ、
また海の哀しき唇の波間から高らかな笑いで入港し、
そして遥かなる混沌の船に乗り神の戦を闘うがいい。
悲哀、孤愁、渇望、
これらの者へ、盤古の夜はその謎すべてを説くだろう。



Rose of all Roses, Rose of all the World!
You, too, have come where the dim tides are hurled
Upon the wharves of sorrow, and heard ring
The bell that calls us on; the sweet far thing.
Beauty grown sad with its eternity
Made you of us, and of the dim grey sea.

全ての薔薇に最高の薔薇、世を統べる唯一の薔薇よ、
貴方もまた、仄暗い潮流の砕ける所へ来たる
悲哀の岩壁に臨み、そして響きを聴いた
私達を呼ばう鐘、甘やかに遥かなる響鳴。
美は永遠のままに涯無き哀しみを育ませ
我らに貴方を創り与えた、この仄暗き混沌の海に。



上述はWilliam B Yeats「The Rose of Battle」抜粋&自訳です。
第65話「如風」で一部引用した詩ですが英二のイメージに合います、笑
全文を通して誇り高いトーンで謳いあげられる詩で、叙事詩的な空気がカッコいいなと。
主題は世界の混沌から「薔薇」=戦う意志と誇りが誕生する、そこに美学があるって感じです。

作者のイェイツはアイルランドの詩人で、憂愁美と勇壮に織られる神話調が特徴かなって思います。
故郷アイルランドの神話や伝説のモチーフも多く物語的、そんな作風は1910年代から社会風刺を孕んでいきます。
それはアイルランドという国が困難な道を辿った為で、母国の戦いが彼の作詩にも顕われていく結果でした。
「The Rose of Battle」は1892年初出ですが、後のアイルランドと詩人を予見する詩のようでもあります。

薔薇は百花の王、花の女王、そんなふう称えられる花です。
冒頭から「Rose of all the World」世界全ての薔薇と讃えられています。
訳文では「世界統べる唯一の薔薇」としましたが、Roseが単数形なので「唯一」象徴的存在として訳しました。

訳文の「盤古」は中国神話の天地創造神です。
天と地が分かれず混沌とした世界を天地に分け、万物を生みだしたとされる神になります。
左目は太陽で右目は月、瞳を披くとき世界は照らされ暁を迎え、瞑るとき光も眠りについて黄昏となるそうです。
声は雷霆・雷の轟音として世界を響かせて、吐息は風と雲になって息吹の熱で世界を温め、息吸えば熱も吸われ寒冷になります。
朝夜=時間、雲すなわち雨と風と気温=天候、そして万物の生成を司っている天空神かつ地母神を兼備する姿が盤古です。
なので盤古は天地双方に席があり天上に坐す時は「大梵天王」大地に在る時は「堅牢地神」と異称があります。

盤古は男神の姿に描かれますが天地万物の神=万物の胎なので「her mystery」でもOKって解釈にしました。
で、頻出「gray」を詩意から「混沌」としたので「Old Night」年経た夜・太古の夜=混沌から天地生まれた「盤古の夜」です。
先にも書いたようイェイツは神話モチーフでもあります、その空気感を出したいので邦訳も神話を絡めてみました。




道の辺の 宇万良のうれに延ほ麻米の からまる君を波離れか往くむ 丈部鳥

往く道の傍にも咲いている野茨、
その花に腕延ばさす蔓荳のよう僕に縋り抱きつく君、君を置いて波の離れるよう僕も往く
けれど戀からまる君と僕は離れない、野薔薇と蔓花が寄添わすと同じに僕たちも添い遂げる

これは『万葉集』巻第二十掲載の防人歌で、防人=東国から徴兵された人です。
作者の丈部鳥(はせつかべのとり)は上総国、現在の千葉県中部・房総半島上部の出身でした。
当時は街道も未整備で旅することは冒険に等しく危険、そのため防人に出れば帰郷出来ないことも多かったと言います。
そして防人は兵士である以上、国内外で戦争が起きれば当然のよう戦場へ連れていかれる運命にあります。
こうした危険に赴く男が妻への想いを謳った相聞歌に「宇万良」野茨が詠まれています。

宇万良は「うまら」と読む万葉仮名で、野に咲く茨を指す言葉です。
バラの野生種で現在一般的なバラ=薔薇のような大輪八重ではなく、小さな一重咲きの花は清楚可憐です。
下に野茨の写真を載せましたが、上載した深紅の薔薇とは別種の花である印象を抱く方は多いかと思います。

麻米は「まめ」ですが蔓荳ツルマメの古称です。
大豆の原生種であわい紫色の花が可憐な草花で、歌にあるよう他の植物に絡みついて生えます。
薄紅ふくんで白い花に寄添う薄紫の花、道野辺に咲いた姿はたおやかに優しいカンジでしょうね。




華やかで香高い大輪の薔薇、清楚にも逞しく山野で生きる野茨。
その印象通り「The Rose of Battle」の薔薇は世界に君臨する百花の王、「宇万良」は一兵卒を表す野花です。
けれど戦いへ赴く男を象徴する花として謳われていることは、薔薇と野茨どちらのバラも同じだなって思います。
そこには戦うこと、危険の困難にも屈さないで希望を見出そうとする誇りと意志が謳われて「華」がただ綺麗です。
薔薇は近年日本でも父の日に贈るポピュラーな花ですが、そう思うと薔薇は男性的イメージの花かもしれませんね。

そんな訳で序文「Pride of all the World」は二つの意味を懸けてあります。
この「Pride」はプライド・誇りって意味が一般的ですが「華麗」という意味もあるそうです。
誇り高いものが持つ美しさは魅力で惹きつけられる、そんなトコから「華麗」なのかなって思います。
華麗なる誇りで世界と戦う、ソンナ意味解釈で「Pride」は詩歌に謳われる薔薇を表してくれる言葉だなと。
なんて書くと、先日の休題短評「 Pride×Picaresque、その土下座論」に繋がりますね、笑

バラへの想いブログトーナメント





【引用詩歌:William Butler Yeats「The Rose of Battle」/丈部鳥『万葉集』より】

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第66話 光望act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-12 21:00:47 | 陽はまた昇るanother,side story
光の朝、



第66話 光望act.1―another,side story「陽はまた昇る」

明けてゆく空は薄曇り、ただ淡くなるグレーに刻限が解かる。
ガラス越しの朝は眠り醒めきらない、どこか紗の覆う空気は時すら止まって見える。
ゆるやかな時間たゆたう空、その雲間から一閃きらめいて光の梯子を懸けた。

「ん、きれい…天使の梯子だね、」

細く開いたカーテン握りしめながら微笑んで、紺色のTシャツを着た胸元ふれる。
布越しに自分の体温は健やかに温かい、けれど見えない気管支たちの呼吸は病魔と闘う。
すこし昨日は訓練で無理をした自覚がある、それに夜も起きてしまって眠りが少し足りていない。

―でも英二と一緒なのって久しぶりだったし、ね、

昨夜を共にした笑顔は今、隣室の幼馴染と訓練に行ってしまった。
今ごろ隊舎の壁を登っている?そんな想像に微笑んで周太はカーテンを離し、ベッドに戻った。
まだ時刻は起床まで間がある、それなら少しでも微睡んでおきたくて臥したシーツがふわり香った。
森と似た残り香に夜は現実だと実感が甘やかで、そんな「久しぶり」に記憶ごと首筋が温まって声こぼれた。

「…でも一緒に寝ただけだし、へんなことは…ちょっとだけだし」

ひとりごと呟くだけ気恥ずかしくなる。
確かに「ちょっとだけ」だった、けれど何も無かったとは言えない。
普通に男同士で一緒に寝転がっても「ちょっとだけ」もしない、そう解かっている分だけ恥ずかしくて布団を抱きしめた。

