仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

なぜ家庭学習の習慣化をすすめるのか、その理由となる本

2020年03月17日 | 修養
 学級担任をしていた頃は、6年生であれば60分くらいは家庭学習を習慣化するように指導していた。

 (ただし、「120分を超えても出された宿題が終わらないようならば、それ以上はしなくても良い」とも伝えていた。)

 なぜ家庭学習を習慣化してほしいのか、

 それは、努力することが当たり前という感覚を身につけてほしいと考えていたからである。

 努力するのが当たり前、家庭学習をするのが当たり前と考えられる子は、中学校や高校に進学した時に必ず伸びる。

 さらに、大人になってからでもいえる。

 知的な作品でも、モノづくりでも、努力を習慣化している人こそが、大きな成果を残すからである。



 次は、渡部彰一氏の著書「実践・快老生活」からの引用である。

 渡部彰一氏といえば、上智大学名誉教授であり、歴史や生き方に関する本を多数執筆されている方である。

 著書「知的生活の方法」は有名である。

 

 私は、老後の充実のために、ぜひとも心がけておくべきことがあると思う。

 それは、

 「機械的な仕事の方法こそが、決定的に重要である」

ということである。

 (中略)

 ここで機械的というのは、毎日、決まった時間を割いて仕事に取り組むというほどの意味である。

 生産力の高い作家たち(多作であったり、数々の長編を残したりするような作家たち)は、多くの場合、一日のうちで執筆に充てる時間を決め、機械的といっていいほどの勤勉さで執筆に励んでいるのである。

 (中略)

 われわれは、文学作品であれ、絵画であれ、音楽であれ、「芸術」といわれる分野のものは、

 インスピレーションによってできあがると思いがちである。

 もちろんインスピレーションがなくて芸術作品が生まれるわけはないが、

 「作品」と名の付くものは、その大部分は機械的な作業であることを知らない人は、

 知的生産には無縁にとどまるであろう。

 人は、機械的に働くという習慣(勉強の習慣)が付くと、

 次から次へと、最初は考えることもできなかった大作を仕上げることができるようになるらしい。

p.176




 渡部彰一氏のは、知的な生産物を生み出すには、機械的に取り組むのが一番であるといっている。

 そうであるならば、小学生のうちに、機械的に取り組む習慣をつけてあげることは、その子の一生の財産になるだろう。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする