・今日は、記念すべき日である。
・武蔵野大学大学院通信教育部人間学専攻(修士)を修了させていただいたのだ。実にうれしい。まったく能力も省みず、無茶なことをしたものである。
・一番良かったのが、武蔵野大学の学びのシステムの優秀さである。
・厳しいのであるが、先生方の面倒見の良さは本当に比較すべき大学を知らない。
・これまで、5つほど通信制の大学、大学院、専門学校等々をわたり歩いてきたが、最高である。
・もっとも、これは私の求めているものと、大学の提供してくださった教育内容がぴたり一致したからでもある。
・人生は有限であるということに気がついたのが、働き盛りの50代であった。大腸ポリープ4個が人間ドックで見つかったのである。手術をして、それから考えることができたのである。
・このことはある意味、幸運でもあった。転機があったからである。
・人間とは何か、あるいは死ぬこととは何か、老年学とはなにか、生きるとはなにかという人生の根幹に関わる問題が迫ってきたのである。
・そうである。そうした問題について考えることができたのが、武蔵野大学での学びであったのである。
・こういうことを若い頃から一番やってみたかったのだ。そう気がついたわけである。
・ただし、私は仕事を持っていたから、通学するわけにはいかない。
・通信教育しかない。
・これが良かった。本当の意味で学びがあったからである。学部時代とは全く別個。むろん学部時代とは違う大学である。
・それでもこれだけの教育内容を保証していただいて、感謝である。
・学部卒業以来38年。それなりに世間智はついている。ごまかされない。当たり前である。狡知に長けるおじさんなのだ。投資効果とかいう問題ではかなりうるさいのである。それでも、このおじさん(ほんとはじじぃだけど)は、納得できるのである。内容にである。
・唯一後悔がある。それはバーチャルな関係性しか構築できなかったということである。ほとんどスクーリングを受講できなかったのだ。職場に内緒で学習していたからである。
・本当にこれが残念であった。特に、修士論文に該当する特定課題研究でご指導いただいたK教授の授業をスクーリングで受講できなかったことは悔いが残る。
・そのまま武蔵野の他の専攻をやってみようかと迷った。しかし、対面授業の魅力には勝てなかった。定年を迎えて居住地の近くにある大学で学びたいというのは、かなりのものがあった。やってみたいということである。駄目でもともと。駄目だったとしても、充実感はある。それでいいのである。学びとはそういうものではないかと思うのである。
・生涯追求していくつもりである。
・ついている灯を自分から消すバカはいない。
・生涯学習の灯を。
・また次回に。
※多くの武蔵野大学大学院同級生の方々に深謝いたします。フラ夫さま、夢検索人さま、山*わ*さまには特にお世話になりました。