県立銚子での思い出
県立銚子での思い出というテーマで書いてみよということで、関係職員からいただきました。ありがたいかぎりであります。
ふと思ったのが、思い出というと何を書くべきであろうかということでありました。経歴では人に笑われるし、業績ではなにかやったことがあったのかと自省する日々でありますし、ましてやあれこれと他人に吹聴できるものなぞ学歴をはじめとして何も無し。天下無一物であります。唯一思い出として書けるならば、それはインターネットの世界に外山日出男として検索していただければ、種々雑多な情報と称するものが出てくるということでありましょうか。
つまらない世界であります。
なぜか。
それはもう過去のものであるからであります。過去に執着しているほどみっともないものは無い。瞬間は、日々刻々過ぎ去って参ります。今現在を充実して生きるしかないと、懶惰な生き方ではありましたが、信念として持って参りました。過去よりも、未来に生きていきたいからであります。
県立銚子は、生まれ変わりました。さらに、未来形において楽しみな展開がどんどんあるようであります。新校舎になる、防災の学びがあるというような展開が未来においてなされていく。それらが現実のものになるときは、わたくしは過去の人。きれいさっぱり高校教育界からさよならをさせていただきますので、遠くから応援だけはさせていただきます。それがこれからのわたくしのミッションでもありましょう。
ただし、在校生諸君や卒業生諸君には、県立銚子で学びの日々を送ったこと、その時間的な流れにおいては、記憶にとどめていただきたいと願わずにはおられません。
学びというのは、ある一つの学校を卒業したから完成したのではありませんから。つまり、本校を卒業しても永続するのが学びであります。そういうことを考えられなくなったときに、停滞が訪れます。もういいや、勉強なんてこれっきり。厭きたとか、なんとかとか、何も自分から自分の将来を捨て去ることもない。あるいは自分はこれ以上無い完全なインテリであるとか、道徳的に完璧であるとか、そういう観点から他人を誹謗中傷したりしている暇があったら、勉強することであります。
たった4年間だけの校長ではありましたが、県銚ニュースや、校長ブログ、銚子の日刊紙、教育関係出版社からの教育関係雑誌等々あらゆる機会を通じて、生徒諸君には訴えてきたつもりであります。たった4年しかなかったというのが、残念でありました。もっと時間を与えていただければもっともっと理想の学校経営ができたのかもしれないと感じることもあるからであります。しかし、致し方なし。時間が来てしまいました。定年でありますから。定年というのは、諦念とも書きます。意味深長であります。諦めよということでもあります。
わたくしは、諦めた結果、4月からますます切磋琢磨して、学びの世界に突入して参ります。県銚の4年間よりももっと長い時間が待っていてくれるからであります。楽しみであります。
お世話になりました。