―賢弥や美代さんと二人きりでも何も想わないのに、英二だとこうなっちゃう、ね…

友達二人と比較して、その違いに想いを確認してしまう。
こんなふう首筋が熱くなる相手は唯ひとり、恥ずかしくて布団に顔埋めたくなるのも唯ひとりだけ。
そんな本音は困るほど幸せで、幸せな分だけ自分の胸に潜んだ病に克ちたいと気持が強くなる。

―生きたい、あの笑顔をもっとみたい…せめて一緒の家に帰れる毎日の最初の日までは、

抱きしめた布団にも見てしまう笑顔に、ただ願う。
同じ家に帰れる幸せを一日でも生きたくて、その未来に微笑んだとき大切なことを思い出した。

―あ、英二に研究生のこと相談しなくちゃ…昨夜は言いそびれちゃったね、

昨夜は「話す」なんて思いつけなかった、それくらい瞬間ごと幸せだったから。
そんな自分が恥ずかしくて布団を抱きしめながら、静かに浸しだす微睡は優しい。



静かな目覚まし音に呼ばれた意識が微睡から浮きあがる。
抱きしめた布団が温かい、心地いい温もりから音へ手を伸ばして、けれど動けない。

「ん…?」

なんで手が動かないのだろう?
不思議で瞳開いた視界、白い布団を抱く白皙なめらかな肌が映りこむ。
これは何だろう?そう首傾げこんだ途端に目覚めた声が小さく叫んだ。

「…っ、えいじ?」

名前呼んで振り返った頬、温かな肌ふれる。
背中から抱きこまれた肩で笑顔ほころんで、その白皙にダークブラウンの髪から雫きらめく。
確かに部屋は鍵を掛けたはず、けれど侵入者が寄添う途惑いに綺麗な低い声が笑った。

「おはよう、周太。寝顔すごく可愛かったよ?」

幸せそうに声は弾んで柔らかく熱が頬ふれる。
布団ごと抱きしめられた腕に動けなくて、大きくなる目覚まし音に訴えた。

「あのっ、…目覚まし止めたいから放して、英二、」
「俺が止めてあげる、だから離さなくて良いよな、周太?」

耳元に微笑んだ声の向こう、かちり音が鳴ってアラームが消える。
けれど放してくれない腕の力に困って周太はお願いした。

「英二?もう朝ごはんの時間だよ、今日も訓練とかあるんだし遅刻したらいけないから、ね?」

遅刻を指摘されたら几帳面な所のある英二は放してくれる。
そう思った視界がひっくり返って至近距離、切長い目が幸せいっぱいに微笑んだ。

「じゃあキスして?キスしてくれたら放してあげる、朝練でちょっと疲れたから癒してよ?」

そんな台詞、こんな時間にこんな場所で言うなんて?
そんな台詞に周太は力いっぱい紺Tシャツ広やかな胸を押した。

「あっ、朝からだめっ、…ここ隊舎なんだからっ、勤務の前はだめっ、」

勤務前にそんなことしたら、きっと思いだして真赤になる。
そんな集中力を欠くようなことは出来ない、逃げようと腕もがいて、けれど逃げられない瞳を幸せな笑顔が覗きこんだ。

「まだ起床時間3分前だよ、周太?まだプライベートタイムなんだから、ね…キスして、周太、」
「だめっ…ま、まっかになっちゃうからだめっ、こまるからっえいじだめっ…」
「ほんと周太は恥ずかしがりだよな、可愛い…ね、キスして、昨夜はしてくれたろ?」
「ゆうべは夜だからいいの、でも朝はだめっ…ほんとこまるからだめっ、」

本当に困るから、お願い放してほしいのに?
こんなことは恋する相手だからこそ困ってしまう、好きな分だけ意識しそうで困る。
だから今は遠慮させてほしい、困惑するまま顔だけでも反らし逃げて、けれど長い指に頬を包まれた。

「そんなに恥ずかしがる周太が好きだよ?…じゃあ俺からキスしてあげる、周太…」

長い指に頬を抱かれて視線ごと捕まえられる。
見つめた瞳に白皙の笑顔は艶麗ほころんで端正な唇が近づきだす。
こんな瞬間は本当なら嬉しい、けれど嬉しい分だけ今は困って周太は小さく叫んだ。

「…や、ほんとだめえいじまってえいじだめっ、」

叫んだ寸前1cm、かちり金属音が鳴った。
すぐ扉の開けて閉める音が立つ、そして白い手が目の前の肩を掴んでテノールが笑った。

「はい、強制わいせつの現行犯逮捕だね、」

透る声が笑うまま唇の間合い離される。
体にまわされた腕も解かれて、ほっとして起きあがると底抜けに明るい目が笑ってくれた。

「おはよ、周太。朝からおつかれさん、ほんとエロ別嬪は油断ならないね?」
「おはよう光一、ありがとう、」

素直に礼と笑いかけた先、愉快そうに光一も笑ってくれる。
そんな笑顔と対照的に白皙の顔はすこし顰めて微笑んだ。

「ほんと良いタイミングだけど、光一、もしかして警戒してた?」
「ココの壁って薄いからね、お姫さまの救け呼ぶ声がシッカリ聴こえちゃったからさ?ほら、朝飯に行ってきな、」

笑って促す声に英二も笑って、溜息ひとつ起きてくれる。
伸びやかな長身が立ち上がる影ふわり森の香たつ、その懐かしさに鼓動つまってしまう。

―さっき残り香に好きって想って眠ったから、気恥ずかしくなっちゃう、ね…

朝からこんなふうだと困ってしまう。
けれど幸せなのも本当で、ふたつ想い挟まれながら周太はベッドを直した。






(to be continued)

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第65話 如風act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-09 22:53:48 | 陽はまた昇るanother,side story
風惹く、唯ひとつの花へ



第65話 如風act.4―another,side story「陽はまた昇る」

逢いたくて夢見た相手が、現実に自分の前にいる。

見つめてくれる切長い瞳に自分が映る、その濃やかな睫から陰翳が蒼い。
仄暗い水底のような非常灯にダークブラウンの髪艶めいて、端正な貌は白皙まばゆい。

―やっぱり英二、だよね?

どこか夢の続きのよう見上げて首傾げてしまう。
その横をすり抜けるよう長身が部屋に踏みこみ、施錠音が鳴った。

かちり、

ふたり空間が閉じられた目の前、紺色のTシャツ姿が静かに微笑む。
ここは自分の寮室、けれど今もう5秒前と違う空気が部屋を充たしてしまう。

―香が変った、ね…すこし甘くて苦くて、深い森みたいな…英二の香、

懐かしい香に世界が変る、そして視界すら違って見える。
さっきまで独り静謐の眠れる場所、けれど今もう鼓動から熱が首筋へ昇らす。
こんな二人きりの空間はいつ以来?そんな時間経過に息つまらせる痛みすら甘い。

―1ヶ月半ぶり位だよね、それに…光一との夜からは初めてで、

このひとは他の人を抱きしめた、その現実が今さら胸を咬む。
咬まれた傷から初めての人を見るような、ぎこちない遠慮と少しの卑屈が蝕みだす。
その相手と比較された自分はどう見える?そう思うほど遠退きそうな想いへ切長い瞳が笑った。

「周太、逢いたかった、」

逢いたかった、ずっと君に逢いたかった。
そんな願いあふれるよう薄闇から長い腕が伸ばされて、温もりに肩が包まれ惹き寄せられる。
抱きこまれた広やかな懐から森の香くゆらす、頬ふれる鼓動のビートは少し速くて、けれど脈うつ時は頼もしい。
いま紺色のTシャツ2枚を透かして体温が通う、その温もりに溜息から本音だけが微笑んだ。

「ん…逢いたかったね、英二?」
「周太、」

名前を呼ばれて見あげる先、切長い瞳が幸せに笑う。
ふたりきり空間に籠められた夜、この瞬間に再び幸せを見るなんて想っていなかった。
ただ嬉しくて、けれど嬉しい分だけ体と過去が抱く現実は痛くて、自責が瞳の底にもう熱い。

―ごめんなさい英二、俺ほんとは約束と反対のことしようとしてるの…喘息のことも他のことも言えなくて、ごめんね、

ごめんなさい、そう言いたいけれど言えない。
この言葉は目の前の人にいちばん告げたくて、そして今日も電話した二人にも言いたい。
母にも告げたい、大切な誰もに告白したい、けれど今これを言えば自分の14年間と父への想いが傷だけになる。
そして恨みが残るだろう、そう解っているから秘密のまま静かに飲みこんだ周太に優しい誘惑が笑いかけた。

「周太、もし泊まっていくって言ったら、自分の部屋に戻れって叱ってくれる?それとも」

それとも、の続きを聴く時間だって今、もう惜しい。
そんな現実に微笑んで周太は唇のキスをした。

―どうか一緒にいて?

どうか今、この一瞬でも一緒にいてほしい。
どれだけ時間が残されているかなんて本当は解らない、今も二つの理由が迫っている。
ひとつ呼吸するごと瞬間は近づいて、それでも超えた向こうを信じたくて約束を続けていたい。
この願い微笑んで静かに唇離れて見つめあう、そのキスの残像がいつもながら恥ずかしいまま笑いかけた。

「あの…なんにもしないって約束ならいいです、」

ここは第七機動隊舎の寮室、そして隣には光一がいる。
自分の幼馴染で英二のアンザイレンパートナーで上司、そんな相手に至近距離で「なんにも」は困ってしまう。
そんな本音と見あげた先で端正な貌は首傾げ、綺麗な笑顔ほころばすと頷いてくれた。

「しないよ、でもキスだけは許してよ、周太?」

せめて体の一ヶ所だけは交える許可が欲しい。
そんな願いに見つめられて気恥ずかしい、また首筋駈けだす熱に周太は笑った。

「…えいじのえろべっぴん、」

アイツってエロ別嬪だよね?

そんなふう光一が言う通りだと今あらためて可笑しい。
そんな英二の貌が驚くことも愉しくて、笑って腕すりぬけると窓のカーテンを少し開いた。
いま虚空は夜風の渡るまま雲が奔ってゆく、ゆるやかに明滅する月の輪郭が嬉しくて周太は笑った。

「あ、きれい…英二、月がきれいだよ?」

きれいだから見にきて?
そう笑いかけながら本当は今、少し泣きたい。
だって本当はもう、この人を嫌いになりたいと想っていたから今、嫌えない心が泣きたい。

―他の人を英二が抱きしめたら、少しでも嫌いになれるって思ったのに、

自分以外の相手と愛しあったなら許せなくなる、そして嫌いになって離れる。
そんなことを本当は期待していた、少しでも嫌いになって遠ざかれば良いと思っていた。
そう願うから英二と光一に自分を忘れてほしくて遠ざけたくて二人の恋愛関係を望んだ。
そんな二人を見て幻滅したかった、そうして恋を磨り減らし消せたなら楽になれると思った。

―他の人を抱きしめた人なのに、それでも好き…すこしでも嫌いにならないとだめなのに、どうして?

今、父と祖父の真相が見えてくるごと真実は複雑化する、そんな現実に巻きこみたくなくて、だから嫌いになりたい。
だから英二に他の人と抱き合ってほしかった、その相手が光一なら自分も納得して諦めがつくと想っていた。
心も体も綺麗な最高の山ヤ、そんな相手に自分が敵う訳ないと言い訳が出来るから調度いい。
なによりも他の肌にふれた手を自分なら嫌って触らせない、生理的に嫌えるはずだった。
半月ほど前に大学で会った時は戸外で逃場があった、けれど密室で会えばきっと逃げたくなると思っていた。

それなのに今、抱きしめられた体温も香もただ、嬉しかった。

嬉しくて、少しでも傍にいたいと一瞬を願いキスしたのは、自分からだった。
そして一緒にいて良いと頷いてしまった、こんなはずじゃなかったのに今、もう嘘は想いつけない。

―ごめんなさい雅人先生、本当は俺、無理なことも解ってるんです…でも生きていたいから信じてたい、だから今も一瞬でもほしい、

密やかな本音が瞳から熱ひとしずくに零れゆく。
この場所に自分が生きる危険を本当は解かっている、雅人医師が無茶な挑戦を呑んだことも気付いている。
だからこそ今、こうして英二に触れられても生理的感情は体温と鼓動の喜びしか感じない?
そんな感覚に本音ごと見上げた月は銀色きらめいて、夏の深夜に静謐ふらす。
いま眠っている世界を見つめる背中、綺麗な低い声が微笑んだ。

「周太こそ綺麗だよ、」

本気でそんなこと言うの?
そう問いたがる自分の心に溜息と微笑んでしまう。
こんな質問にこそ相手への想い露呈する、それすら今は楽しいまま振り向くと周太は微笑んだ。

「英二、またカッコよくなっちゃったね、先月会った時より…べっぴんだよ?」
「ありがとう、なんか周太は大人っぽくなったね、すごく綺麗だ、」

綺麗な声と瞳が笑いかけ歩み寄ってくれる、その眼差しに惹かれるまま自分の足が踏みだす。
ふわり背後でカーテンが閉じられても透ける月光は相手を照らし、白皙の端正は綺麗に笑った。

「おいで、周太、」

そっと掌を取られ寄せられるままベッドへ体が惹きこまれる。
微かな軋み音に白いシーツが体重ふたつ受けとめて、いつもより体は深く沈んでしまう。
この音も感覚もいつもと違う部屋、どの変化もなにか気恥ずかしくて吐息ごと周太は微笑んだ。

「ん…ちょっと狭いね、英二?」

長身の英二には窮屈だろうな?そう笑いかけた先に幸せな笑顔が咲く。
月の薄明りに抱きしめられてTシャツ越し体温が重ならす、その熱から綺麗な低い声が笑った。

「くっつけて嬉しいよ、周太?それに狭い方が今は安全だろうし、」
「ん、なんで安全なの?」

なんでだろう?ただ不思議で尋ねた視界で切長い瞳が笑ってくれる。
そのまま端正な笑顔は幸せほころんで英二は嬉しそうに教えてくれた。

「ベッドが広いとセックス出来るだろ、でも狭いと難しいから安全ってことだよ、周太、」

いま何を言われたのだろう?
そう思案してすぐ弾けた困惑に周太は小さく叫んだ。

「…っば、ばかえっちへんたいっ、こんなとこでだめですっここはしょくばでしょっ、そんなこというひとはかえってっ、」

こんなところで何てこと言うの?
こんな時にそんなこと言うなんて困る、もう抗議に両手は広やかな肩を押し除ける。
けれど頼もしいまま肩も腕も動かずに幸せいっぱいの笑顔が囁いてきた。

「キスだけなら泊まって良いって周太、言ってくれたよね?…ね、狭くてセックス出来ないんだから安心して…キスされて?周太…」

囁きごと唇よせられ重ねられる、その唇が熱い。
抱きしめてくる鼓動が強くなる、その腕も発熱ごとふれて心を融かす。
今ふれる瞬間も隣にいる相手へ気恥ずかしくて、けれど幸せで深いキスに誘われるまま解らなくなる。

―好き、このひとが好き…英二と一緒に生きたい、

ほら、もう願いが瞳に熱をあふれて、けれど今は泣けない。
このひとを想うほど今は泣けなくて、その堪える背中を優しい熱が抱きしめてくれる。
こんなふう寄りそっていたい、ずっと傍にいてほしい、そんな願いに接吻けながらふと違和感が起きた。

―背中が妙に熱い、ね?

