しばし木馬で遊んだ後、遺跡の見学へと向かいます。 ほんとうはこちらが目的なんですけど
大人の背丈よりも高い城壁跡が遺跡への入り口。
このトロイ遺跡ですが、
ドイツ人シュリーマンが生涯を発掘に捧げてついに発見したことで有名です。 偶然にもわたしは夏頃「シュリーマン伝」を読んだところでした。 そのときははるばるここまで来ようとは思ってもいませんでした。 でも、多少なりとも予備知識があると興味は倍増します。
シュリーマンはギリシアの詩人ホメロスが「イーリアスとオデュッセイア」の中で描いたトロイの実在を信じていました。 そして卓越した商才で莫大な財産を築くかたわらトロイを探し続け、最後にここヒサルルクの丘に目星をつけて、発掘をすすめたのです。
「イーリアスとオデュッセイア」によると、トロイはギリシアと10年にもわたる戦争を続け、最後にギリシア軍が残していった巨大な木馬を城壁内に引き入れたため、木馬の中に潜んでいたギリシア兵の奇襲にあって焼け落ちたとされています。
しかし、後の研究でシュリーマンの発掘した場所はトロイではなく、もっと古いものだということがわかりました。 驚くべきことに、トロイ遺跡には、紀元前3000年前から建設と破壊を繰り返されため、9層からなる都市跡が残されていたのです。
この丘がトロイであることは定説にはなっていますが、9層のうちどれがトロイなのか、その証拠になるものは発見されてないそうです。
遺跡を垂直に掘り起こした部分が残されていました。 数字の書いた白いカートが、時代を表しています。 手前の高いところに4層、下に層、向こうに2層・・・・・
従って現在明らかになっている遺跡は、9層が混在しており複雑きわまりない状態でした。とても簡単に理解できるようなものではありません。
ガイドさんのそばにいないと話は分からないし、写真を撮っていたらみんな先へ行ってしまってるし、話を聞いても覚えきれないし・・・・ 以下おぼろげな記憶とガイドブックを頼りに説明していますので、間違いがあるかも。 そのへんはさらっと読み飛ばしてください。
入り口の城壁は第6層のものでした。 順路に沿って歩いていくと石を並べた平らなところに来ました。 ここは第8層のアテネ神殿跡です。
続いて天蓋に覆われた第2層。 シュリーマンはここをトロイとしたそうですが、実際はもっと古いもの。 4500年前(これだけは覚えてた!)の日干しレンガです。泥を固めて太陽で乾かしただけのもので、当然崩れやすいです。
ところが、日干しレンガが、火災にあって本物のレンガになってしまったのだそうです。
色がちがっていますね。
第1層の集落跡。 今から5000年くらい前のもの。これも覚えてた。
第2層へ続く石畳の道。 なにか詳しい説明を聞いた気がするのですが・・・・忘れた
7~9層頃の聖域。 神殿跡や、生け贄の獣を捧げた台座などだそうです。
城壁の外へ出ると、第9層の小さな劇場跡があります。
いたるところに無造作に横たわる柱や石。
いつか研究が進んで復元される日がくるのでしょうか。
このように、 形として残っているものが少ないため、ガイドの説明を聞かなければなんじゃらほいの石の群れ。 観光地としてはかなり地味です。 あの巨大な木馬と、ブラピ主演の映画がなければ来る人も少ないのではないかと思われました。 たとえるなら・・・・・・
規模はまったくちがうものの、我が市で国の史跡に指定されている世田山城址の土塁みたいなものか。
つまり、歴史的には非常に価値のあるものながら、興味のないものにとってはなんの変哲もない石ころだらけの場所、といったところでした。 ーつづくー