よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

10年。

2021年03月11日 | Weblog

早いもので震災から10年。

今日この日も竹林で迎えました。10年目の間伐。

朝イチ、いつもご注文くださるお客様から、

「応援の気持ちで」

と、いつもよりもたくさんご注文の電話からはじまりました。

震災前から、ずっとこういう気持ちに支えられて今日もご飯が食べれています。

本当に感謝の気持ちしかありません。




とてもかわいがっていた猫、メルが来たのは震災数日後でした。

2度目の4月の大地震も一緒に経験し、

来たばっかりなのに地震に驚きしっぽを踏んでしまったのを思い出します。

メルの写真を整理していたら、当時の写真も出てきました。


3.11後すぐにGAIA清水さんの弟・さだはる店主やっさんがお手伝いに来てくれて、

電気がない中太陽と共に起き、日が沈めば呑んで寝る、という生活が続きました。

毎日が必死で不安。心強い助っ人でした。

そんなGAIAのスタッフや取引先から、初めて支援金を頂いて感謝と共に、とまどったことも思い出します。




このお金をどう活かすか、と、とりあえず仲間と考えて佐藤農場に鳴子に避難中の方々を招待しての炊き出し。

仕事場も家も失った方々に、

「すんません。俺らこんなことしかできません。なんかこれからお手伝い出来ることはありますか?」

と失礼ながらも思いをぶつけたら、返してくれた言葉が、

「失ったものは取り返せない。それでも明日から、を考えなくてはならない。

 だから、仕事が欲しい」

高知・四万十の畦地さんたちに協力していただいた海の手山の手ネットの新聞ばっぐ作りへのキッカケが出来た瞬間です。

それが、10年目で楽天田中投手復帰での記念新聞ばっぐ受注へとつながっています。

そして、竹林、風景へ想いをはせるキッカケもこのときでした。


  


出来る仕事を作ろうと、農家仲間で農家の仕事をやってもらうのと並行し、

復興販売イベントへの出店依頼も頂いてたので「商品作ろう!」と、

我が家の、当時は荒れ放題で歩くのもままならない竹やぶで竹切り出し、

海山代表・曽木さんに教えてもらいながら花を植え商品に。

この時に仕事してくれたおじいちゃんの言葉でした。

「おれは家も仕事場も全部無くなった。こんなに立派な山があるんだ。もったいないぞ!」

その一言にガーンと来ました。

畑を活かすテクニックでなく、在る風景からキチンと組み立てようと、以来の間伐です。




まだまだ満足行くほどではないですが、当時からすると見違えました。

あの時のおじいちゃんが元気であれば、ぜひとも見て欲しい。

これが、自分の中の震災への答えの一つだと思って取り組んでいます。



(さんさん商店街から。防災センター、左にてっぺんのみ見えます)

先日、竹やぶ会議in南三陸がありました。

しばらくぶりで、また景色が一変して防潮堤だらけで道路に迷いました。

会議前に、新聞ばっぐをずっと折ってくれているけい子さん宅に寄ると、

旬のワカメで大忙しそう。

以前ワカメの間引き手伝いに行ったらしこたま船酔いし、

出荷までの海仕事も初めて目の当たりに体験させてもらったのもけい子さん。

それからはワカメ美味しさが1段上がりました。

やっぱり生業は人を元気にします。

自分もありがたく、竹林で気持ちいい汗を流せています。


復興がどういうことなのか、は相変わらずよくわからないけれど、

日々を大事に、また明日からも暮らしたいと思います。