抱きしめられた背中に熱の輪郭が動く、その熱は直接素肌に触れてくる。
どういうことだろう?怪訝に感覚が落着いた瞬間に状況把握が驚いた。

―Tシャツが捲られちゃってるの?

捲られたTシャツのなか長い指の手が素肌を探りだす。
そんな掌の意図に気付いて周太はキスから離れ、小さく叫んだ。

「…だ、だめっ、やっぱりだめばかえっちちかんあっちいってっうそつきっ、」

本当になんて馬鹿なのだろう、やっぱり自室へ帰って貰う方が良い。
だいたい「キスだけ」って約束したのに意地悪すぎる、そんな想い睨んだ視界で幸せな笑顔ほころんだ。

「ね、周太…嘘なんて吐いてないだろ、キスだけしかしてない、」
「い…いまふくめくっててをいれてたでしょっだめでしょばかっ」

怒りながら困ってしまう、今のどこが「キスだけ」だと言うのだろう?
こんなに疎通できない英二といたら大変な事態になる、それを止めたい両手は英二の肩を押しても動じてくれない。
どうしたら良いのか困ったまま睨みつけて、それなのに嬉しそうな笑顔は頬よせて楽しげに囁いた。

「馬鹿でも嬉しいな…服めくるなんてセックスじゃないから安心して、応急処置の時だって服を捲るくらいするし…ね、周太…」

耳元へ声ごとふれるキスから熱が疼きだす、その熱に困惑した隙Tシャツ捲られて素肌を熱が抱きしめる。
もう隔たりが消された素肌ふるわせ鼓動が重なってしまう、こんな今に途惑う唇へと恋人の吐息が笑った。

「周太…肌がふれてるだけなのに俺、すごい幸せだよ?…服、脱いでないのにこうしてるだけで幸せ、」

笑った吐息ごと唇ふれてキスになる。
唇と唇、胸と胸、抱きしめられた背中に掌の輪郭がただ熱い。
熱に昇らす森の馥郁が心を融かしだす、長い脚に絡まれる下肢はもう逃げられない。

「周太、…周太は今、幸せ?」

吐息と少し離れた唇が囁き微笑んで、切長い瞳が見つめてくれる。
見上げる白皙の貌は端正なまま幸せに明るんで、カーテン透かす月光の明滅にダークブラウンの髪が煌めく。
その艶やかな光輪は大切な絵本の挿絵と似ているようで、記憶の幸せと今この瞬間への想いに周太は微笑んだ。

「ん、幸せだよ?…でもはずかしいのがこまってます…えっちえろべっぴんちかんばかえいじ」

本当に困ってしまう、けれど困惑すらも温かい。
傍にいてくれるから困らされることも出来る、この今が幸せだと想ってしまう。
そんな自覚へ鼓動と体温が素肌ふれあいながら、切長い瞳が幸せに笑ってくれた。

「恥ずかしがりの周太が好きだよ、大胆な時も好きだ…いつも大好きだから、ずっと俺の恋人でいて?」

いつも、ずっと、そんな言葉に永遠の願いが優しい。
この願いごとに頷けたら幸せだろう、けれど今の自分は本当に叶えられるか解らない。
どう答えて良いのか解らなくて、それでも唇にキスは重ねこまれるまま願いの吐息が口移し贈られる。

―いつも好きなのは俺のほう、ずっと好きでいてしまうのも…そうでしょう英二?

だって自分こそ嫌いになれない、もう他の人を抱いてしまった相手なのに?
いま拒んでも素肌をさらされ抱きしめられる、それを結局は許している自分こそ解らない。
だからこそ訊いてみたい正直な想いにキスから離れると、夜の静寂に声を潜め問いかけた。

「…そんなこと言うんなら正直に訊くけど、光一とベッドでその…時は俺のことなんて忘れちゃってた癖に、いつもとか嘘吐かないで、」

本当は「いつも」じゃ無いし「ずっと」でも無かったでしょう?

それならそうと認めてほしい、疑ったまま信頼なんて築けないから。
だから本気で永遠を願ってくれるなら今、ここで正直に喧嘩してしまいたい。

「あのね…光一と恋人の時間は本当にあったでしょ?その時は俺のこと大好きとか考えてなかったはずだよ、光一のことだけ見てた、
ずっとも、いつもも、今は違うでしょ?…それならそうって認めてほしいんだ、その場限りの言葉みたいのは欲しくないの、今そんなじ」

今そんな時間なんて無いから、

そう言いかけて想いごと言葉を呑みこんで止める。
只でさえ「異動」が近づく今を英二は恐れている、その不安を煽るようなことは言えない。
同じ不安がらせるなら他の感情から困らせたい、それも幸せだと笑ってほしくて周太は正直なまま拗ねた。

「このあいだ学校で言ったでしょ?お祖父さんのベンチのとこで…あの夜は俺だって泣いたって言ったでしょ、ほんとは嫌だから泣いたの、
英二が光一のこと本当に好きって解ってたから俺、自分から…自分から二人を認めちゃう方が楽だって想ったから認めただけなんだから、ね…」

英二が本気で恋したら、恋の相手をどうするのか?
そんなこと自分がいちばん解かっている、だから認めることを選んだ。

―本気なら英二は俺にあの夜したことをするだけ、どんな状況でも関係ないから…絶対に英二がしたいようにしちゃうから、

あの夜、去年の九月の終わりと同じことを英二は選ぶ。

あの夜は英二も迷っていた、けれど自身の本音に笑って周太を抱きしめた。
それが英二らしい誇りで恋愛だと解っている、それを止める術も無いと自分がいちばん知っている。
止められないなら認めた方が楽、けれど止められない英二も自分も哀しくて、そんな関係に迷いそうな本音がある。
この本音を今ここで全てぶつけてしまいたい、そんな我儘を自分に赦して周太は唯ひとつの想い懸けて精一杯に拗ねた。

「だから俺、いっぱい泣いちゃったんだから…賢弥の部屋でいっぱい泣かせてもらったの…ほんとは嫌に決まってるでしょ英二のばかえっち、
光一ならって納得できるから仕方ないって自分に言聞かせてただけなの…英二ほんとは光一のこと夢中になっちゃったくせに、解かるんだから、」

こんなこと言うなんて、みっともないって解ってる。
本当はずっと黙っているつもりだった、自分自身にすら沈黙して納得しようと決めていた。
けれど今、自分の体にある現実を思い知った今はもう小さな嘘も吐きたくない、後悔なんてしたくない。

―みっともなくても本当の気持ちで生きたい、この一秒だって後悔しないように、

後悔しないなら、我儘な自分は我儘を言えばいい?
そんな諦めは可笑しくて楽になる、いま明るむ想い笑って周太は拗ねた。

「ばか英二のえっちへんたい…エロ別嬪なんて綽名つけられちゃうなんて光一にえっちなこと散々したんでしょ?俺は知ってるもん、
ほんとに英二はえっちでベッドでも好き勝手するって知ってるからね?…だから今だってTシャツ勝手にめくるんだから…えっちばか嫌い」

嫌い、そう言った途端に抱きしめてくる力が緩む。
この一瞬に周太はくるり寝返り打って布団のなかに隠れこんだ。

「周太、…ね、嫌いって嘘だよね?そっぽむかないで?」

困惑の声が哀しげに訴えて、背から長い腕が抱きしめてくれる。
くゆらす森の香は布団越しにも優しくて、抱きしめてくれる鼓動も体温も温かに愛しい。

―やっぱり好き、だから…だから本気で拗ねて我儘を言いたい、もう誤魔化したくないから、ね

あのとき本音を裏切っても認めたのは、唯ひとり大切だったから。
その気持ちは今も変わらなくて愛しくて、尚更に離れられないと思い知らされる。
だから今すぐ笑って抱きしめたい、それでも布団と壁に笑い堪える沈黙に綺麗な低い声は囁いた。

「ごめん、周太の言う通りだ…光一に夢中で忘れた時ってある、でも富士で気がついたから…最高峰で俺ちゃんと気づいたから、赦して?」

最高峰で気がついた、そんな言葉にほら、あの花束とメッセージが記憶から温かい。





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第65話 如風act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-08 23:40:53 | 陽はまた昇るanother,side story
君の時間、夢の扉たちへ 



第65話 如風act.3―another,side story「陽はまた昇る」

窓の外、雲間から星が顕われる。

昏い夜空に輝きは多くない、けれど新宿の摩天楼よりずっと光は強い。
視線に辿る星数が嬉しくなる、光ひとつごと明るんでゆく心が今に弾む。
この弾みに記憶から父が笑ってくれる、いま狭い寮の窓にも周太は微笑んだ。

「…ね、お父さん?またいつか山小屋に泊まって、山の星を見たいね…」

15年前の夏は父と山に居た、あのとき見上げた星空が意識に映りだす。
ずっと忘れていた記憶ひとつまた蘇える、そして自由になる心が解いた記憶が懐かしい。
幼い日に父と登った山の樹木たち、花ほころぶ高山植物、仰ぐ木洩陽の向こうに見た蒼穹と白い雲。
あのとき見た空も梢も今あるのだろうか?そんな思案とカーテンを閉じるとポケットで携帯電話が震えた。

「…ん、」

メールなら3回の振動、けれど長い響きに電話を開いて見る。
そこに表示された発信者名が嬉しくて、笑って周太は通話を繋いだ。

「こんばんわ、賢弥?」
「よ、周太。今って時間だいじょうぶ?」

電話を通しても明朗な声は楽しげでいる。
なにか良い報せだろうか?そんな予想と周太は笑いかけた。

「ん、もう夕飯とか済んだし大丈夫だよ?」
「よかった、じゃあ遠慮なく時間もらうな、」

ほっとしたよう笑ってくれる、その空気に気遣いが優しい。
いつもながらの友人が嬉しくて微笑んだ向こう、賢弥が笑ってくれた。

「あのな、田嶋先生から周太に伝言なんだ。この間の翻訳、日本語も英語もすごく評判良かったから研究生になってくれってさ?」

あの田嶋教授の研究生に自分がなる?
その伝言に驚かされて、途惑ったままの声が出た。

「あの…俺が田嶋先生の研究生になるの?」
「そうだよ、周太に仏文研究室の研究生になってほしいから、まず俺から言っておいてくれって言われたんだ、」

友人の声が笑って告げてくれる言葉に、何か動きだす。
自分が東京大学のフランス語フランス文学研究室で研究生になる、その意味が鼓動へ響く。

―お祖父さんの研究室で勉強できるの?お祖母さんが勉強したところで…お父さんがいた文学部で、

あの研究室は、祖父の大切な場所だった。
そこで祖母は学び祖父と結婚した、そして生まれた父も文学部で学んでいる。
祖父、祖母、それから父、この大切な人たちが学んだ軌跡を自分も少しでも辿れるだろうか?

―でも学費のことがある、時間も、

軌跡を辿れる期待は嬉しくて、けれど現実問題がある。
研究生なら月々の学費が掛かるはず、なにより農学部の勉強と仕事の両立もある。
考えていくとフランス文学の勉強まで兼ねることは難しい、そんな思案に口開きかけたとき提案が告げられた。

「それでな?仏文で研究生してくれるならタダで良いって田嶋先生からの提案なんだよ、農学部と兼学して良いし学費も心配するなってさ、」

タダで良い、学費の心配はいらないってどういうこと?
言われた意味が急に呑みこめなくて、呆気のままで声が出た。

「え…、あのタダって?」
「学費無償ってことだよ、ちょっと驚くよな?あははっ、」

電話の向こう可笑しそうに笑ってくれる。
ただ明るいトーンのままで賢弥は教えてくれた。

「田嶋先生な、プロの翻訳家を雇うより研究生の学費は安いって大学にゴリ押したんだよ、周太が公務員で給料も出せないからってさ?
せっかくの才能に学ぶ機会を与えなかったら最高学府の名が廃る、しかも国立なんだから公務員の勉強代くらい出せって説得したってさ、」

こんな論法が通用するなんて、本当は田嶋教授の立場は大きいのではないだろうか?
そう気づかされながら小さく息呑みながら周太は訊いてみた。

「あの、田嶋先生の気持ちはすごく有難いんだけど、でも青木先生は?」
「もちろん田嶋先生に説得されちゃったよ、あの先生ってホント俺様ペースだからさ。あとは周太の気持ち次第なんだ、」

もう御膳立ては整っている、そんな空気が賢弥の声から伝わらす。
この予想外の展開に驚かされるまま腰が落ちてベッドに座りこんだ。

―森林学とフランス文学と、両方とも勉強していいの?

フランス文学は幼い頃から身近だった。
書斎に並ぶ本たちは祖父の愛蔵したフランス文学が多くて、それを父は読み聞かせてくれた。
だから読み書きとヒアリングなら出来る、けれど田嶋に学べば会話も出来るようになるだろう。
そうして祖父や父にまた近づけたなら嬉しい、並行して森林学も続けられるのなら頷きたいと思う。

―チャンスを与えられたなら素直に頷けば良いのかな…お父さん、お祖父さん、どう思う?

このチャンスを掴んだら自分の道はどこに繋がるだろう?
そんな思案ため息吐いた先、明朗な声は電話越し笑ってくれた。

「とりあえず伝言だからさ、来週の聴講の時にでも返事をしてくれたら良いって言ってたよ?ただ俺からもお願いあるんだけどさ、」
「ん、何?」

賢弥からお願いって何だろう?
訊いてみたくて笑いかけた向こう、友達は楽しげに言ってくれた。

「仏文の研究生になっても、大学院には一緒に森林専攻に来てくれよな?周太がいないと夢と研究計画の相棒いなくなっちまう、」

夢と研究計画の相棒、そんな呼名が鼓動に打つ。
そう呼んでもらえることは自分にとって、どれだけ望みたいことだろう?

―嬉しい、ほんとうに…だから体のことも頑張りたい、ね?

この体は喘息を抱え込む、それなのに今日も訓練で無理をした。
それでも回復を信じたい、その願いのまあ静かにベッドへ横たわると周太は笑った。

「ん、大学院は俺、森林学に行くよ?樹医が俺の夢だし、賢弥と協力してほしい研究があるから、」

樹医になること、それは父と見つけた夢でいる。
この夢は父が贈ってくれた幸福が培った、だからこそ叶えたい想いに学友は笑ってくれた。

「おう、一緒にやろうな。共同研究の論文って俺、ちょっと憧れなんだ、」
「ん、あれってカッコいいよね?賢弥となら良い研究が出来るだろうし、」

きっと出来るはず、そう信じられるまま嬉しくて笑顔になる。
笑って見上げる天上はデスクライトに青白くて、けれど山の空を見る想いに賢弥が笑った。

「小嶌さんにも相談役してほしいよな?きっと学部生の最初っから研究室にいるだろうし、」

自分たちが大学院に進む時、美代も学部生として在学している。
この前提を疑わないと言葉に空気に解って、嬉しくて笑いかけた。

「そうだね、きっと美代さんだったら暇さえあればって感じだと思うよ?」
「な?小嶌さんって植物の世界に恋してるってカンジする、演習でも一番熱心だろな?あ、レジュメの相談ちょっと良い?」
「ん、良いよ。テキスト広げるね、秩父演習林のとこでいい?」
「うん、そこなんだけど夜間の作業についてだけどさ、」

