「現代詩の祭典」というイベントがあるそうだ。
最近、チラシで見た。
「現代詩」と呼ばれるモノを読んでみたい、音読してみたいと思った。
「現代詩」があるということは、近代詩や古代詩もあるのかなあ・・・とも思った。
「現代詩の祭典」かあ、行ってみようかな・・・。
そんなことをぼんやり考えているうちに、「現代詩」にルビが振ってあるのが目に付いた。
そのルビを読んだら、「現代詩」というのを読みたい気持ちがしぼんでしまった。
何と言うルビが振ってあったかというと・・・。
「ことば」である。
「現代詩」という漢字の上に、「ことば」というルビがあった。
つまり、「現代詩」と書いて「ことば」と読ませるのである。
「げんだいし」で良いではないか。
「げんだいしの祭典」ではなくて、「ことばの祭典」なのだ。
もう一度いう。
「現代詩の祭典」は、「げんだいしの祭典」で良いではないか。
少なくとも、「げんだいしの祭典」を「ことばの祭典」と読ませるそのセンスが分からない。
美しいとは思えない。
まあ、これは単なる自分の主観なので、「ことばの祭典」の方が、表現として面白い、美しいと感じる人もいるのだろう。
ただ、自分にはそのセンスは合わない。
「ことばの祭典」には行きたくない。
(「げんだいしの祭典」ならば、行きたかったなあ。)
最近、チラシで見た。
「現代詩」と呼ばれるモノを読んでみたい、音読してみたいと思った。
「現代詩」があるということは、近代詩や古代詩もあるのかなあ・・・とも思った。
「現代詩の祭典」かあ、行ってみようかな・・・。
そんなことをぼんやり考えているうちに、「現代詩」にルビが振ってあるのが目に付いた。
そのルビを読んだら、「現代詩」というのを読みたい気持ちがしぼんでしまった。
何と言うルビが振ってあったかというと・・・。
「ことば」である。
「現代詩」という漢字の上に、「ことば」というルビがあった。
つまり、「現代詩」と書いて「ことば」と読ませるのである。
「げんだいし」で良いではないか。
「げんだいしの祭典」ではなくて、「ことばの祭典」なのだ。
もう一度いう。
「現代詩の祭典」は、「げんだいしの祭典」で良いではないか。
少なくとも、「げんだいしの祭典」を「ことばの祭典」と読ませるそのセンスが分からない。
美しいとは思えない。
まあ、これは単なる自分の主観なので、「ことばの祭典」の方が、表現として面白い、美しいと感じる人もいるのだろう。
ただ、自分にはそのセンスは合わない。
「ことばの祭典」には行きたくない。
(「げんだいしの祭典」ならば、行きたかったなあ。)