式 辞
東日本大震災で銚子地区でも被災された方々がおられました。こころからお見舞いを申し上げます。
また、東日本大震災以来幾多の困難を乗りこえて、本日ここに第58回卒業式を迎えることができたことを関係各位に御礼申し上げます。さらにご多忙中にもかかわらず、多くのご来賓をお迎えできたことを感謝申し上げます。
保護者の皆様には、ここまで成長された卒業生を、万感の思いで、見つめておられると思います。おめでとうございます。
本校職員全員、特に**学年主任をはじめとする、三学年担任の先生方、副担任の先生方にもこころより御礼申し上げます。
さて、今日は卒業生のみなさんに三つほどお話をさせていただきます。
一つ目は、「徹底的にチャレンジせよ」ということです。
私は、いわゆる苦学という形で新聞配達の勤労学生をやっておりました。当然非常に苦しみました。生活費と、学費と、多くの専門書を自分であがなわくてはならなかったからです。
新聞配達には晴れの日もあれば、雨の日もある。雪の日もある。それでも転んでも、なんでも読者のもとにお届けしなくてはならない。それが仕事であったからです。
辛かったけれども、たいへんに得たものが多かったと思います。仕事というものがなんであったかということについてです。なにしろ仕事というものは言い訳がきかない。他人のせいにして、文句ばかり言っていて、逃れることができないわけであります。
しかし、勤労学生であるということは絶対的に勉強する時間がない。ですから、早々と学問的な功績をねらうという方向性は断念いたしました。才能も能力もない。さらに、教育実習もやっている時間がない。よって、教員免許も学部卒業後一般会社で働きながら、通信教育で取得しました。それから実は延々と通信教育の茨の道が始まるのですけれども。
これまで、放送大学をはじめいくつもの通信制の専門学校・大学・大学院を経験してきました。
そうした中で経験したことは「他者との共生」ということでありました。
社会で生きるということは、不快な人間関係にも耐えるということであります。「敵と共に生きる」ということでもあります。あるいは反対者と共に、哲学的に言えば「統治」せよということであります。他者と、あるいは弱者と共にコミュニケーションをベースに生きることができるということが、大人になるということです。
「他者との共生」をモットーにさらにさらにご自分の人生にチャレンジをしていっていただきたいと思います。チャレンジというのは、学ぶということであります。学ぶ場所はどこでもいいのです。就職しても学ぶ場はたくさんあります。仕事そのものが学びの宝であるかもしれません。
勇猛果敢に、徹底的にチャレンジせよ!
このことを申し上げたい。
二つ目は、「今を精一杯生きよ」ということであります。
これもまた私事になりますが、松尾高校の教頭をやっているときに、覚悟をした時がありました。人間ドックで大腸ポリープを4つ発見されたのです。幸い、手術の結果は良好でありましたが、そのときに考えたことが「人生は限りがあるのだ」ということでありました。
それまで武道を愛し、ウエイトトレーニングに取り組み、多くの友人たちと交遊を楽しみ、健康には人一倍自信があっただけに、人生が有限であるということには、うかつにもまことにうかつにもまったく考えが及ばなかったのであります。
それから「死生学」という学問に興味を持ち始めました。またまたお得意の通信教育で大学院に入学して勉強を始めました。
このあたりのことは、またどこかで述べる機会もあるかと思います。
しかし、常に今現在を精一杯意識して生きるということと、なんでもいいやと言って自堕落に生きるのでは、後悔の度合いが違います。どうか「うかつ」に生きるということだけは避けていただきたい。
限りがあるからこそ、時間というものは珠玉のように尊いのであります。時間ばかりではありません。やがて家族とも、職場の仲間とも、地域社会の方々とも、さよならをしなくてはならない時がきます。永遠の継続性というものはあり得ないからです。ですから、今、この瞬間を大切にしてください。
それが、卒業生諸君への二つ目の願いです。
最後に、三点目になります。
"sauve qui peut "(生き延びることができるものは、生き延びよ)ということであります。
この言葉の由来はここでは述べませんが、ほんとうに味わいの深い言葉であります。
生きるということが基盤にあって、そして自己のミッションの実現のために、どこまでもたくましく生きていっていただきたいのであります。大震災は、まさに私たちに生きるということ、生き延びるということの問題設定を迫ったものであると、思うからであります。
一昨日のNHK「クローズアップ現代」という番組で知ったのですが、、大震災の津波で逃げ遅れたおばあちゃんが、津波にのまれながらも、ちょっとの差で助かった孫に最後に叫んだ言葉が「後ろを見るなよ、生きていけよ」であったそうであります。
大震災で無念の思いで亡くなられた方々の「後ろを見るなよ、生きていけよ」という願いを、私たちは謙虚に未来の我が日本に伝えて(パス)いかなくてはならないと思います。防災に裏打ちされた、安全な、危険の無い社会を作ることもまた私たちに与えられた使命であります。
卒業される皆さんは、後輩達に、これまで培ってきたさまざまな叡智を、勉強方法をパスしていっていただきたい。
さらにあなた方の生き延びる力を、これから実社会や、就職先、またいろいろな大学や短期大学、専門学校等々で研鑽を重ねていただいて、もっともっと充実していっていただきたい。
そのことが諸君達の生きる叡智となると信じて疑わないからであります。生きる叡智の持ち主こそ、「生き延びる」ことができるのであります。
もう一度申し上げます。
"sauve qui peut "(生き延びることができるものは、生き延びよ)
皆さん、健康に気をつけて頑張ってください。
本当にこの三年間あなた方はよく頑張りました。おめでとう。これからの人生にこころの底からエールを送ります。
名残は尽きませんが、以上をもちまして卒業式の式辞といたします。
平成二十四年三月八日
千葉県立銚子高等学校長 外山 日出男