楽しいトーンが話してくれる世界は、夜の部屋にも明るい。
いま座っているのは警視庁第七機動隊の寮室、ここから森の世界は遠すぎる。
それでも繋いだ電話からは豊穣まばゆい緑の夢が笑う、こんな瞬間を与えられる「今」が嬉しい。
ベッドから天井を仰ぎながら手許にテキスト広げ笑いあう、そんな一時を過ごし電話を切ると周太は微笑んだ。

「ん、きっと大丈夫、…やりたいこと、いっぱいあるから頑張れるね?」

いま告げられた仏文学のチャンスが、森林学の夢に加わってくれた。
こんな現実に祖父と父の願いが重なるようで、そして希望と勇気がまた温まる。
この温もりを叶えたい、そう祈るままに周太はデスクライトを点けたままベッドにもぐりこんだ。

―早く寝よう、でも眠る瞬間まで勉強したい…出来るだけ一秒でも多く、

この一瞬も無駄にしたくない、今の精一杯を尽くして生きていたい。
そんな願いと繰るページから参加できない演習すら独学でも読める、そして演習林の夏が輝く。
いつか行きたい森、学びたい植物の世界、そこにある水と樹木の絆と自分の道に今、この時すら夢に風光る。

「…雅人先生、俺、生きますね、」

そっと独り言に微笑んで見つめるページの彼方、記憶から笑顔は温かい。
あの篤実な医師を信じて明日も信じる、その先にある来年、来年が積まれゆく先もずっと信じたい。
そうして叶えたい夢と約束がある、そんな全ての中でいちばんに願いたい相手に心つぶやいた。

―今ごろ光一と話してるのかな?訓練とかいろいろ…逢いたい、けど…今夜は忙しいよね、英二、

本当は今すぐ逢いたい、そう想っている。
逢いたくて待っていたい、部屋の場所が解かるなら扉をノックしたい。
けれど出来ないと解かっている、それでも想う俤に微笑んだまま眠りは穏やかに訪れる。



ふっと瞳が披いて、夜の天井が映りこむ。
ただ静謐だけが優しい薄明り、カーテン透かす窓は仄明るい。
眠りから時間は過ぎて深更になった、そんな空気に枕元のクライマーウォッチを周太は見た。

「…0時過ぎ、だね、」

時刻に微笑んで腕を伸ばし、そっとベッドサイドへ置き直す。
その隣へ携帯電話も並べ置いて、ふと見た扉下からごく細い光が青く射す。
もう廊下も非常灯が照らす刻限、そんな理解に見つめる光に周太は首傾げた。

―人影?

黒い影が、青い光に翳されている。
もし無人なら光は扉下に一閃して見えるはず、けれど今は途切れている?
そう気がついて見つめる視界、佇んだまま動かない影に懐かしさが漂った。

もしかして?

そんな期待に起きあがり、忍ばせた足音に扉へ近づく。
そっと戸口の隙間から細い釣糸を外し、呼吸ひとつでドアノブ回して引いた。
そして開かれた扉前の視界、眠りの残滓と見上げた貌へ周太は想ったままを尋ねた。

「…さっきから何してるの?」

問いかけた先、すこし大きくした切長い瞳に自分を映し、英二が立っている。




(to be continued)

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第65話 如風act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-07 16:01:07 | 陽はまた昇るanother,side story
風、世界を統べる花に 



第65話 如風act.2―another,side story「陽はまた昇る」

夕食の賑わう食堂、どこも膳の前で笑顔が寛ぐ。
一日の任務や訓練が終わった、そんな安堵が優しいけれど少しの緊張がある。

―なにか起これば出動なんだ、どんなに夜遅い時間でも、

事件が起きれば急行する、それは警察官である以上どこの部署でも同じだろう。
けれど交番勤務よりも緊張してしまうのは自分の個人的意識がある為かもしれない。
そんな意識に視線は動かされ食堂を見まわす、その視界で幾つかの笑顔と会釈を交わして、けれど探す人は居ない。

―英二、夕飯は済ませてきたのかな…それとも未だ着かない?

思案しながら丼飯を箸に運び飲みこんで、ため息を隠す。
さっきからメール1つも英二はくれない、それだけ異動初日は多忙だと解ってはいる。
しかも遭難救助まであれば私用メールなどする暇も無いはず、そんな納得ごと焼魚を呑みこんだ前から先輩が笑いかけた。

「来週は湯原、大学の日?」
「はい、講義とお手伝いがあります。箭野さんもですか?」

箭野は東京理科大の第二理学部に在籍している。
この努力家な先輩への好意と頷いた前、朗らかなトーンが答えてくれた。

「ああ、卒研が山場なんだ。今日も午前中は行ってきたんだよ、」
「学校のあと午後の訓練に出られたんですか?」

午後は実戦的射撃訓練で集中力が必要だった。
きっと研究でも集中した後だろうに?すこし驚いて尋ねた周太に先輩が笑った。

「出動なんて何時来るか解らんだろ?それと同じだよ、」

出動はいつ来るか解らない。
この言葉にある覚悟に、今、想っていた相手に心が向いてしまう。

―英二は卒配の時から覚悟してたんだ、ずっと、

あと1ヶ月で初任教養卒業から1年になる、その間を英二はこの緊張と生きていた。
けれど毎晩の電話にそんな気配は少なくて、それを英二が告げたのは2度だけだった。

1度目は初めての死体見分を行った夜。
2度目は御岳の写真家、田中老人を看取った夜だった。
生死の廻りを目の当たりにする、そんな瀬戸際の苦しみにだけ英二は任務の弱音を垣間見せた。

―まだ俺は看取ることはしていない、死体見分も無かった、

新宿署勤務の時、父を知るホームレスに応急処置をした。
けれど彼は病院で亡くなり自分の前にあった時は生きている、自殺者に遭遇したことも無い。
あとは田中老人の葬儀は参列している、けれど直接に遺体へ触れ「死」に直面するのとは違う。

―俺が目の当たりにした死は、お父さんだけだね…そのために今、ここにいるね、

自分が初めて見つめた死は、父だった。

新宿署の検案所で父の遺体と対面した、9歳4ヶ月だった春の夜。
あの夜はずっと父の傍で過ごした、目覚めぬ父の体の傍に微睡んで、独り洗面室で泣いて吐いた。
あのとき破けた喉の痛みも吐いた血の味も憶えている、だから今ここにいる覚悟に微笑んだ隣、親しい声が笑った。

「おつかれさまです、箭野さん、湯原。ここ座って良いですか?」

快活な声に見上げた視界、日焼の笑顔ほころんでくれる。
この一ヶ月で親しくなれた山ヤの警察官たちに周太は笑いかけた。

「おつかれさまです、高田さん、浦部さん。箭野さん、良いですか?」
「もちろん、どうぞ?」

箭野も笑って席を勧めて、ふたりは席に着いた。
高卒任官で7年目の箭野は高田と浦部にとっても年次では上になる。
年齢的には高田が最年長、けれど階級と年次が優先される警察では箭野が年長扱いになってしまう。
それでも気さくな笑顔はいつものよう、ふたりの山岳レンジャーに笑いかけた。

「いつもより少し遅かったですね?第2小隊の方達、皆さん見かけないけれど、」

箭野が言う通り、山岳救助レンジャー第2小隊のメンバーは今夜まだ見ていない。
けれど訓練が長引いている様子も無かった、その不思議に軽く首傾げた斜向かい端正な貌が微笑んだ。

「異動してきた人の挨拶があったんです、予定より遅れての到着だったから今になってしまって、」

異動してきた人、そう言われて鼓動が胸詰まる。
無事の到着に安堵して、再会への緊張と期待が迫り上げる想いに高田が笑いかけた。

「いま小隊長と挨拶に回ってますが青梅署の救助隊から異動なんです、2年目で宮田さんって言うんだけど湯原と同期だよな?」

やっぱり英二のこと、そう言われて声が一瞬止められる。
それでも呼吸ひとつで周太はいつものよう微笑んだ。

「はい、同じ教場でした、」
「お、良かったな?同期で同僚だと援けあえるよ、銃器と山岳で違うけどさ、」

明るい高田のトーンにすら、つい背筋から熱が昇りだす。
顔まで赤くならないことを願いながら笑顔で箸を動かして、けれどその前から箭野も言ってくれた。

「青梅署の宮田さんって、警察医の吉村先生と地域部長が可愛がってる人だろ?応急処置も山の技術も凄いって聞いたけど、」
「はい、その彼です。やっぱり宮田さん、有名なんですね?」

焼魚をほぐしながら浦部が端正な日焼顔ほころばせてくれる。
いま話題の人と少し似た穏やかな笑顔は楽しそうに続けてくれた。

「ウチの山岳会長が息子みたいに可愛がってるんですけど、今日の挨拶だけでもなんか納得です、」
「挨拶だけで納得って、カリスマなタイプってことだ?お、来たな、」

訊きながら箭野が目を遠くへやり軽く手を挙げる。
その視線を追って見上げた隣、本田と松木が揃ってトレイを抱え笑ってくれた。

「おつかれさまです、今の話題って宮田さんのことですか?」
「当たり、本田もここではぶっちゃけて良いよ?もう松木くんには話したんだろうけど、」

笑って促す浦部を見ながら本田はテーブルを回り、箭野の隣へトレイを置いて松木を見た。
そんな同期の眼差しを受けた松木は周太の横に座ると率直に先輩へと微笑んだ。

「箭野さん、オフレコしてもよろしいですか?」
「さっきからそうなってるよ、いつも通りにな、」

可笑しそうに笑って箭野がGoサインを出してくれる。
その笑顔を受けて本田は寛いだトーンで言った。

「箭野さんが居て下さると話し易いんですよね、黒木さんのコト気にしないでいられて。所属違うのに、いつも色々聴かせてすみません、」
「どういたしまして、でも黒木ってそんなに話解らない奴じゃないんだけど、」

すこし困ったようでも明るいトーンで箭野が言ってくれる。
そんな先輩たちの会話と前も見た「黒木さん」への態度に周太は首を傾げた。

―…高田さんには大学の山岳部の先輩でね、次の小隊長だろうって言われてた人なんだ。だから国村さん褒めるとちょっとね、
 それくらい人望もある優秀な人なんだ、山岳部でも面倒見いい先輩だよ?ただちょっと堅すぎるって言うかさ、小隊長と正反対なんだ

大学に行く土曜の朝も「黒木さん」を見かけた浦部と高田はそう言っていた。
優秀で面倒見が良くて物堅い、そんな性格は英二と類似して光一とは根の部分が正反対だと思う。
この類似と正反対が山岳レンジャー第2小隊が箭野を頼ってくる理由なのだろうか?そう思案する隣から高田が教えてくれた。

「あのな湯原、黒木さんが仕事でもプライベートでも認めて仲良いのって箭野さんくらいなんだ。そういうの黒木さんには珍しいんだよ、
黒木さんって完璧主義者だからな、簡単には誰かを尊敬して認めるってしない人なんだ。そんな黒木さんが箭野さんだけには弱いんだよ、」

完璧主義者が公私とも箭野を認めたくなる。
その気持ちは自分もよく解る、そして嬉しくて周太は笑った。

「箭野さんを尊敬するって気持ち、俺も解かります。訓練や任務もきちんとされながら大学で研究するって、すごいことだから、」
「うん、そういうとこ黒木さんって解る人なんだよ?きちんと人を見られる目があるんだ、」

端正な笑顔で浦部も頷いてくれる、そのトーンは穏やかでフェアがある。
このフラットな空気が浦部は明るくて英二と少し違う?そんな差異にまた首すじ熱くなる隣から高田が困ったよう笑った。

「そういう鑑識眼ってヤツも黒木さんの人望なんだけどな、堅過ぎて厳し過ぎるのと、正直なとこ上から目線だなって感じがあってさ?
面倒見もよくて可愛がってくれるけど、結局は対等じゃない空気が息詰まっちゃうんだ。だから、こんな時は箭野さんに駆けこむわけ、」

堅すぎる、上から目線、対等じゃない空気。
この単語たちに昔の自分が重なって、心に溜息こぼれてしまう。

―警察学校に入った頃の俺みたいだね…ううん、お父さんが亡くなってからずっとそうだった、学校でも、

自分だけが全て把握して解っていて、周りは何も解っていない。
そう想うままに周囲を見下してしまう、そんな鎧と壁を以前の自分も作っていた。
そういう自分には黒木の気持ちが解かりそうで思案と佇む前、聡明な目が微笑んだ。

「そういうの黒木も本当は悩んでるんだよ?だけど立場もある三十男が態度とか変えるって大変だと思う、その辺は俺とは違うし、」

きちんと相手の気持ちや立場を箭野は考えることが出来る。
こうした配慮が自然と出来るからこそ箭野には所属を越えた人望も生まれていく。
そんな先輩と親しくなれたことが素直に嬉しくて、微笑んで汁椀を啜りこんだ隣から松木が尋ねた。

「そっか、箭野さんって黒木さんとは年次1こしか違わないし七機は同時に配属だけど、年齢は5つ違うんでしたよね?」
「うん、高卒任官だから湯原と1歳しか違わないんだ、いま青梅署にいる原とは年齢も一緒の同期だよ、」

気さくな答えに一瞬、座の空気が思案に停まる。
そのすぐ後に笑い声が寛いで、可笑しそうに高田が言った。

「なんか俺、いつも箭野さんって完璧に年上先輩って感覚で話してたけど、よく考えたら俺のが2歳上だったんだ?」
「そうだよ?高田さんって俺のこと三十歳くらいな気分で話してるよな、いつも、」

笑いながら箭野が醤油挿しをとり刺身に掛けまわしていく。
いつもの気さくな笑顔へと高田は素直に笑った。

「自白するとそうです、たぶんここに居る全員が同罪だと思いますよ?」
「はい、俺も高田と同じです。俺のが一歳上なのにすみません、」

謝りながら浦部も綺麗な手を軽く上げてしまう、その笑顔も明るい。
こんなふう部隊が違っていても箭野を中心に笑いあえる、この空気が楽しい。

―ね、お父さんが居た時もこんな雰囲気だったの?蒔田さんや安本さんと笑ってご飯、食べてた?

そっと心に父へ問いかけられる今、この場所にいる想いごと温かい。
こうした空気に父も佇んでいられたのなら?そんなふう願いは29年前に遡る。

that it is a continuous process of interaction between the historian and his facts,
an unending dialogue between the present and the past.
歴史とは歴史家と事実が対峙し続けるプロセスであり、現在と過去が交わす果てなき対話である

29年前、父が母校の付属図書館に寄贈した一冊に記された言葉が今こんな時こそ解かる。
すこし前に父の後輩から聴かされた過去、そして自分の手に還ってきた祖父の遺著にあったサイン。
この2つから見つめた父の姿は、夢を絶たれた哀切と愛惜、それでも夢見た世界を援ける誇り、そして覚悟だった。
こうした全てを辿ってこられた「今」は、きっと英二に出逢って今の自分に成れなかったら出来なかったろう。

―英二が俺の孤独も意地も壊してくれたから黒木さんみたいに成らないでいれる、青木先生の冤罪を晴らして大学の道が繋がったのも、

あのひとは自分の唯ひとり、そう想ってしまう。
だから今もどうしているのか本当は気になって、そんな想い知るよう本田が口を開いた。

「宮田さんが挨拶しているとき、黒木さんの目がちょっと怖かったんですよね。たぶん人物鑑定みたいのしてる目だったんですけど。
そしたら宮田さんの目が黒木さんの目と合っちゃったんです、その瞬間に宮田さん、ほんと綺麗な笑顔になって黒木さんを受けとめて。
黒木さん一瞬だけど怯んでました、あの笑顔には俺も見惚れました。なんか国村さんや後藤会長の気持も解かるなって納得しちゃって、」

