・今日は千葉市青葉の森文化ホールで喜多流の能「船弁慶」と、狂言「隠狸」、舞囃子「高砂」を見てきた。
・本物はいいものである。
・あの文化ホールに本格的な能舞台をこしらえてあって、堪能した。こういうときだけは、国語教師を選んで良かったと思う。ま、現場で教えることはもうできないが。
・船弁慶のシテである静御前の舞が静寂でありながらも、印象として強烈だった。時間も長いが、そのことがなにを意味しているのかということを暫し考えた。
・船弁慶は原文をあらかじめ読み、参考書を持参して行った。流派によって、詞章が異なるから、比較対照しながら見ているのもまた楽しい。さらに、原文は岩波本と、新潮社本とまた異なる。こんなことも楽しいものである。
・一番興味があったのが、死生学と関連する部分である。このことについては、これ以上書かない。手の内を今からインターネットに書いていることはない。これからやってみたいことだからである。
あらすじ:
・「船弁慶」は、源義経主従が(弁慶もいる)、都を出、攝津国(兵庫県)大物浦から西国へ落ちようとする。静御前も、義経を慕ってついて来るが、弁慶は時節柄同行は似合わし くないから、都へ戻すように義経に進言し、了承を得る。弁慶は静を訪ね、義経の意向を伝言するが、静は弁慶の計らいであろうと思い、義経に逢って直接 返事をすると言う。義経の宿に来た静は、直接帰京をいいわたされ、従わざるを得ず、泣き伏す。名残りの宴が開かれ、静は、義経の不運を嘆きつつ、別れの舞を舞う。
<中入>
弁慶は、出発をためらう義経を励まして、船頭に出発を命ずる。船が海上に出ると、にわかに風が変わり、激しい波が押し寄せて来る。船頭は必死に船をあやつるが、吹 き荒れた海上に、西国で滅亡した平家一門の亡霊が現れる。中でも平知盛の怨霊は、自分が沈んだように、義経を海に沈めようと長刀を持って襲いかかって来 る。義経は少しも動ぜず戦うが、弁慶は押し隔てて、数珠を揉んで祈祷する。祈られた亡霊は、しだいに遠ざかり、ついに見えなくなる。
・当然能の専門家ではないから、能そのものの勉強会に入ってどうのこうのというわけにはいかない。
・スタートラインが能であるというだけである。
・第一次資料を相当数購入した。また県立図書館からも借用している。こんなことも楽しみの一つである。
・どんどん年をとっていく。だから、いいものを生涯の最後に選んだものであると思っている。若い頃から、ヴァーチャル爺になりたいと努力してきたから、今度はほんもんの爺になって楽しい、楽しい。
・ヴァーチャル爺?
・初めて聞いた?
・明治の人たちは、意図的に年齢よりも老けて見えることを良しとしたのである。漱石だって、よくもまぁこんな名前を名乗ったものである。正岡子規もそうである。徒然草の作者だって、諸説あるが20代から60代まで書いていたのに、まるっきり年齢を感じさせないではないか。
・明治の人たちの知的スタンスというのは、キーワードが老成であったのだということを聞いたことがある。納得がいく。とてもとても、現代の20代では書けないようなことを書いているのだ。大先人たちは。
・あ、そういえば(いつものとおり話があちこちに飛んで申し訳ない)思い出した。
・高校の文芸部に愚生は入部していたのであるが、(柔道部と応援団にも)そこにこいつは文学の天才ではないかと思うような男がいて、同級生であったから愚生は実にいじけていた。
・文学や哲学、なんでもござれであった。ニーチェはね・・・とか涼しげな目で文芸部の部室で彼が語り始めるとその場を逃げ出したくなった。事実、愚生は「柔道の稽古があるから」とかなんとか言って、ホントに逃亡したのである。たしか、その天才少年、キルケゴールまで言及なさったことがあった。
・今、思えばその配列たるや滅茶苦茶であって、どういう基準で読書していたのかということを、考えれば良かったのだ。
・彼の実力がある日突然バレた。愚生が見つけた。部室に忘れていった彼のホンである。
・なんとそれは、世界各種の文学・哲学の百科全書的なポケット本であったのである。
・こういう方は実に多いということは、大人になってからかなり経験した。
・他教科の先生なのに、やたら漢文に詳しい先生がいた。ありとあらゆる漢文の原典を網羅して語りかけてくる。しかもそれはほとんどクイズ形式なのである。不勉強な愚生は、こころからその先生を尊敬した。だって、論語と老子と孟子くらいしか、全部読んだという漢文はないからである。後は、書庫にある漢文を部分読みしているだけであるから。
・その先生も種本があった。講談社の学術文庫でそんなのがあったのである。会議の時に、偶然持っていらしたのを発見してしまったのである。
・ま、それでも勉強なさっているだけたいしたものである。知的遺産とか、文化的資本というものは、まったく他者の受け売りですからね。
・人のことはあれこれ言えませんです。
・これからジムである。
・能を見ていて思った。まったく肩のラインがぶれないのだ。これはすごいことだ。腰も安定している。身体知の観点からもたいしたものである。
・ジムが終わったら、またこたつに入って、タブレットコンピュータとにらめっこである。そして、ブログの整理を始めよう。映像関係の削除から始める。ご協力いただいた関係者のみなさん、ありがとうございました。残念だけど、そういうことである。そういうこと。
・また次回に。