・懐かしい本を入手した。「考える技術・書く技術」(板坂 元先生 講談社現代新書)「本の読み方 スローリーディングの実践」(平野啓一郎著 PHP新書)である。今日のジム通いの前に、毎日のように行っている古書店チェーンで105円で買ったのだ。
・板坂 元先生の本には、いろいろと影響を受けた。それがいつしかご縁がなくなり、同時に学校経営の専門みたいなことばかりやってきた関係で、ご無沙汰をしてしまったのだ。
・江戸文学のご専攻である。1973年に初版が出ているから、ちょうど私の学部時代のころである。
・なぜ懐かしかったのかというと、その情報収集の方法においてである。
・黄色のダーマトグラフという色鉛筆を使って、本にラインをひきたまえというものなのである。これをさっそくまねたのだ。カードとりというのも、このころ知った。もっともあちらは梅棹忠夫先生の名著「知的生産の技術」から知ったのだが。
・板坂先生は、カードそのものは5×3インチの色別カードを使われていて、白はご専門の古典系である。こんなことも真似させていただいたものである。
・懐かしい。大いに懐かしい。
・さらに筆記用具の話まで出てくる。シャープペンシルや、その他もろもろ。これを眺めて神田あたり、お茶の水あたりまで進出して文具探しをするのもまた楽しみであった。
・情報収集をしたら、次はノートにいろいろと図解も含めてぱらぱらと書いてみる。また、レコーダーにつぶやいてもみる。これはいい。放送大学のI教授がやられていた。でかいコピー用紙に太い鉛筆で書き殴っておられた。なかなか楽しい作業である。こうやって知的エリートというのは、頭にたたきこんでおられるのだろうなぁと感心したことがあった。
・ここまでは、常套手段である。私のような愚者でもやれることである。
・最近気がついたのが、ブログである。読書メモを、こうやって、まさにこうやってブログで作成していけばいいのだ。実によく頭に入る。ノートの代わりのようなもんである。
・だんだん加齢と共に記憶力が減退している。だから自分なりに工夫しなくてはならん。
・それでなくても、さっき会ったばかりの人でも忘れてしまうようになってきたからである。名刺交換しても、きちんと覚えていないのだ。これには愕然とする。
・今日取り上げた二冊目の新書は、板坂先生の本とはちょっと違って、遅読の勧めである。
・高橋源一郎先生のこともちょっとあったからジムで自転車をこぎながら読んでしまった。ある意味遅読の勧めの本を、速読してしまったのだからこれは若干の嫌みを伴っているけれども。
・速読派だから、こういう本を買って自分を調整しなくてはならないのだ。
・私は知的な生活を送っている人間でもないし、知的エリートでもまったくない。ただのおじさん(じじぃともいう=トホホ)でしかない。田舎教師であったし、それももうすぐ永久追放である。気楽な半端人にこれからなる。ま、ある意味楽しみであるが。
・最後にしよう。
・アリストテレスの「ニコマコス倫理学」に書かれているような「最高の栄誉を担う人生の3型」のことである。
・快楽の人生、国事に携わる人生、観照の人生を彼はあげている。
・第一の人生は、単に動物の求めるものとかわらない。ほかの二つは、実践的と理論的の差こそあれ理性の使用をともなう活動を主体とするのだ。
・理想的な人生ということを書いているのだが、これまた困難なことである。
・個人としては、観照の人生でも送りたいとも思う。これはなかなか魅力的である。
・むろんかなりの反対者がおられるだろうということも感じながら、そう書いておく。
・だって、これから社会の中枢で活躍したいと思ってもできないではないか。
・わらっちまうくらい、体力が衰えているし。
・また次回に。