あの笑顔はほんとに反則です、

ついそう言いたくなって周太は丼飯を口に頬張った。
こんなこと恥ずかしくて自分には言えない、だって自分の婚約者を褒めるなど慎み無い。
けれど今から話題が始まれば気恥ずかしい連続になる?そんな予想通りに高田も浦部も話し始めた。

「そうなんだよね、あの笑顔はカリスマだなって俺も思いましたよ?小隊長も綺麗な顔だけど、宮田さんは何か雰囲気あるなって、」
「だよな?小隊長は話しやすいし愉快だけど、ちょっと人間離れしてるっていうか色んな意味で雲の上な人で。でも宮田さんはな?」
「うん、宮田さんは人間っぽくて身近に話せるよね?そこらのモデルより美形だけど普通に男でさ、俺らの目線と一緒に居る感じがする、」

交わされていく会話と空気から、英二への評価と立場がもう解かる。
まだ2年目で今月24歳になるばかり、それでも3人ともが「宮田さん」と呼ぶ。

―配属してきて2時間くらいで英二、もう皆の心を掴み始めてるんだね?まだ挨拶だけなのに、

まだ1時間足らずだろう、第2小隊で英二が立っていた時間は60分にも満たない。
それでも山ヤの警察官たちを惹きつけたのは11ヶ月の実績だろう、そう推定する通りに本田が頷いた。

「そうですよね、宮田さんって俺たちと同じ場所に居てくれるカリスマって思います。まだ山のキャリア1年なのに実績凄いですよね?
冬富士から三スラ、三大北壁の2つで記録まで作って。レスキューも凄いって言うし、後藤さんが抜擢しただけの実力は充分ありますよね、
でも、そういうの自慢する空気が無いんですよね、宮田さん。国村さんのパートナーってことも気負ってなくて話しやすい所がカリスマです、」

ほら、やっぱり英二はそこに居るだけで惹きつける。
ただ英二は信ずるままに想う通り言動する、それだけで人は惹かれ集いだす。
そんな姿を語ってゆく言葉たちに、さっき読んだばかりの詩は一節を謳いだす。

Rose of all Roses, Rose of all the World!
The tall thought-woven sails, that flap unfurled
Above the tide of hours, trouble the air,
And God’s bell buoyed to be the water’s care;
While hushed from fear, or loud with hope, a band
With blown, spray-dabbled hair gather at hand.

薔薇たち全ての中の薔薇、世界を統べる唯一の薔薇よ、
高らかな思考の織りなす帆を羽のごとく翻し、
時の潮流より上にと高く、大気を揺るがせ、
神の鐘は水揺らめくまま浮き沈み、
恐るべき予兆に沈黙し、または希望への叫びに、集う
風惹きよせ、飛沫に濡れ艶めく髪を手にかき集めるように






【引用文:Edward Hallett Carr『What Is History?』】
【引用詩歌:William Butler Yeats「The Rose of Battle」】

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虹を呼ぶ花―万葉集×William Wordsworth

2013-06-05 14:10:35 | 文学閑話韻文系
藍から白、紅、濃き淡き七彩



虹を呼ぶ花―万葉集×William Wordsworth

集真藍の 夜重咲く如く夜都代にを いませわが背子 見つつ偲はぬ  橘諸兄

紫陽花が八重に咲くように、
幾年も長く弥栄に幸せでいて下さい、私の大切な人よ。
あなたを見守りながら心想いながら、八重の花のよう幾度も幸福を祈っています。
真藍色の花のよう真実の想いに逢い、夜に重なり恋咲かせるよう夜を幾度も傍にいてと、あなたを見つめ願ってしまう。

学術名Hydrangea macrophilla、和名「アジサイ」紫陽花は、初夏を代表する花かなって思います。
日本に原生するアジサイ・紫陽花は萼紫陽花と言われる種類ですが、いわゆる山紫陽花で青か白が多いです。
で、「アジサイ」の語源は諸説あるそうですが「真青な藍色が集まった=集真藍アヅサイ」が有力説と言われています。
集まる=アヅ、真藍=真青=サイ、この言葉が組み合わさって「アヅサイ」になり今の「アジサイ」に訛ったのだとか。
山紫陽花は青玉のような花が集まる周りに萼が花びらのよう咲きます、そんな花姿は確かに「集真藍」だなと思います。



アジサイは『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」と2種類の表記があります。
そして歌も2首しか採用されていないんですよね、ちょっとマイナーな花だったのかなって気がします。
そのため観賞用として庭木にすることは少なかったのかとも思いますが、歌は庭の前栽に植えてあるイメージにも読めますね、笑

現在よく遣われる表記「紫陽花」ですが、これは中国唐代の詩人・白居易がライラックに付けた名前だと言われています。
この名前が平安時代に伝わって来たとき源順がアジサイの漢字として遣ったことから日本では「紫陽花」になったそうです。
言われて見ればライラックの花は紫で太陽へ向かうよう空を仰いで咲きます、確かに「紫陽花」は合うなあって感じがします。

ライラックの和名はムラサキハシドイ「紫丁香花」です、こんなふう香まで表記するあたり繊細だなと。
色も香も花を構成する要素ですが、どちらも綺麗に命名出来るのは漢字文化の良いトコだなって思います。
そういう発想をする日本独特の五感や視点の感性は、外国からすると稀有で尊重されるとこなんですよね、笑




紫陽花の色は、青、紅、白の3色が濃淡になって七彩に変化すると言われています。
七彩と謂えば=虹のイメージですが、花季も日本では梅雨頃と雨季にあたって虹が多い季節です。
そんなためかイラストでも虹と紫陽花を一緒に描いたものって多い気がします。

My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky
So was it when my life began, 
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die
The Child is father of the Man  
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety

私の心は弾む 空に虹がかかるのを見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである 
年経て老いたときもそうでありたい さもなくば私に終焉を 
子供は大人の父
われ生きる日々が願わくば 自然への畏敬で結ばれんことを

William Wordsworth「The Rainbow」
作中に何度も引用していますがワーズワス代表作と言われる詩です。
いま連載中の「天津風」で雅人が述懐していますが「rainbow」虹を夢や希望としてワーズワスは謳います。

東洋では古来「虹」は竜神の伝令と考えられていました。
西洋だと「Iris」虹の女神は翼を持ち神々の伝令を務めるとされています。
いずれも虹=神の伝令であるってトコは同じです、そんな思想が「神の伝言=夢や希望」ってイメージになったんでしょうね。




いま紫陽花は色んな種類が日本でも咲いています。
上述のよう日本原生種は萼アジサイの山紫陽花ですが、最近は西洋紫陽花を山でも見かけるんですよね。
青が多いんですけど、丹沢大山国定公園でも山道脇に西洋紫陽花の青色を見かけました。
元は植えたものかもしれないですが、すっかり野生化しているとこが逞しいです。笑

で、園芸種でよく見るようになったのが柏葉紫陽花。
北アメリカ原産らしいですが、八重咲の花や葉の形など華やかな印象。
よく行く森の近くでも咲いていますが、純白の花が雨ふくんだ姿は艶やかに清楚です。
そんな花姿のワンシーンが下の写真になります。




深夜UPした「天津風11」加筆校正がほぼ終わっています。
今夜は第65話「如風2」と短編連載「side k2」をUPする予定です。

昼休憩合間ですが、取り急ぎ。









【引用詩歌:橘諸兄『万葉集』より/William Wordsworth「The Rainbow」】

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