仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

老眼が始まった人にはお勧めです、2つの眼鏡の使い分け

2020年03月16日 | 健康・病気
 デスクワーク用の眼鏡を使い始めて、もう1年ほどになる。

 自分は、近視用の眼鏡をずっと使ってきた。

 しかし、その眼鏡をかけていると、近くを見るのがつらくなってきた。

 40代半ば頃からだろうか。
  
 いわゆる「老眼」が始まってきたのである。

 50歳を超えた頃から、デスクワークもつらくなってきた。

 パソコン作業や執筆作業をする際に、困るのである。

 眼鏡をかけると、近くの文字が見えづらい。

 しかし、眼鏡を外すと文字がぼやけてパソコンの文字が見えづらい。

 そこで、デスクワーク用の眼鏡を作ることにした。

 結論から言うと、とても良かった。

 眼鏡の中心の度数が、パソコンの距離に合わせてある。

 だからパソコンでの作業がとても楽である。

 眼鏡の下の方の度数は、手元の執筆作業がしやすい度数になっている。


 このブログもデスクワーク用の眼鏡をかけて書いている。



 運転をしたり運動をしたりする時には、これまでと同じ眼鏡を使う。遠くが見やすい。

 デスクワークをする際は、専用の眼鏡を使う。目が疲れにくい。 

 2つの眼鏡の使い分け、老眼が始まった方にはおすすめである。
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本多静六博士が、生涯で370冊を超える著書を書けた理由

2020年03月15日 | 修養
 私が尊敬する人物に本多静六博士がいる。

 この方は、林学博士であり、造園家、株式投資家でもあった。

 四分の一天引き法(月給の4分の1を天引きして貯金する方法)を元手に、投資で巨万の富を築いた方でもある。

 (しかも、その財産を寄付している)

 この方は、生涯で370冊以上の著書を生み出している。

 本田先生が心がけたのが、

 「1日1ページ分(32字詰め14行、つまり448文字)以上の文章、

 それも著述原稿として印刷価値のあるものを毎日書き続ける」ということを自らに課していた。
 
 (しかも40代半ばからは、「1日3ページ」とペースが上がったそうである。)

 書く力をつけるには、日々の積み重ねしかない。

 いや、書く力に限らない。

 体力でも知力でも、力をつけるためには、日々の積み重ね以外にない。

 私は、少しでも書く力をつけ、執筆や講演によって、いずれ世の中の方々のために役に立ちたいという願いがある。

 どれだけできるかは分からないが、私も少しは習慣化して、書く力を身につけたい。

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地域に住む大人の教育力は落ちたか?高まったか?

2020年03月14日 | 家庭教育
 地域に住む大人の教育力は落ちたか?高まったか?

 どちらだろうか?

 私の考えは、「高まっている面もあり、落ちている面もある。」である。

 二極化が進んでいると言っても良いかもしれない。


 高まっている面について

 高まっている面は、学校に関わって下さる外部の方の教育力である。

 最近の学校には、地域の一般の方が授業に入って下さることが多い。

 例えば、高学年児童が将来の仕事について学習をする場合、何時間かある学習のどこかで、保護者や地域のお店の方を呼ぶ。

 そして、自分の仕事について語ってもらう学習をすることが多い。

 仕事内容、やりがい、どうしたらその仕事に就くことができるか、などを子供達に語ってもらい、子供達からの質問にも答えてもらう。

 それ以外にも、地域の特色ある施設や自然、文化遺産などについて詳しい外部の方をお招きすることは多い。

 例えば、果物を作っている農家の方、神楽などの舞をしている方、地区の史跡に詳しい高齢者の方、水道課の方、地域にある天然記念物の研究者、などなど数え切れないくらいの方がいる。

 最近は、そういう学校に関わって下さる外部指導者の方々が多く、その教育力の質も高い。



 落ちている面について

 では、落ちている面についてはどうか?

