と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ノーベル賞を受賞された鈴木章先生のご講演

2012年03月11日 21時30分28秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・今日は、本校のすぐそばにある千葉科学大学で、ノーベル賞を受賞された鈴木章先生のご講演を拝聴した。


・なかなか難解で、愚生ごときの実に懶惰な能力では、門外漢である。まったく理解不能。凄い知性の先生である。わからぬながらも雰囲気だけは接しさせていただいた。これがいいのである。質問の時間では、隣の県にある私学のS高校の生徒が二人ほど鈴木先生に(良い意味で)くらいついていた。感心した。たいしたものである。ノーベル賞の鈴木先生に堂々たるものである。


・実は、愚生も同様のことをした経験がある。高校時代である。高校の先輩で、東大法学部教授の我妻栄先生(民法学の権威)に講演会でくらいついたことがあったのである。身の程知らずである。今、思うと顔から火が出るようなものではないか。まるっきり**である。法学の価値はいかにあるべきかと言ったのである。**である。


・ま、今思えばどうでもいいような話ではある。


・昨日、鷲田小弥太先生の著作を読了させていただいた。「定年後に1から始めて一流学者になる方法」(青春出版社)という書籍を、居住地の古書店で購入したのである。


・愚生がこれまで求めてきた方向性と同じである。これに非常に驚いたのである。


・定年後に「一流の学者」を目指しなさいといわれるのである。もっとも、それはある意味諧謔である。学者というのは「学ぶもの」という設定で理解させていただいたのであるが。それに、一流である必要性はない。なにが一流であるかという定義は、難しい。ようするに「学ぶもの」ということでいいのである。これなら、愚生ごときものでも可能ではないか。これまで一流を目指したことはただの一度もないし。(ホントに)


・定年後は時間が自由である。これが何事にもかえがたい実にありがたいことなのである。本当である。朝から晩まで自由なのである。


・だから、どっかの組織に属して勉強をさせていただければこんなにしあわせなことはないわけである。なにしろ時間はたっぷりある。だったら、住んでいる土地のすぐそばにインテリジェンスの基地があれば、こんなにすばらしいことはないのである。なにしろ朝から8時間くらいその手の基地にいても他人に気がつかれる心配はないからである。自由自在。毎日8時間くらいは、退職してもそういう基地でご縁があればすごすことができるわけである。


・これは幸福なことである。ある程度学費さえ払えばそういう環境が確保できるわけである。なにも一流である必要性はない。図書館も、コンピュータ室も朝から使えるわけである。校長室には無い冷房まであるのだ。(やっと快適な生活ができるかも・・)来月から、愚生はそういう施設・設備のところに、毎日古女房殿に作っていただいた弁当を持って、8時間くらいをある大学ですごさせていただく。幸せものである。家族の理解がなれけばそんなことはできないからである。ホントに家族に感謝(カンパイ)である。


・千葉科学大学でいろいろと勉強をさせたいただくことで、なんというか、知的な欲求不満を解消することができたわけである。


・こういう体験は実にありがたいことである。なかなか体験できないからである。しかもそれは超一流のご講話である。いいことである。


・そういう体験を本校生徒は求めていただきたい。本当にそう思うのである。こんな愚生でもやってきたから、求めるのである。こういうことを、しつこく言っている教職員を持っているだけ本校の諸君達は幸せである。


・銚子は学問の町である。


・本当にそう思う。愚生の卒業した高校のある町にも、国立大学があり、県立女子短大があった。これなのである。高校所在地に高等教育機関があるということは、求めても実現不可能なことであるからである。


・そういう土地で謦咳に接することである。それが一番勉強になるのである。師匠をもとめるからである。師匠はバーチャルでもいい。書籍上の師匠でもいい。


・そんなことを考えた。




・また明日・・・・


 


 


 


 


 


 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/