海山ネットに始まり、海山ネットで終わった日。
午前中、仙台へ行き、某金融機関との打合せ。
来月に新聞バックを盛り込んでの企画があり、その確認。
お会いする、お話するのは3度め。
今日はざっくばらんに新聞バックを軸に話題が広がって、収穫も多かった。
「つまるところ、ウチは新聞バックを購入することで"復興支援"だ、とは考えていない。
これ、海山ネットの活動も、うちがこれを扱うことも、接した人が何を感じるかの"キッカケ"でしかない」
ということば、とても嬉しかった。通じている感が。
これまで自分にとって縁遠い業種かなと思っていたけれど、社会は人の集まりだ、と再確認した思い。
私もまったく同じ事を考えていて、海山の継続か否かの分岐でもあるポイント。
折手自身、が今は「失った被災者」でなくても良いと思っている。
キッカケはもちろん海の手で、今でも中心であるのは間違いない。
それでも商品を送り出し、お金を頂く、という活動である以上責任もあるし、
キッカケは「助けになるなら」という思いであっても、声をかけていただく以上は仕事。
それを受け、こなす過程では海の手ばかりではやれないし、山の手もまじり、つまりは根っこはこっちの人間で、
出来る人が役割分担で応えて一つの形にする。そして海山の活動が継続している。できている。
根本は新聞バックというモノに、人の手の工夫であったり、折り紙文化であったり、知恵、そんなナニかを感じて集っている。
そんな考え方が和を作り、拡がりを生み、これが何がしかの一つの軸になり、東北から発信する声になる。
それだ。
結局のところ、今離れた日本各地から新聞を送ってくれたり、
バックを注文して自分の事業に活用して活かしてくれてる方々も、
みんな、一人ひとりがたぶん同様の共感があるし、そこに価値を置いている。
そこだ。
で、あれば、まだまだまだまだやれることはある。
それがあるかぎり、やめらんねーなぁ。
夜はそんな新聞バックプロジェクトの内部ワークショップ。
大量に注文いただいた時、誰が折っても品質が揃うようにと練習会。
小さいことの積み重ね。今はそれをやるしかない。