 それは、子供達の指導ができる地域の大人が少なくなっているという面である。

 地域の子供達に関して問題があるとする。

(例えば、車が通るようなところで、キャッチボールをする、スケートボードで遊んでいる等である。)

 それを大人が見かけたとする。

 昔なら、自分が子供の頃なら、近所の大人が許さなかった。

 「こらっ、そこは危ないだろう。○○公園で遊べ」

等と言って叱られた。

 今は、どうか

 叱る大人は少ない。

 その代わりにどうするか。

 近くの学校に電話をするのである。

 「お宅の学校の子が、○○で○○をしていますよ。」

 そうすると、学校の職員が出かけていって、指導をする。

 このような事態が重なって、多忙化する要因の一つとなっている。

 昔は、悪いことをすると、地域の大人から

「お前はだれんとこの子か?」 と聞かれたものである。

 今は、悪いことをすると、地域の大人から

「お前は、どこの小学校の子か?」 と聞かれる。



 本来ならば、地区に住んでいる大人が、その場でその子を指導をしてほしい。



 指導がしにくくなった社会状況もあるだろう。ヘタをすると不審者扱いされるのではないか。という不安もあるかもしれない。

 それでも、知っている子だったら、大人として指導をしてほしいのだが、指導する人は昔に比べて圧倒的に少ない。

 そういう点では、地域に住む大人の教育力は落ちたと考えている。
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問39 臨時休業期間中に、児童生徒が外出して運動をしてもよいのか

2020年03月13日 | 健康・病気
 新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、学校は休校中である。

 文部科学省からは、休校中の過ごし方について、様々なQ&Aが出されている。

 その一つを紹介する。

問39 臨時休業期間中に、児童生徒が外出して運動をしてもよいのか。

○ 通知においては、児童生徒に「新型コロナウイルスの感染の拡大を防止するための臨時休業の措置であるという趣旨を理解させ」、臨時休業期間中は、「人の集まる場所等への外出を避け、基本的に自宅で過ごす」ようお示ししたところです。このことの趣旨を踏まえると、児童生徒の健康保持の観点から、児童生徒の運動不足やストレスを解消するために行う運動の機会を確保することも大切であると考えており、安全な環境の下に行われる日常的な運動(ジョギング、散歩、縄跳びなど)を本人及び家庭の判断において行うことまで一律に否定するものではありません。

○ ただし、一度に大人数が集まって人が密集する運動をしないなど、感染拡大を防止する観点からの配慮が必要です。


このように、

「安全な環境の下に行われる日常的な運動(ジョギング、散歩、縄跳びなど)を本人及び家庭の判断において行うことまで一律に否定するものではありません。」

「ただし、一度に大人数が集まって人が密集する運動をしないなど、感染拡大を防止する観点からの配慮が必要です。」

と書いてある。

 日中は家にいる児童も多いことだろう。

 運動不足やストレスを解消するために、外で縄跳びをしたり、親子でジョギングや散歩などの運動の機会を作ったりしても良いのである。

 この答えを見たその夕方、早速小6の末っ子を運動公園に連れて行き、運動させた。

 すっきりと表情になり、「連れて行って良かったなあ」と思った。



 なお、文部科学省のホームページには、ほかのQ&Aについても書いてある。

 以下のサイト

【臨時休業・Q&A】 新型コロナウイルス感染症対策のための小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校等における一斉臨時休業に関するQ&Aの送付について(3月11日時点)(PDF)


新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する対応について

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卒業生へのメッセージ

2020年03月12日 | 学級経営

 もうすぐ卒業式

 6年生の担任から、『卒業生へのメッセージを書いてもらえないでしょうか」という依頼があった。

 全職員が書く。

 もちろん私も書く。どんなメッセージにするかだいぶ悩んだが、次のメッセージを書くことにした。


ご卒業
 おめでとうございます

人生の喜びは、三つあります。
「してもらう喜び」
「できるようになる喜び」
「してあげる喜び」

 この六年間で、「してもらったこと」「できるようになったこと」がたくさんあるのではないでしょうか。
 これから先、もっともっと「できるようになる喜び」を味わって、「してあげる喜び」をたくさん味わえる人になりましょうね。
(私もがんばります)



