あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

千の風になって

2007-07-27 22:36:27 | ペット
 美容院に行ったら七夕の笹がかざってありました。私の住んでいる地方では、七夕は7月7日ではなく8月7日にかざります。お客さんに願い事を書いてもらっているとかで、短冊を渡されました。ああ、昨日までだったら、「シロ、できるだけ長く生きていてね。」って書けたのに。ちょっと考えて次のように書きました。
    
    「シロ、千の風になって、いつまでもわたしたちのそばにいてね。」

 先日、新聞に「死者が千の風になるという考えかたは、全てのものに魂が宿るという原始的なアニミズムに通じる。仏教などの成熟した宗教は、それを克服して『死者は極楽浄土へ行く』ということで魂を救済しようとした」といった内容の記事が出ていました。しかしながら「千の風になる」という考えかたが広く人々の共感を得たのは、残されたものの悲しみを癒す考えかただったからだと思います。死んだら極楽浄土へ行く(生きていける)という教えは、死すべき人間にとっては、死の苦しみや恐怖を除き、来世への希望をもたらすかもしれませんが、残されたものの喪失感は簡単には消えません。
 とはいうものの、24時間ずっと悲しんでいるわけではないのです。喪失の思いはふとした瞬間に浮かんできます。たとえば、朝えさをやりに外へ出て、いつも戸口で期待に満ちた顔で待っているシロの姿が見えないとき、あるいは車庫の隅でぐったりと横になっているのを起こさないように、そっと車を乗り入れようとして「ああ、もうそんなことしなくていいんだ」と思うとき。そんなとき、あの子は風になって今ここにいると考えると、ふっと心が軽くなるような気がします。
 「千の風になって」の歌が大ヒットしたということは、それだけ多くの人が悲しみを抱えて生きているということなのでしょう。

 
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別れ

2007-07-27 01:03:01 | ペット
 うちの病犬が死にました。闘病4ヶ月余り、この夏は越せないだろうと覚悟はしていましたが、こんなにあっけなく逝ってしまうなんて。
 昼過ぎには、知り合いのおばさんが久々に訪ねてきて、他の2匹の犬が激しくほえているのに、彼女だけは(雌です)親しげに近寄っていったのです。「覚えといてくれたんじゃね。」と頭をなでてもらってうれしそうにしっぽをふっていたのに。その3時間後、帰宅した娘が暑い通路で倒れているのを発見したときには、もう硬くなっていました。もしかしたら、おばさんに近寄っていったのはおわかれのつもりだったのかしら。
 
 この子の母犬が死んだときは、わたしも仕事をしており、朝あわただしく出かけるのをうずくまって見送ってくれるのを車の窓から見たのが最後でした。娘たちは県外の大学におり、夫が一人で畑の隅に埋めてくれました。病院にこそ通いましたが、十分にかまってもやれず、心細い思いをしたのではないかと、悔いの残る死でした。
 この子はわたしが仕事を辞めいつも家にいるので、母犬よりは多くのふれあいがありました。それがせめてものなぐさめです。律儀で従順な性格で、家の者がそばへ行くと、ぐったりと寝ていても起きあがってしっぽを振るのです。そのたびに顔をなで、体をなでてやるのが習慣になりました。鎖が重たいだろうと、自由にしてやってからは、よく、同じ日に生まれた姉妹犬のそばで寝ていました。昔のようにじゃれ合うわけでもなく姉妹が静かに寝ているのを見ると、お互いに別れが近いことを知っているような気がしました。
 その姉妹犬がしきりに死んだ犬を気にするので、そばに連れて行くと、くんくんにおいをかいで鼻や耳をなめました。「どうしたの?ねえ、起きて。」とでもいうように。でも起きあがらないとわかると、そばをはなれていきました。きっと、永遠のお別れだと言うことがわかったにちがいありません。
 
 娘たちと庭の隅に穴を掘って埋めました。畑に咲いていたひまわりとヘメロカリスの花を顔の周りにおいてやりました。赤い首輪のビーズがきらきらと光りました。

 うちにはまだ2匹の犬とねこがいます。わたしの周りの人々もわたしと同じように年を重ねていきます。これから先、どれだけたくさんの別れがあるのでしょう。夕方になっても、いつものように花畑の手入れをする気にもなれず、ぼんやりと空を眺めていました。
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手作りの首輪

2007-07-21 22:24:40 | ペット
 我が家の犬は病気です。2週間に1回病院へ行っています。食欲がなく骨と皮だけにやせこけて、毛づやも悪く、飢えた野良犬のようにみすぼらしくなっています。
 病院に行くと、周りは純血種のきれいな犬ばかり。病院に来るからにはどこか悪いところがあるんでしょうけど、シャンプーをしてトリミングをしておしゃれをしてきています。うちの犬のように雑種で薄汚いのはいません。診察台にのせるときも「すみません、きたなくて。」と謝ったりして・・・。先生は「雑種でも、うちの子が一番(かわいい)じゃろ。」と飼い主の気持ちを受け止めてくれるのでありがたいです。
 うちの子が野良犬に見えるのは、姿がみすぼらしいだけじゃない。首輪のせいだ。と気がつきました。なんせ、10年近く首輪を替えたことがありません。色あせてぼろぼろになった首輪。やせてゆるゆるで、スポッと抜けてしまいそうです。
「そうだ、首輪を作ってやろう。病犬だっておしゃれをしなくちゃ。」そう思い立って作ったのが写真の首輪。0.6㎜の柔らかめの革を突き合わせに折って、スタンピングで模様をつけました。白い毛に似合うように色は赤。アルコール染料で色つけしました。星形のカシメとピンクの飾りカシメを打ち込み、金具だけはすぐに手に入らないので(売ってないのです。取り寄せなければ)ちょっとさびの出た古い金具を使うことにしました。さっそくつけてやると、飾りカシメがきらきら光ってすてき。ちょっとだけ飼い犬らしくなりました。
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