教員をしていると、多くの保護者に接する機会が多い。
我が子だけでなく、周りの子供達のことも考えて行動している人が居る。
尊敬してしまう。
そういう人は、たいてい楽しそうである。
逆に利己的な人も居る。
会話の端々に、自分中心の価値観が見えて、「うわっ、自己中やな!」と引いてしまう人も居る。
ただ、どちらの人にも共通点はあると考えている。
それは、
「一生懸命に生きている」
という点である。
周りの人のために生きている人、つまり、利他を重視して生きている人も
自分のためだけに生きている人、つまり、利己的な人も
その人なりに一生懸命生きている。
その価値観を踏まえた上で対処しないと、何も変わらない。
つくづくそう思う。
・・・・・・利己的だった自分だからこそ、よく分かる。
少しだけ利他的な価値観で動けるようにはなったけれども、まだまだ利己的な自分である。(たぶんこれからも)
利己的、利他的関係なく、すべての人は、一生懸命生きている。
「すべての人は、一生懸命生きている。」 それを認めることからスタートすれば、人間関係は、案外うまくいくような気がしている。
我が子だけでなく、周りの子供達のことも考えて行動している人が居る。
尊敬してしまう。
そういう人は、たいてい楽しそうである。
逆に利己的な人も居る。
会話の端々に、自分中心の価値観が見えて、「うわっ、自己中やな!」と引いてしまう人も居る。
ただ、どちらの人にも共通点はあると考えている。
それは、
「一生懸命に生きている」
という点である。
周りの人のために生きている人、つまり、利他を重視して生きている人も
自分のためだけに生きている人、つまり、利己的な人も
その人なりに一生懸命生きている。
その価値観を踏まえた上で対処しないと、何も変わらない。
つくづくそう思う。
・・・・・・利己的だった自分だからこそ、よく分かる。
少しだけ利他的な価値観で動けるようにはなったけれども、まだまだ利己的な自分である。(たぶんこれからも)
利己的、利他的関係なく、すべての人は、一生懸命生きている。
「すべての人は、一生懸命生きている。」 それを認めることからスタートすれば、人間関係は、案外うまくいくような気がしている。