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人間関係がうまくいくようになるための基本的な考え方

2020年03月11日 | 修養
 教員をしていると、多くの保護者に接する機会が多い。

 我が子だけでなく、周りの子供達のことも考えて行動している人が居る。

 尊敬してしまう。

 そういう人は、たいてい楽しそうである。



 逆に利己的な人も居る。

 会話の端々に、自分中心の価値観が見えて、「うわっ、自己中やな!」と引いてしまう人も居る。



 ただ、どちらの人にも共通点はあると考えている。


 それは、



 「一生懸命に生きている」


 という点である。

 

 周りの人のために生きている人、つまり、利他を重視して生きている人も

 自分のためだけに生きている人、つまり、利己的な人も

 その人なりに一生懸命生きている。



 その価値観を踏まえた上で対処しないと、何も変わらない。


 つくづくそう思う。


 ・・・・・・利己的だった自分だからこそ、よく分かる。

 少しだけ利他的な価値観で動けるようにはなったけれども、まだまだ利己的な自分である。(たぶんこれからも)



 利己的、利他的関係なく、すべての人は、一生懸命生きている。

 「すべての人は、一生懸命生きている。」 それを認めることからスタートすれば、人間関係は、案外うまくいくような気がしている。



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説明文指導の第一歩は1分間に○○文字のすらすら斉読

2020年03月10日 | 国語
 説明文は、すらすら斉読をさせてきた。

 目安は、1分間に300字程度である。

 それくらいの速さで読めるようになると、内容の読み取りも速く正確になってくる。

 逆に、音読が遅い児童は、読み取りが苦手である。そもそも音読するのを苦手と感じているので、読みたがらない。
 
 だから、読めるように繰り返し練習する時間を授業では位置づけてきた。繰り返し練習すると、読めるようになるからである。

 すらすら斉読を重視するようになったのは、市毛勝雄氏の「説明文教材の授業改革論」を読んでからである。

 その本には、次のように書いてある。



 「こういう文章(説明文のこと)を読むためには、文章を丸ごとつかむ、段落全体を丸ごとつかむという読み方で読まなければ、全体の意味を理解することができない。」

 「そのためには、『速く』読まなければならない。『詩』のように一字一句ばらばらに読み味わっていては、ひとまとまりの説明文は理解できない」

 「『速い音読』をすると、ひとまとまりの説明文がよく分かるようになる。文章を速く読むことによって、事柄や性質の全体が丸ごと見えてくるからである。」

 「これまでは、どんな文章もゆっくり読めば分かる、と考えられてきた。確かに、演繹論理の文章や、詩などはゆっくりと読むと分かることがある。しかし、自然科学的な説明文(報告や論説)は速く読まないと、理解できない。文章によって読み方を変える必要がある。」

 「小中学校の説明文教材は、速く読ませることによって、生徒が理解しやすくなる代表的な文章である。」

 p.35



 全国学力テストなどは、すらすら読めないと、時間が足りない。黙読のスピードを上げるためには、音読のトレーニングが不可欠だと考えている。

 さらに、子供達が成長し、大人になってから読む機会が多いのは、圧倒的に説明文である。

 だから、なおさら説明文をすらすら読めるようにし、理解できるようにする必要がある。

 すらすら斉読は、説明文指導の第一歩であり、重要な学習活動であると考えている。




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幸せな家庭を築く7つの原則 by カーネギー

2020年03月09日 | 修養

 オーディオブック「人を動かす」は、旧版のものだった。

 古いエピソードばかりである。

 しかし、新版に無いよさもあった。

 それは、新版には収められていない章があるという点である。

 新版の内容は以下の通りである。

◇PART 1 人を動かす三原則

◇PART 2 人に好かれる六原則

◇PART 3 人を説得する十二原則

◇PART 4 人を変える九原則

 旧版には、これ以外の章も2つある。

 それは、

◇PART 5 奇跡的な結果をもたらした手紙



◇PART 6 幸せな家庭を築く7つの原則

である。

 特に、この「幸せな家庭を築く7つの原則」がよかった

 例えば、その1つめ「 口やかましく言わない」を実践できているだけでも、夫婦喧嘩は激減するだろう。

 有り難いことに、うちでは最近夫婦喧嘩は殆ど無い。

 俗に言う次のような言葉がある。

 「結婚前には両目を大きく開いて見よ 結婚してからは片目を閉じよ」

 うちの場合は、おそらく家内は「結婚してからは両目を閉じ」てくれているだろう。

 口やかましく言われないというのは、とても有り難い。

 

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これからも「孝」は不易

2020年03月08日 | 修養
 「孝行」という考え方が、これから益々大事になってくると考えている。

 もともと日本人は、「孝」と「忠」を重視していた。

 「孝は百行の基」という言葉もある。

 「孝」は、すべての行動の基本の考え方だった。

 実は、今でも「孝は百行の基」と考えて行動している人は多いと思う。

 その人は、現在も、そしてこれから先も幸せになるであろう人である。



 「現在」も、そして「これから先も」である。



 なぜ現在か?

 それは、孝行をする親自身が最も望んでいることは、我が子の幸せである。

 親が喜んでいることであれば、我が子が幸せになるようなことである。(もちろん、たまに例外はあるだろうが、ごくごくわずかだろう。我が子の幸せを願うのが親である。)

 親がほぼ満足していると言うことは、我が子がほぼ幸せに暮らしているように見えるということである。



 自分自身の判断基準について考えてみると、
 
 親から見て、この生き方は賞賛に値するか、それとも非難されるか、

 それは、自分自身にとっては、大きな判断基準となっている。

 なるべく親から見ても「よくやった」と言われるような生き方をしたい。

 それは、とりもなおさず、自分自身の、そして周りの人にとっても良い生き方であろうと確信している。


 
 なぜ「これから先も」か?


 歴史は繰り返す。

 子育ての文化も繰り返す(ことが多い)

 親が育てたように、子は育つ。

 親が祖父母に接してきたように、接する。

 祖父母に対して失礼な振る舞いをした親は、きっとその子供から同じような振る舞いをされるだろう。

 逆に、祖父母に対して「孝」の念を持って接した親は、きっとその子供から同じように接する体験をするだろう。

 

 そして、どちらにしても、その子や孫も、その親がとった行動を繰り返すだろう。(もちろん、そうでは無い子孫も居るだろうが、割合としては少ないだろう。親を手本とするからである。)

 子孫が幸せな壮年時代、老年時代を過ごせるようにするためにも、「孝」は重視すべき差あると考えるが、いかがだろう?

 ちょっと古い?堅い?


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デール・カーネギー「話し方入門」のオーディオブックは勉強になった。次は・・・?

2020年03月07日 | 本と雑誌
 デール・カーネギーの「話し方入門」をオーディオブックで聴き終わった。

 通勤やドライブ中に聞けるのは有り難い。

 車のスピーカーで聴ける。

 まるで、講演を聴いているようである。

 あまりにも勉強になったので、ほかのオーディオブックも購入した。

 やはりデール・カーネギーの本にする。

 若い頃に読んだが、やはり繰り返し読むべき本だと考えているからである。

 ということで、

 「人を動かす」

 を購入、聞き始める。

 若い頃に、この本を読んだおかげで、人間関係のトラブルがだいぶ少なくなった気がする。

 実力も無いのに、生意気だった自分をずいぶん変えてくれた本である。

 オーディオブックで聞いてもやはり勉強になる。

 語っている人の声もいい。

 少し早めに聴いてもしっかり聞き取れる。耳が少し遠くなった自分には有り難い。
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歩くだけで元気とやる気を見せられる・・・その歩幅は何㎝か

2020年03月06日 | 修養
 
 できる大人の「見た目」と「話し方」

という本を読んでいる。

 先日、何かの本を読んでいて、おすすめだということで買った。(面白かった本だというのは分かっているのだが、どの本に書いてあったかは、忘れてしまった。いつものことである。)

 この「できる大人の「見た目」と「話し方」」という本には、姿勢や体の動かし方に関するページがあった。

 姿勢にはとても関心があるので、そういうページは、真っ先に読んでしまう。

 読んでいる中で、とても興味があるページを見つけた。

 それは、

「歩幅を広げて、やる気と元気を見せる」p.29

 である。

○ 歩幅を見れば「元気があるかどうか」が分かる

○ 心のエネルギーが大きい人は、“大きい歩幅”で歩いている

○ 元気に見える人の歩幅の目安は・・・

と書いてあった。

 元気に見える人の歩幅の目安は、

 

 男性60㎝  女性55㎝

 と書いてある。

 平均身長から導き出したモノかどうかは分からないが、なぜか男女差がある。

 個人差の方がよっぽど大きいような気がするのだが・・・。



 気になったので、測ってみた。

 5mの巻き尺を庭に出して、とりあえず5歩ずつ歩いてみる。

 ウォーキングバージョンを5回ほど、

 普段の歩きバージョンも5回ほど


 ウォーキングバージョンは、どれも4m20~30㎝だった。

 ということは、1歩の平均が84~86㎝(中間は、85㎝?)

 
 普段の歩きバージョンは、3m70㎝~3m80㎝

 ということは、74~76㎝となる。(中間は75㎝?)

 
 自分は、75~85㎝の歩幅で歩いていることになる。

 

 自分の身長は、日本人の平均に近い。

 ということは、60センチを超えている。

 元気とやる気が伝わる歩き方をしていることになる。

 嬉しい。



・・・ もちろん、しょぼしょぼ歩いている時もあります。
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おいしいご飯の選び方の一つ

2020年03月05日 | 食・レシピ
 おいしいご飯の選び方の一つに、最近ようやく気づいた。

 私の実家では、「ヒノヒカリ」という品種を作っている。

 専業農家である。

 そのまま飲めるような綺麗な湧き水で、米を作っている。

 田植えや稲刈りには手伝いに行っている。

 手伝っているため、お米は必要な分だけもらえるという恵まれた環境にいる。

 我が家の米がなくなると、10~30kg位の米をもらって帰る。

 帰る途中で、精米して帰る。

 これまで、ご飯がおいしい時と味が落ちる時があった。

 なぜ味が落ちるのかが分からなかった。

 最近、やっと分かった。

 鈍感にもほどがあると思うが、「鮮度」がポイントだった。

 米というのは、「精米してから1ヶ月を過ぎると味が落ちる」ということを知らなかった。(冬場はもう少し長くなる)



 今日、実家からもらってきた「古米」を食べてみた。

 ただし、今日精米したばかりである。

 うまい! とても古米は思えない旨さである。

 新米には負けるかもしれないが、十分おいしかった。

 ということで、米を買う際には、「精米した日を見るべきである。」ということに今まで気づかなかった。(米を買うことはないけど・・・)

 精米日から時間がたつほどに味は落ちる。

 自分も、こまめに精米してから食べることにする。
 
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残念な人と成長する人の違い

2020年03月04日 | 人生観
 残念な人と成長する人の違いは、提案する力と実行力があるかどうかであると考えている。。

 特に、どんな組織でも、提案し、実行する人は伸びていく。

 提案する人は批判される。

 実行する際も批判される。

 完璧な提案も実行もないから批判はつきものである。

 不備や不足や不十分な点があるかもしれないが、提案して実行する限り、批判も自分の糧になる。



 職場で誰かが提案したことに対して、批判があることもある。

 その際は、会議では毎回のように進行役になっている自分は、必ず批判者には、次のような問いを出す。

 「分かりました。では、代案は?」

 「そうですね。その点が問題かもしれませんね。では、代わりにどうすれば良いですか?」

 代案がなければ、提案者の案に従ってもらう。

 

 教師は、実践家である。

 実践家であるならば、提案に対して、批判するのも良いことである。

 しかし、批判するだけで、代案が示さなければ、学校の実践はちっとも進まない。

 代案無き批判をする人はあまりいない。(批判だけだと、その批判は皆に受け入れてもらえない。少なくともうちの職場では。)




 学校とは違う場であるけれども、国会中継を見ていると、むなしくなる時がある。残念に感じることがある。

 批判をするだけで、代案を出さない人が結構居ることが分かる。



 自分には、どの政党が良いかというのは、分からない。

 しかし、批判だけで代案を出さない人には、全く共感できない。



 議長になっている人ならば、次のように言いなさいよ。と、画面に向かって言いたくなる。

 「分かりました。では、代案は?」

 「そうですね。その点が問題かもしれませんね。では、代わりにどうすれば良いですか?」

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肩こりとは無縁のデスクワークをしたい人におすすめのモノ

2020年03月03日 | 体調管理
 現在教頭職をしている。デスクワークは多い。というか、学級担任の頃からデスクワークは多かった。

 しかし、昔からこれまで、肩こりとは無縁の生活をしている。デスクワークが多くても、あまり肩は凝らない。

 なぜか?それは主に2つの理由があると考えている。

 その1つが、肩こりはなりにくい環境を作っているからである。

 そのための「モノ」を使っている。

 写真を見ていただこう。



 ノートパソコンを置く台を設置している。

 何もない場合よりも25センチくらい高くしてある。画面が25センチくらい高くなる。

 その台の価格が1個100円(+消費税) 2つで220円である。

 そして、ノートパソコンのキーボードではなく、ワイヤレスのキーボードを使っている。

 写真にあるように、手前にあるキーボードである。

 Bluetoothで繋ぐキーボードである。たぶん2000円ちょっとの値段だったと思う。

 合計2500円もかけていないが、この「台」と「キーボード」の2つがあるだけで、肩こりの原因はかなり無くなる。

 

 もし、この「台」と「キーボード」が無い状態、つまり通常の通りにノートパソコンを使うとどうなるか、

 必ず背骨は曲がり、首の後ろの筋肉で頭を支える姿勢になる。

 この「首の後ろの筋肉で頭を支える姿勢」が分かりにくければ、身の回りを見てノートパソコンで作業をしている人を見れば良い。

 かなり首の後ろの筋肉が疲れるであろう姿勢をしている。それが、「首の後ろの筋肉で頭を支える姿勢」である。

 この姿勢でいると、すぐに肩が凝るはずである。



 この「台」と「キーボード」を使うとどうなるか?



 パソコンの画面と目の高さはほぼ同じになる。首を曲げなくても、頭がまっすぐな状態で画面を見ることができる。

 頭を骨で支える姿勢になる。筋肉で支えなくてすむので、体はかなり楽である。

 その姿勢でデスクワークをすれば、疲れない。肩こりにもなりにくい。

 この「台」と「キーボード」は、肩こりになりたくない方にはおすすめである。

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多くの子育てで当てはまる法則

2020年03月02日 | 家庭教育
 子育てをしていて、また他の家庭を見ていて、

 子育てには法則があるなあと感じる。

 そのなかでも、多くの子育てで当てはまる法則は、次である。

 「子供は、親がやったとおりにする」

 親がいくらいいことを言ったとしても、子供はその通りにはしないことがある。

 しかし、親がやっていることを子供は真似することが殆どである。(もちろん例外は少しある)

 

 例えば、「『おはようございます』って元気よく挨拶をするのよ」

 と、親が言ったとする。

 しかし、親が小さな声で元気なさそうにしていれば、ほぼ子供は親の挨拶と同じになる。

 「『おはようございます』って元気よく挨拶をするのよ」と言っても言わなくても、

 親自身が元気よく子供に挨拶をし、近所の人にも挨拶をしているところを子供が見れば、その真似をする。

 (思春期になれば声が小さくなるかもしれないが、いずれ大人になれば、また親のような挨拶をするようになる。)

 

 履き物揃えにしてもおなじである。

 履き物を揃えなさい。」と言うよりも、履き物を揃えている玄関や靴箱を見せ続ければ良い。

 「きっと、揃えるのが当たり前という感覚になってくる。



 履き物揃えと言えば、凄い躾をしている人の話を聞いたことがある。

 その人は、夫婦で話し合って、我が子が小さい時から、自分の履き物だけではなく、我が子の靴も玄関で揃えていたそうである。

 特に、「履き物を揃えなさい」と言うこともなく。

 子供が目にするのは、いつもきれいに揃えられた履き物だけである。

 そのうち、きれいに揃えられている状態が当たり前になってくる。揃っていないと気持ち悪いという状態になってくる。

 そうなれば、しめたものである。

 揃っている状態が気持ちいい、揃っていないと気持ち悪いという感覚が身に付いてくる。

 これは、 「子供は、親がやったとおりにする」の典型であろう。



 親の行動を真似するのが子供である。

 なぜ、子供は親の真似をするのか?

 それは、やはり子供は親のことが大好きだからだろう。

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